104.1度怖いと思ってしまったのなら、それを拭うのは難しい。

1度怖いと思ってしまったのなら、それを拭うのは難しい。

怖いと思ってしまえば、それが何度も脳裏にフラッシュバックしてくるからだ。

繰り返される度に、実際に起きた時よりも恐怖が増幅され、それがまた…の繰り返し…


「これで良いでしょうか?」


雨が窓に当たる音がする、8月2日のお昼過ぎ。

ベッドの上に座ったまま、中途半端に妖と化した私を相手に、人に化ける化粧を施していた八沙は、大きな手鏡をこちらに向けた。


「そうだね」


白菫色の髪の上、頭の左側にあった狐耳は、怪我と共に包帯で潰されている。

右の額の上に伸びた角は、八沙の力で"見えなく"なっていた。

見えないだけで、触ればちゃんと角があるのだが。


鬼沙に"持って行かれた"お蔭で、暗闇があるだけになった右目には眼帯が巻かれる。

鏡に映る私の顔は、大怪我を負った怪我人そのものだ。


「ありがとう。でも、これでまた1つ、感覚が無くなったよ」

「耳、ちゃんと動いてましたからね。ですが、ここは現実ですので」

「分かってるよ。この角、ずっと隠し続けるのは負担じゃない?」

「外に出る位であれば、なんら問題ありません。12時間以上となれば、堪えますけどね」


鏡の前で、色々と頭を動かしてみる。

長らく人と接してきたおかげで、頬の傷の範囲は前よりもずっと狭まっているし、所々にある、鬼沙との1件で付けられた傷には、丁寧に包帯やらガーゼで隠されていた。


「暫くは、素の姿で出るしか無いか。ずっとお面被ってる訳にもいかないし」

「そうですね。まだ人寄りになり切っていないので…こういうやつで誤魔化しましょう」


鏡を下ろすと、八沙は帽子を渡してくる。

上部がふわりと膨れた感じの、黒いキャスケットだ。


「準備周到だね」

「昨日の間に、沙絵と沙雪様が駆け回ったんですよ」

「そう。で…暫くは左手一本か」


渡されたキャスケットを頭に載せた後、右腕があった箇所に目を向ける。

右肩から少し先、そこを見事にバッサリとカットされた感じ。

切断面に巻かれていた呪符はそのままに、上から包帯を巻かれていた。


「暫く、生活に響きそうですね」

「利き手、右手だったからねぇ。左手で出来なくはないんだけど。お絵描きは封印かな」


切断面から目を逸らすと、そこから更に視線を下げる。

今の私は下着姿。

体中の骨が折れていた様な気がするが、痛みは一切感じない。

体中に、自爆前提で行った爆発の傷や、鬼沙に吹き飛ばされた時の傷が残っていて、それらが包帯に隠れていた。


「沙月様、そろそろ、動けますか?」


包帯だらけの体、薄っすらと血の滲みが見えるそれらを見下ろして黙っていると、八沙が尋ねてくる。

顔を上げて彼の方を見やると、彼は見たこともない着替えを手にしていた。


「着るのが楽な服にしておきました」

「ありがと、で、何処行くの?」


左手で着替えを受け取り、八沙に尋ねる。

彼は、私が片手で衣服を上手く着れるのかを確認すると、俯きがちに頷いた。


「そうですね。言い出しにくいですが、また、墓場まで」

「そう」


何となく、言い出しにくいのは良く分かる。

私が鬼沙にやられた場所。

そこに何か、手掛かりがあると思うのは自然だ。

昨日の今日で、やられた張本人を連れていくのを是とするかは別として。


「鬼沙の事で何か思い出せたら、教えてください。その、お辛いでしょうけど」

「いいよ。大丈夫。今は動かないと駄目だよね」

「はい。すいません」

「いいって。新学期までにこの格好を何とかしなきゃ駄目なんだし」


そう言いながら、大分苦労しつつ、着替えに袖を通す。

緩いサイズの半袖短パン。

ストリートダンスでもやれそうな感じの格好になった私は、右袖がふら付いているのを見て苦笑いを浮かべた。


「ただ、私の事はちゃんと護ってよ?この腕じゃ、戦力外も良い所さ」

「はい。僕と沙絵で護らせていただきます。沙月様、絶対に無理だけはしないでくださいね。その傷も、呪符で強引に治したものですから」

「分かってる」


着替え終えた体を見回すと、ゆっくりと八沙の傍に足を踏み出す。

ちょっと痛みが走るが、普通に出歩く分には問題ないだろう。


「では、これを」


八沙から使い捨てのレインコートを受け取ると、それに袖を通す。

そのまま、八沙に続いて玄関まで移動して、ボロボロになった私の靴の横に置かれた長靴を履けば、外出準備完了だ。


「じゃ、車で行くぜ」


八沙は、玄関まで来ると、一瞬のうちに紫髪の大男に姿を変え、雑な所作でボロくなった安全靴を履いた。


「あそこ、結構濡れるよ」

「んなもん、慣れっこださ」


徐々に調子を取り戻してきた私。

だけど、普段より八沙との距離が近い。


玄関を開けた彼に続いて外に出て、小走りで八沙の車の助手席に入り込む。

直後、すぐにエンジンがかかり、普段よりちょっと雑な運転で動き始めた。

八沙の家から墓場まで、車で5分とかからない。


「沙月ぃ」

「ん?」


不意に、八沙に名前を呼ばれた私は、次の瞬間、八沙に手を掴まれていた。


「え?な、何?」

「震えてっぞ」


そう言われて、握られた手元を見て、ようやく自分の体が小刻みに震えている事に気づく。

その震えを意識すると、震えは徐々に弱まっていった。

何も、寒いわけじゃない。


「ごめん」

「楽にしとけや。昨日の今日で鬼沙がもっかい出て来る訳がねぇ。奴さん、用心深ぇからな」


土砂降りの中、八沙は雑に車を飛ばしていた。

助手席で振られながら、私は震えが止まらない。

窓の向こう側、丘の上の墓場が見えると、その震えは更に強さを増した。


「ったく。沙月の為に、墓まで作ってやったってのによぉ、今更化けて何の用だ」


目を見開いて、ガチガチに押し固まって、ガタガタ震える私を見て八沙が毒づく。

私はゆっくりと首を傾げる事しか出来なかった。


「っと」


丘の上まで、舗装されたばかりの狭い道に車が入って行く。

更にアクセルを踏み込み、私はシートに体を押し付けられた。

それもすぐに終わって丘の上へ、そのまま、昨日、私が訪れた墓の近くまで、一気に車で進んでいった。


「沙絵、もう来てるんだ」

「流石だな。あの様子じゃ待ちぼうけてたぜ。せっかちなんだよなぁ、昔からよ」

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