59.普段と違う場所で目覚めるのは、何故か気分が良い。
普段と違う場所で目覚めるのは、何故か気分が良い。
不安だとか、そう言った類の感情になることは滅多にない。
寧ろ、普段通りの1日を送らなくても良いのだという、不思議な解放感に浸っているのさ。
「ふむ」
手にした呪符に念を込め、そっと手から放して捨てると、呪符は塵となって消えていく。
オレンジ色の空の下、起きてすぐに向かったのは、"扉"がある高台の広場。
昨日、私達が"組み手"をやった形跡が色濃く残る広場で、私は口元を引きつらせた。
「どうだ?」
横に立つモトが尋ねてくる。
彼の手に、もう呪符は残っていない。
「赤になる頻度は高いけれど、この間よりもずっと使い分けが出来てるし、威力も出てる」
「今年に入ってから、急に出来るようになって来たんだ」
「こんな場所に居るからさ。面無しでこれなら、そろそろ止めた方が良いと思うんだけど」
喜ぶ声色のモトに釘をさす。
小さな溜息を付いたのち、こちらを見据えて首を傾げた彼に、私は耳の裏に手を当てて見せながら言った。
「傷を触った限り"危ない"のさ。この間、私が"百鬼夜行"使ったのは知ってるでしょ?」
「ああ」
「その後の後遺症というか、どうなるか分かってる?」
「知らない。いや、何となく聞いたことがあるけれど、ピンと来ない」
「一歩"妖"に近づくのさ。妖になるのが正しいか。私は、次の日、1日だけ"妖"になってた」
そう言いながら、近場の柵に寄り掛かる。
碁盤の目の街を背にして、モトの方をジッと見つめると、彼は少しスンとした顔になった。
「妖言葉に、思考回路も妖のそれ。それも、どっちも、"現実"の妖のじゃない」
「"異境"の?」
「そう。"現実"の妖なら、なったところで元人間って区別が付くだろうし、対して問題じゃないと思うのさ。でも、"異境"は違うでしょ?」
彼は眉を潜めながらも、首を少し傾げる。
「"現実"と"異境"の妖の違いは、人に対するスタンスさ。"現実"は最早共存関係。"異境"どこまでいっても妖が上。この"異境"は本当に例外というか、珍しいけれど。結局、彼らにとって人は"下"なのさ。エサとして見てんだか、そもそもその辺の害獣扱いか。そんなもんさね」
そう言いながら、少しだけ乱れた和服を正した。
昨日とは違って、汗一つかいていない体。
それなりに運動しているというか、体は動かしたし、それなりに気も使ったはずなのだが。
「まだ、モトは汗ばんでるから、私みたいになるまでは"もう少し"猶予がある」
私の目が向いた先。
モトは、少しだけ和服が濡れる程度には汗ばんでいた。
それもそうだ。
部屋からランニングして、山登りまでしてここまで来て、使うにはそれなりに体力を持って行かれる"呪符"を操っていたのだから。
「私もねぇ、小学生位までは汗っかきな方だったんだけど。今はこの通り。こうなるのも"近づいてきてる"証拠さ」
そう言って、街の方を振り向いて、妖の放つ"喧騒"が夜中のソレと変わった事を感じる。
モトの方へ向き直ると、寄り掛かっていた柵から離れて、何も言わないでいるモトの横に並んで、ポンと彼の肩を掴んだ。
「偶には"現実"で人と触れ合わないと。上から下まで、ここに持ってかれるよ」
どちらからともなく、来た道を戻って行く。
「そうだな。そこまでは、考えてなかった。でも…」
「もう少し…だなんて思ってたら、あっという間さ。去年までのモトじゃないんだもの」
広場を出て、獣道のような山道を下って行く。
「少しは"現実"とのバランスを取らないと駄目だね」
「難しい注文だな」
「揃って友達少ないもんね。高校上がって、普段話す人いないの?」
「いないよ、沙月と違って」
「…学校外とかは?」
「そっちじゃ"洛波羅"が邪魔してて」
「じゃ、いっそのこと、思いっきり場違いな界隈に顔を出すとかは?」
ロクでも無い会話。
モトは、顎に手を当てて考える素振りを見せると、私の方へそっと顔を向けた。
「それは、無くは無いな」
「へぇ?どんな所さ」
「ライブハウス。市街からはちょっと逸れてて。ちょっとラフな格好になれば、"変な人"になり切れる」
モトの声色は、何処か楽し気。
思ってもみなかった単語を聞いた私は、ただ、「はぁ」と言うしか無かった。
「モト、音楽系好きだったっけ?」
「いや、何が切欠か忘れたけど、なんか入ってみたら、ダンダンってギターが居るバンドの曲を聞いて、良いなって」
「ダンダン?」
「バンド名も曲名も分からないまま聞いてて。偶に、フラッと行ってる」
「へぇ…ダンダン。知ってるダンダンかな。偶に聴くバンドのボーカルだ」
「良いのは曲だけだけどね。後は酷さしか残らないから、聞き終わったら皆で脱出競争さ」
「じゃ、違うかも…凄い世界もあったもんだね」
苦笑いを浮かべ、目前に迫って来た"街の隅"に目を向ける。
「さて、聞き込み2日目だ」
腕を組んで、頭の上に伸ばして、んーっと伸びる。
話題転換、空気も変えて、寝起きの気分を頭の隅に追いやった。
「今日はどの辺回る?」
「さぁ、適当に、昨日回ってた所から足を伸ばす位で良いんじゃない?」
「だったら、中心部に行かない?碁盤の目の真ん中」
「響きだけなら、妖が沢山居そうだけど」
「行列のコースからは外れてるんだけどね。その辺、施設とか店が多い気がするし」
「手掛かりが無かったら、なんか都会に出てきたばっかの田舎娘みたくなりそう」
「田舎娘って。京都の街中歩きなれてる癖に」
「田舎者は田舎者さ。騒がしい所にずっとってのは落ち着かないもの」
「そうは見えないけど」
肩を竦めるモト。
「帰ったら、呪符だけ補充?」
「そうだね。朝は…どっか茶屋が開いてるでしょ」
「ああ」
そうこう言ってる間に、丘を下り降りて街に入った。
「なんか、今日も何も無い気がするんだけどさ。こういう日に限って何かあるんだよね」
周囲に増えてきた妖達に紛れて歩く。
モトは周囲の妖の様子を見回しつつ、コクリと頷いた。
「何かあった?」
「いや、結局、普段と変わらない」
「そう」
「ただ、なんかこう。浮ついた感じがする」
「そりゃそうでしょ。お面付けて無いんだもの」
「ああ、そっか」
「もっかい出て来るときには付けないとね。まだ、こっちの空気は"毒"だろうから」
そう言いつつ、残していた最後の1枚の呪符を取り出すと、彼の首元に雑に貼り付けた。
驚いた顔を見せた彼に、ニヤリとした顔を向けると、呪符に念を込める。
「残してたのかよ」
「イザって時のためにね。ま、何も起きなかったから、こういう使い方でもするさ。これで、暫くの間は、この空気からモトを"護って"くれる」
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