84.まだ何かが残っていると思うのなら、時間が許す限り立ち向かえばいい。
まだ何かが残っていると思うのなら、時間が許す限り立ち向かえばいい。
終わったと思っていたことでも、何か別口から"続き"が見られたのなら、それを調べない手は無い。
少しでも自分の中の引き出しを増やすのさ、その積み重ねが大事になってくるんだ。
「沙月様?」
群青色の空から黒い雨が降り続く通りの片隅。
土産物を配り終えて、ボーっと立っていると、ようやく八沙がやって来た。
「どうしたんです?傘もささないで」
声の方に顔を向けると、そこに居たのは、番傘をさした、私と良く似た少年。
その顔を見てハッと我に返ると、何も傘をさしていない私の体はずぶ濡れになっていた。
「あっ、あー。雨に当たりたくて?」
「無理があるでしょう。何かありましたね」
慌てて傘をさしてももう遅い。
八沙のジトっとした目が向けられると、私は苦笑いを浮かべるしかなかった。
「段陀に会ったんだ」
「え?何処でですか?」
「そこの茶屋で。八沙、私の命は明日までみたいだよ」
素直に話すと、八沙の顔が少し引きつる。
「何も起きなかっただけ良い事にしようと思ってね」
「そうは思って無さそうな様子に見えますが」
「色々とあったの」
ずぶ濡れの体。
濡れた和服は身動きが取り辛い。
八沙の横に並ぶと、どちらからともなく、モトの家の方へと歩き出した。
「茶屋の前で団子を食べてたの」
「はぁ」
「で、バッタリあって、話してさ。向こうは私を明日のうちに殺したがってる」
「向こうからすれば、こちらを見つけ出すのは簡単だと言いたげですね」
「実際そうでしょう。なんか、気づいたら色んな妖が私の事を知ってるもの」
そう言いつつ、垂れてきた水滴を拭う。
「ところで、ちょっと遅かったけれど。八沙は何処へ行ってたの?」
「早めに終わっていたのですが、時間もあったので、"2人"の元に行ってました」
「あー、元々は"現実"に居たっていう?」
「はい。どちらもさっきの天狗と似たような妖です。得られた情報も大差無かったですね」
八沙は苦笑いを浮かべつつ、小さく肩を竦めて見せた。
「何かがあるとすれば、明日。そうじゃなくても、段陀が襲い掛かってくる。となれば、今日は何もしなくて良い日ってことになりますね」
「そうみたい。手は出さないから、好きにしろって言われたもの」
「ならば、しっかり休んで準備万端整えましょうか」
そう言うと、八沙は私の体をジッと見つめてくる。
上から下まで、じっと見まわした彼は、私の顔を見るなり「ふっ」と鼻で笑った。
「何さ」
「少し早いですが、オフにしてお風呂にでも浸かりましょうか?」
「んー、まぁ。雨が上がってからの方が良いんだけど」
「暫く上がりませんよ。それに、ずぶ濡れのままってわけにもいかないでしょう」
通りを歩いて、気づけばそろそろモトの部屋の近く。
八沙は数歩先に行くと、クルリと私の方に振り返る。
そして、ハッと何かに気づいた様な顔を浮かべた。
「そう言えば、あの部屋、風呂ナシでしたが。沙月様、お風呂入ってました?」
「失礼な。銭湯に行ってたよ」
「え?あそこは混浴ですよね?…人の常識からすれば」
「気になったのは最初だけ。入っちゃえば、なんかもうどうでも良くなったの」
八沙の問いに素直に答えると、彼は何とも言えない表情を浮かべて立ち止まる。
数歩先に居た八沙に追いつくと、八沙は再び私の横を歩き始めた。
「恥じらいってのが無いんですかね?」
「最初はあったって。でも、なんか。区別ないんだーってのを見てるとね」
「んー。沙月様。僕もどういう反応をすれば良いか分からないのですが、気にならないの度合いが問題です。"見てしまった上で"慣れたのなら…それはそれで問題ですがまだいいとしましょう。そうじゃないなら…」
「"見てしまった上で"?あぁ、安心して。元治も私も裸じゃなくて浴衣着てたから」
「それでも、こう。透けるでしょう?」
「うん。でもね、なんかこう。もう、男だとか女だとかは気にならないというか」
素直にそう言うと、八沙の表情が固まる。
「そうですか」
「言わなくても分かってるよ」
次に何を言い出すかは想像がついている。
八沙にそう言って釘をさすと、彼は言いかけた何かを口に出さなかった。
暫くの間無言になる私達。
黒い雨が降りしきる中、モトの部屋がある長屋まで後少し。
角をあと一つ曲がれば、長屋の姿がボンヤリと見えてくる頃。
「沙月様」
角を曲がった直後、八沙が口を開く。
何も言わずに、彼の方に顔を向けると、八沙は私の方に顔を向けた。
「銭湯から帰ってきたら、ちょっとだけ時間貰えますか」
「え?時間があるから、良いけれど」
「ありがとうございます。そこまで、妖になってしまっているのなら、少しだけやっておきたい事がありまして」
八沙はそう言うと、懐から"黄紙の呪符"を取り出す。
滅多に見ない呪符。
使ったことがない呪符。
それを見て、思わず「え?」と声を上げた。
「持ってたの」
「沙雪様から、何かの時に持っておけと言われましたので」
私の問いに、あっけらかんと答える八沙。
だが、口調の割に、その表情は明るくない。
「今度の日曜日、藤美弥様との約束を果たせますかね」
「無理なら、無理だったって事でしょ」
「そう言うものじゃないですよ。あの2人、ちゃんと沙月様を見てくれているのですから」
彼はそう言うと、"黄色い呪符"に念を込める。
そのまま、私の方に体を向けると、その札を私の首筋に押し込んだ。
「え?今?」
「前準備です。時間が掛かるもので」
"黄色い呪符"は、念を込められれば、そのまま黄色の光を放つ。
それを首筋、私の体の中に取り込まれていくかの様に押し込まれると、私の視界は、急激に色付き始めた。
群青色の空は、"現実"の空と同じ灰色に。
黒い雨は、"現実"の雨と同じような透明に。
「これは」
周囲を見回せば、それまでは、絵巻の中のような色合いを見せていた街の景色が、"それらしい"色に変化していて、一気にこの"異境"に"現実味"が混じってくる。
「沙月様、何か変わりましたか?」
声をかけられて頷きつつ、彼の方を見てみれば、八沙の姿だけは変わっていなかった。
「滅多に使われない意味が分かったでしょう。その光景は、僕達の見ている光景です」
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