103.水を含んだ土の感触は、気持ち悪くて当然だろう。

水を含んだ土の感触は、気持ち悪くて当然だろう。

自らの爆発で吹き飛び、更には、爆発を物ともしなかった鬼沙に追い打ちをかけられた。

鬼沙の墓から、何も無い方へと吹き飛ばされ数秒後、力を失った私の体は、グシャ!とぬかるんだ地面を抉り取る。


「ヵハァッ!」


背中から、地面を抉ってそのまま滑って急停止。

肺から出た空気には、どす黒く汚れた血が混じっていた。


「無駄にデカいだけだったな。…ぁあ。なるほど。そういう考えか」


倒れた私を見下ろす鬼沙。

目を剥いて、ニヤリとした顔を崩さない私を見て言うと、彼の手が私の顔を覆いつくす。


「ぁが!が、が、ぐ…!」


大きな手で顔を掴まれ、その手はやがてある一点を抉りだした。


「…!…!…!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!」


声にならない悲鳴。

鬼沙が何か言ってる様だが、聞き取れない。

顔が一気に熱くなり、顔の一部、右目の当たりに激痛が走り続けた。


「ん!!ん!うぅぁ!ああああああああああああああああ!」


何かが潰れる音がした。

直後、不思議な解放感。

次にやって来たのは、激痛と強烈な熱さ、そこに大粒の雨が落ちてくる。

雨が塩を塗り込んだように痛みを増幅させ、私の意識は徐々に遠くへ消えていった。


「強いなぁ。強くなった!」


残った力で鬼沙の腕を剥がそうと藻掻いていたのだが、それもここまで。

腕が鬼沙から剥がれると、私の身体は最後にビクッとしなり上がってから、泥の上に力なく横たわった。


「ぁ、ぁ…」


土砂降りの雨が体を打ち付ける。

最早、大粒の雨の感触すらも、薄っすらとしか感じない。

体の先、足先や指先に、さっきまであった感触が、感じられない。

視界は真っ赤に染まり切り、鬼沙が見下ろしている事が、薄っすらとした影で見える程度。


私は、多分、ここで死ぬのだろう。

そう、頭が理解してしまうと、感覚が引いていく速度が急に早まった。


鬼沙は何もしてこない。

もう、彼の目から見て、私は死んだと見なされたのだろうか?


「アブねぇ。アブねぇ。コイツも"預かって"おくぜ」


少しの間の後、鬼沙の声が耳に届く。

そう言えば、人間、最期の時に残っている感覚は聴覚だとかいったっけ。

私は何の反応を作ることも出来ず、ただただ鬼沙の声と雨の音を聞くだけになっていた。


「…!」


その声すらも、もうかすれ声。

何を言っているかすらも分からない。

真っ赤な世界は、一瞬で真っ黒---


 ・

 ・

 ・


「沙月ィ!」

「うわぁ!」


誰かの叫び声で飛び起きる。

耳元で叫ばれて、全身の気が逆立った。


「え?」


全身から汗を流し、体中を濡らしたそれが、私の動きに合わせて水滴を飛ばす。

ちょっとだけ普段と見える世界が違うが、私はベッドの上に寝かされていた様だ。


「沙月、こっち向いてみろ」

「え?うん、あれ?八沙?」


八沙の声に振り向けば、紫髪の大男が私のベッドの横に腰かけている。

ここは、間違いじゃなければ、八沙の家…偶に泊まる時に使ってる客間のはずだ。

すりガラスの窓の向こう側、晴れた様子では無く、大粒の雨が降っている。


何故か普段よりも狭い視界、八沙の顔は、最近滅多に見なくなった、ちょっと怖い顔。

その顔は、私の顔を見つめるなり、ほんの少し歪み、やがて溜息を1つつかれた。


「体、痛いとこ無いか?」

「え?うぅん。何か、見え方が変?あと、右手が動かないかも」


八沙の確認に、適当に体を動かして答えると、彼は私の目をジッと見据えて、目を逸らす。

すると、八沙は一瞬のうちに"入舸家"として動く時の彼になり、私よりも背の低い"弟分"の姿に変化した。


「え?どうしたのさ。…というか、八沙、何でここにいるんだっけか?体調崩したっけ?」

「沙月様。僕にもまだ分かってない事が多いのですが、落ち着いて聞いてください」


真面目な声色の八沙に、私は口を閉じてコクリと頷くと、私がここに居るあらましを説明してくれた。


今は、私の記憶と違い、8月2日の昼間だということ。

私を見つけた時の惨状、今の体の状態。

私を回収して、小樽から母様と沙絵を呼び寄せてまで手当してくれたこと。


今の私には、右肩から下の腕が無いこと。

今の私には、右目が無いこと。

それらの傷は呪符で治療が施され、"本体"がちゃんとあれば元に戻るし、無くても最悪何か別のものを使って"戻せる"らしいこと。


更に、中途半端な効力の呪符が当てられていた体は、歪に"妖"の兆候が出ているそうだ。

説明を聞きながら、鏡を見せられた私の体は、この間の"異境"の時より不思議な姿。

狐耳が左側にだけ生えていて、反対の右側、額の上の当たりに小さな角が生えていた。


説明を聞くたびに、私の脳裏には"昨日"の様子がボンヤリと形を成していく。

八沙の説明に頷きながら、私は目を泳がせ、徐々に口元が震えてきた。

頭の中に浮かんだ光景、それが解像度を上げ、そこに出来た映像が、再び私に襲い掛かってくる。


「沙月様、大丈夫ですか?」


両目を見開いて、残った左手で頭を抱えて震える私。

首を何度も縦に振って答えるが、その答えが正しいものだとは、誰も思わないだろう。


「わかりました。ただ、これでお伝えする事は以上です。もう少し、すいませんが、分からない事があるので、それに答えて頂けますか」


八沙は私の意地を受け入れてくれた。

もう一度聞かれた言葉に、私は首を縦に振って答える。


「雑に貼り付けられた呪符は、明らかに防人の物でした。呪符の持ち主に見覚えがありますか?」


問いへの答えはイエス。

泳ぎまくった目の動きが、彼にどう映っているのかは分からない。


「では、沙月様を襲ったのは、防人の者…ということですか?」


その問いの答えは、ちょっと迷う。

首を縦に振りたかったが、何度も何度も脳内でリピートされる映像の鬼沙は、昨日、私を一方的に痛めつけた鬼沙は、私の横に立っていた時の"匂い"がしなかった。

少しの間の後、グルグルと目を泳がせて、震えたままの私は、小さく口を開く。


「鬼沙よ。わ、私を、やったのは。入舸、鬼沙で、違いない。鬼沙に、やられ、たの。私」

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