95.知っていたことであったとしても、嫌なものは嫌だ。

知っていたことであったとしても、嫌なものは嫌だ。

そういうことって、そんなに無いよねと思ってても、結構あるものだ。

そうなると分かってても、仕方が無いと分かっていても、嫌なものは嫌なのさ。


「…アー、ァー」


部屋の外に目を向けると、そこには綺麗に手入れされた日本庭園が見える。

縁側の向こう側、手を伸ばせば、足を踏み出せば届きそうな所に、見事な光景があった。


ちょっと上を向けば、空は快晴模様。

周囲は静寂に包まれていて、部屋の外の様子は伺い知れない。


今いるのは、小さな個室だ。

個室と言えばベッドが付き物だろうに、私が寝かされていたのは、硬い布団の上。

見覚えのない、真っ黒な和服に着替えさせられて、布団の上にちょこんと座って、ボーっと部屋の外を眺めている。


体中の節々が痛い。

体中が熱く感じる。

だけど、そのまま、ボーっと景色を眺めたまま、何もしない。

正確には、何も出来ない。

首元には、呪符が幾枚も貼り込まれた首輪が付けられ、その首輪から伸びた鎖は、部屋の隅の柱に繋ぎ止められていた。


ここは防人本家の"隔離部屋"。

異境から戻って数時間程だろう。

そろそろ、夕方と言える時間帯。

私の体は、未だに異境の中にいるみたいに体が軽かった。

何時もの、力を使いすぎた事による副作用だ。


「ァアー、ウゥァアアアー」


さっきから、発する気も無いうわ言が漏れ出るが、この間よりもちょっと楽。

この間の様に、"妖"に全てを持ってかれていない気がする。

思考はいつもと変わらないし、外を見てても、不思議と何も感じない。

ただ、滅多に見ない、防人本家の景色が見えるだけ。


この分じゃ、多分、今日中には話せるようになるだろう。

見た目は、鏡が無いから分からないが、それも時期に治るはず。


「ウゥ…」


昼間の空に翳りが見えだした時間帯。

景色を眺めるのに飽きた頃。

ようやく、部屋の外から物音が聞こえてくる。

誰かの足音、その足音は、私がいる部屋の前で止まると、扉がノックされる事無く開かれた。


「!?」


予想外の音に、パッと勢いよく振り返ると、入って来た人影は呪符をサッと取り出し臨戦態勢に入る。


「ナンダ」


入って来た人物、モトと沙絵は、すぐに呪符を仕舞いこみ、恐る恐るといった形で部屋の中に入って来た。


「沙月様、私が分かりますか?」

「エ?」


当然の質問。

怪訝な顔を浮かべて頷くと、沙絵はモトと顔を見合わせる。


「では、こちらの元治様は?」

「ン…」


二度目の頷き。

当たり前の事だろうと、突っ込みを入れたくなったが、それよりも、2人が私を腫れ物の様に接してくるのが、違和感でしかなかった。


「ナニ?」


ようやく思った事が口から出て来る。

妖言葉だけど、その言葉が2人の態度を一気に軟化させた。


「良かった…本当に良かった。沙月様、ここが何処か、分かりますか?」

「ウン」


徐々に、私の方も"言葉"が返せるようになってくる。

だが、沙絵とモトは、それ以上に、私が今の様子で居ることに安心している様だった。


「沙月さ、ちゃんと、異境で何があったかとか、覚えてるよな?」

「エェ」

「俺の修行に付き合ってくれたことも?」

「ウン。ナニ?ソノ、タイド」


2人に尋ねると、沙絵とモトは再び顔を見合わせる。

沙絵が頷いて、モトを一歩後ろに引かせると、真面目な表情を浮かべて私の傍に座り込んだ。


「こっちに戻ってきてすぐ、沙月様、暴走してたんですよ」


単刀直入な一言。

私は目を見開いて固まった。


「八沙が止めようとしましたがそれも間に合わず。小一時間程、目につくものすべてに襲い掛かってしまって…まだ本家に残っている者で取り押さえようにも、被害ばかり増えてって。結局、沙月様が急に倒れ込むまで、誰一人として触れられなかったんです」


記憶にもない事を言い出す沙絵。

私は首を傾げていたが、彼女はそのまま話を続けた。


「倒れてからも、何故か呪符に力を流し込めるようで、こうやって拘束するまでに、何人か他所の防人が大怪我を負う程でして。で、やっと拘束しても、偶に目を覚ましては暴れてといった具合で、手に負えなかったんです」


沙絵の目は私を見たままブレがない。

私の目は、今頃見事なまでに点になってる頃だろうか。


「ついさっき、30分程前に見に来た時は、襲われなかったものの、威嚇されまして」

「ソウ」

「だから、その、向こうで生えた耳があるうちは、このままなのかもと思い、さっきも呪符を」

「ソウ、ダッタノ」


沙絵にある程度のあらましを説明された私は、硬い布団の上で脱力する。

ペタッと座り込み、だらっと力を抜くと、着ていた和服の右肩がずり落ちた。


「ム」


それに気づいて、改めて自分の姿を見回せば、黒い和服は皺くちゃで、所々が何かで濡れている。


「コレ、チ?」

「そうでしょうね。あぁ、でも、とりあえず元に戻ってこられたようで安心しています」

「アリガト」


沙絵にそう言うと、彼女はようやく緊張が解けたらしい。

強張っていた肩がゆったりと下に落ちた。


「ここまでになれば、夜の間には元に戻れるでしょう。ただ、鎖と首輪はもう少し付けていて貰わねばいけませんね。もう少し、何も無いと言い切れるまでは」

「ダネ」


私は首に付けられた首輪に手を当てる。

何気なく呪符に触れた刹那、強烈な痺れが手を襲い、顔を歪めてビクッと手を離した。


「妖祓いの効果が見込める呪符を、幾枚にも貼り込んでいるんです。なので、私も、近づきたくないのですが」


そう言って笑った沙絵は、寂し気な笑みを顔に浮かべなおして口を開く。


「早く戻っていただかないと。北海道に戻ったら、ご友人とのお約束があるんですから」

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