61.常識が通じない世界ならば、そういうものだと納得させるのも必要だ。

常識が通じない世界ならば、そういうものだと納得させるのも必要だ。

普段いる世界と違うのなら、そこの常識に合わせて、自分をどうするか決めるべきだろう。

どうしても嫌なら、立ち去ればいい事だし、見なくて済むなら、それでいいじゃないか。


「さーて、モト。これからどうするか考えようじゃない」


空が藍色の闇に染まり、通りに吊るされていた提灯の光が消えた頃。

通りのあちこちにある蝋燭や、妖が持つ手持ち行灯のお蔭で何とか歩ける夜。

収穫が得られなかった1日の終わり、夕食を済ませて部屋に戻り、準備を整えて出かけた先は、近所にあった銭湯だった。


巨大な煙突が3本も伸びた、大層大きな建物。

周囲は飲み屋街、明るい空気が充満し、建物から湧き出る湯気からは、微かに石鹸の心地よい香りが混じっていた。


「江戸時代みたいだなんて言ってたし、よく考えて見れば、妖に性別なんて区別無いよね」

「ああ。思いっきり抜けてた」

「モト、来た事あるの?」

「無いんだよな」

「そう、なら許す」


風呂道具を持った私達。

道の隅によけて、陽気な妖達が次々に入って行く様子を眺めていた。


「戻るか」

「そう?」

「え?入る気だったのか?」

「あの手の妖が入れるなら、何か着るものあるでしょ」


驚いてこっちを見た彼に、入って行く妖を指し向ける。

冥暗の連中の本体のような、全身骸骨姿の妖。

触れればそのままバラバラになりそうな姿。

そのまま曝け出して入るというのも、ちょっと変だろうと思った。


「浴衣みたいなさ、岩盤浴入る時に着るやつ」

「あぁ、それなら。良いか」

「流石に、裸だったら私も気が引けるけど」


そう言うと、彼の前に立って銭湯の中へと入って行く。

暖簾を潜ると、私が知っているような銭湯とは随分違う様子が見て取れた。


入って直ぐ、履物を脱ぐ場所があって…正面に番頭さんがいる。

パッと履物を脱いで、周囲に倣って隅に並べると、丁度暇そうな番頭の前に立った。


「ねぇ、初めてなんだけど。なんか着て入れるの?」

「アア。オマエ"ラ"、アレ、ツカエル。ソナエツケ」


番頭の妖が、そう言って壁にかかった浴衣の様な物を指さす。

ベージュ気味の白いそれは、少し薄手だけど、まぁ、許容範囲の厚みがある浴衣。

隣に来ていたモトと、それを見合うと、何も言わずに頷いた。


「料金は?」

「ウエ」

「ふむ。じゃ、2人で」

「ドウモ。ソコカラ、フロ。アノ、ハシゴ、アガレバ、ノミドコロ」

「ありがと。行こっか」


2人分の料金を払って、軽く案内してくれた妖に礼を言うと、そのまま番台の奥へ進む。

暗いのは間違いないが、所々に蝋燭の光が灯っているせいで、思った以上に暗く感じない。

周囲の妖の表情の明るさや、聞こえてくる楽し気な喧騒のせいで、寧ろ明るく感じる程。


番台の奥の、ちょっとした広場の様なスペースを真っ直ぐ進み、引き戸を引いて奥に行くと脱衣所。

モトと一緒、異性と一緒というのは、まぁ、先ず有り得ない事をしているが、不思議と恥ずかしさは無かった。


ここまでは。


「さて、パッと着替えてサッと…」


少し混みあった脱衣所。

浴衣に着替える妖の姿を見回して、モトの方に目を向けて、ようやく"現実"に戻される。

狐面を取り払って、既に顔が赤かった彼の顔を見た私は、一気に耳まで赤く茹で上がった。


「着替えのこと忘れてたな」

「…そだねー」

「隅と隅で別れりゃいいか。入り組んでるし」

「…そだねー」

「さっきの威勢はどこへ行った。着替えたら、入って直ぐのとこで待ち合わせよう」

「リョーカイ」


モトと別れると、脱衣所の隅に向かう。

棚が乱雑に置かれて入り組んだ脱衣所。

妖を除けて、見つけた隅のスペースに体をねじ込んで、持って来た風呂道具を、棚に備え付けられたカゴへ入れた。


パッと和服と下着を脱いでカゴに入れ、代わりにカゴの中にあった浴衣を身に着ける。

袖を通して、自分の体を見回してみれば、まぁ、許容範囲といった所。

小さくため息を付くと、カゴに入れていた風呂道具を取って待ち合わせ場所へ急いだ。


入り組んだ脱衣所を少し戻って、脱衣所の入り口から、真っ直ぐ進んだ所にある引き戸を開ければようやく浴場が見えてくる。

真っ白に染まった視界、風呂の湯気が一気に周囲にまとわりついて、さっきまでの羞恥が何処かへ吹き飛ぶと同時に、じんわりと汗が噴き出てきた。


「沙月」


入った辺りで周囲を見回すと、私と同じ浴衣に袖を通したモトが声をかけてくれる。

彼の方を見ると、少し先に来ていたはずのモトは、すっかり汗ばんでいて、サウナに入った後の様に見えた。


「凄いね。ここ」

「だな。暑くて風呂に浸かれるか不安だけど」

「入ってみれば、スーパー銭湯みたいなもんだね」


2人、少し離れれば白い湯気に姿を消されるからと、近い距離を保って歩く。

向かった先は、洗い場だ。

入ってみれば、そこは江戸時代というよりは、現代のお風呂によく似た作り。

大きな浴槽が幾つかあって、その横に洗い場が並ぶ形。


「結局脱ぐ羽目になるわけで」

「なんか、この中に来たらもう関係無いよね。そもそも暗いし」

「流石に2つ3つは離すぞ」

「無理じゃない?開いてるスペース的に」


ズラリ並んだ洗い場。

シャワーも鏡もそこには無く、あるのは延々と水があふれ出る小さな湯船の様な物に、桶と風呂椅子が備え付けられているだけ。

そこに妖が並んでいて、随分と混みあっている様だった。


「さっきの真っ赤な顔はなんだったんだ」

「さぁ?なんか、さっきは恥ずかしかったけど。今は別に」


白い湯気に包まれた洗い場。

青白い肌が、赤く上気していたところで、それはこの湯気のせいだと言える。


「ササっと洗って、早いところお湯に浸かろ」


開いている場所に陣取って、桶でお湯を掬ってザーっと頭から被った。

少し熱めの温度設定。

ヒリつく痛みに目を瞑って、少しの間何もせず、それからゆっくりと目を開けた。


「熱いね」


濡れた髪をわしゃわしゃ混ぜて、後ろ手に髪をあげて、モトの方に振り向くと、丁度彼も似たような事をやって私の方に顔を向けている。


「髪。上げた方が似合うんじゃない?」

「たまに上げてるけど。面倒なんだよな。セットするの」

「あー、分かる気がする」


持ってきていた風呂道具の中からシャンプーを取り出すと、不意に悪戯心が湧き出てきた。


「髪洗った後でさ、背中でも洗ってあげよっか?」

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る