109.その瞬間を見てしまったのなら、それは暫く心の傷になる。

その瞬間を見てしまったのなら、それは暫く心の傷になる。

その傷は、恐らく生涯消えることの無い傷だ。

思い出そうとすれば何時でも思い出せて、私の心を抉っていく。


「人の心臓、とても、興味深い。いひ、ひひひ。でも、ここの妖、興味ない」


暗闇に包まれた埠頭の端、渠波根の心臓を手にした女が不気味に笑う。

根暗眼鏡という言葉が似合う顔ながらも、夏にしか出来なさそうな煽情的な格好の女。

そんな女と対峙していた私達の周囲に、不穏な物音が聞こえ始めた。


「カフカ。力、無い。だけど、駒、幾らでも、幾らでも、いひ…ひひひひ!」


公園の方へ振り向けば、何処から湧いてきたのか、"本性"を曝け出した妖の姿が見える。

その姿、妖の輪郭が見えてきた。

視界に映ったその姿、骨で出来た体、人を模した白い霧。


「こんなに居るとは思わなかったな」

「6号に28号…?」

「マジかよ」


見覚えのある"姿"を見て目を剥いた私達。

その刹那、"私だけ"を狙って、彼らは一斉に動き始めた。


「沙月様!」

「え?あっ…!」


妖力すらも、気配すらも上手く感じ取れない私は、彼らの動きにワンテンポ遅れを取る。

28号特有の靄に巻かれ、その中から伸びてきた"拳"を顔面に真面に食らってしまった。


「ぐぅ!」

「クソ!沙絵!」

「分かってる!」


吹き飛ぶ私。

その手を沙絵が掴みあげ、私の身体は宙に浮く。

暗闇の中、目元に1発食らって宙に浮いて、私の平衡感覚はもう何処にも無かった。


「雑魚はとっとと失せてやがれ!」


八沙と沙絵が手にした呪符の光が、暗闇の中を照らす。

沙絵が真っ赤な光を灯して辺りを真っ赤に染め上げて。

八沙の呪符が放つ真っ赤な靄が引き起こす爆発が、周囲の妖達を消し炭に変えていく。


「え、ウソ。霧、晴れる?」


ぼやけた視界の中、心臓を持っていない方の手を真っ青に光らせた妖が驚いた。


「生憎様だったな」


そう言った刹那、金色の光が辺りを埋め尽くし、取り囲んでいた妖達は何処かへ隠された。

その間に、八沙が私の前に立ち、私は沙絵に肩を貸される形で後ろに身を引く。


「すごい、すごい。興味、出てきた」

「そうかい。だが、消えてもらうぜ」

「その程度じゃ、カフカ、消えない」


元居た位置からほとんど動かずに対峙し続ける。

今の間に、渠波根の体は妖の手から離れて、地面に惨い血の海を作り出していた。


「この心臓、これを、するまで、カフカ、幾らでも、仲間、居るから!いひ、ひひひひ」


妖達が一瞬で隠されても、一切動じない。

右手に握りしめた心臓は最早ただの肉片だし、左手の青い光は、何処か"引っ張られる"感覚を受ける。

余裕を崩さぬその姿、何も出来ない私の目から見れば、随分不気味に見えた。


「動けないの?」

「動いてやろうか?」

「来て!滅茶苦茶、出来るんでしょ!?滅茶苦茶、してよ!」

「野郎…」


強い力を感じないのに、逃げも隠れもしない妖。

その不気味な態度に、私達は何故か動き出せない。

彼女から感じる妖気は、そんなに強くないというのに…何故?

その間にも、周囲には再び妖の気配を感じるようになって来た。


「街にいた妖か」

「そう!全部、カフカの、駒!さぁさぁ!早く!」

「学ばねぇ奴だ!」


再び6号と28号の妖の気配。

今度の私達は、さっきの様に呆気に取られない。


沙絵がさっきと同じように真っ赤な光で染め上げて。

八沙がクルリと振り向き、真っ赤な靄を纏わせた。


私を間に置いて、2人はすれ違う。

八沙は妖の方へ、沙絵は目の前の"カフカ"の方へ。


「お!?いひひ!そう来た!」


私はその場から動かずに、空になった右袖の中に腕を突っ込んだまま立ち尽くす。

八沙の放った爆風を背後に感じ、目の前、沙絵が向かった"カフカ"の方に目を向けた。


「やっぱ!天邪鬼!その程度!」


真っ赤な閃光で目くらませ。

そこまでは沙絵の思い通り。

真っ黒な光を放つサークルで囲んで、後は呪符を離すだけになった刹那。


"カフカ"の表情が一気に歪む。

口角を吊り上げ、待ってましたと言わんばかり。

"カフカ"の視線が下を向く。


「いひひひひひひひひ!」

「覚悟!」

「沙絵、待っ…」


沙絵の手から呪符が離れる。

直後、パチパチと音を立てていたサークルが一気に爆発した。


「くっ…」


背後で爆発。

目前でも爆発。

2つの爆風に晒された私。


「!?」


一瞬、目の前に嫌な気配を感じ、咄嗟に体を半分ズラす。

咄嗟に左へ、右腕の無い体で、バランスを崩しながらすっ飛んで行く。


刹那。

ふら付いた私の目の前に1人分の人影。

真っ赤な血を全身に浴びたその姿は、さっきまで真っ青な光を宿していた"カフカ"だった。


「あら!残念!」


思いっきり剥かれた目が、"カフカ"の顔を捉える。

体に違和感が1つ。

さっきまで立っていた位置に漂っていた、中身のない"右袖"を"真っ青な光"が貫いていた。


「天邪鬼より、鈍くない!いひ、ひひひひひひひ!」


一瞬の間に、"カフカ"は爆風の中へと姿を消す。

それを深追いすることなく、沙絵が飛び込んだ先に足を踏み出せば、首元から凄まじい量の血を噴き出した沙絵が呆然と立っていた。


「沙絵!沙絵!沙絵!」


半狂乱になって叫ぶが、沙絵は首を抑えながらも一切動じず、私の方に手を上げると、その手を下に指した。


「大丈夫ですよこの程度。それより沙月様、下を見てください。遺体が無くなってます」

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