43.暫く好きな物を食べていないと、本当に好きだったのか怪しくなってくる。
暫く好きな物を食べていないと、本当に好きだったのか怪しくなってくる。
見た目は覚えている通り、味もその通り、だけど、期待が勝った感覚に囚われる。
美味しいは美味しい、手は止まらない、だけど、ちょっと思ってたのと違うっていうのは、贅沢なんだろうけどさ。
「やっぱこれに限るわぁ」
そう言ってテーブルに置いたのは、ラムネが入った大きなジョッキ。
狭い小路の中の、今では有名になってしまった食事処の2階。
窓の外はすっかり暗く、ちょっぴり暗い明かりが灯った店内の、テーブルの上には"好きな物"がズラリと並んでいた。
「これは、快気祝い?それともお仕事終わりの?」
「どっちもでしょう。沙雪様方の方も終わったわけですし」
上機嫌で料理に手を伸ばす。
その横で、沙絵は日本酒の猪口を片手に辺りを見回していた。
「閑散としていますね」
「そりゃ、間違っても、この連中に絡まれたくないもの」
他のテーブルを見る限り、必ず待ち時間があるほど混む店に、他の客は見当たらない。
代わりに、2階の殆どを埋め尽くした面々の方に顔を向ければ、その理由は一目瞭然だった。
「普通な方々ばかりなのですが」
「絶対、八沙辺りには目も合わさない」
「またまた」
「私だって、関わりたくない人種くらいあるんだよ」
冗談を言い合う私達の奥。
八沙が音頭取りになった集団の姿が見える。
髪色がおかしな大男と、派手でケバい女の集まりだ。
八沙を除けば、その殆どが、積丹に棲み付く"鬼"。
その中に微かに見える、お淑やかそうな男女は皆"天狗"。
八沙が首領の、積丹周辺を根城にしている集団、"
「で、あのノリについて行けない面々はこっちに来た。と」
その集団から、私達の座る卓に目を向ければ、沙絵の下に付く妖達。
こっちはこっちで楽しそうに酒を交わしている。
「怪我は無かったんだね」
「お陰様で。"百鬼夜行"が無ければ怪しかったですが」
何気なく目を向けた先、目が合った妖に小さく会釈を一つ。
それから自分の前に視線を移すと、若鶏が湯気を立てていた。
「母様達が来る前に食べ終わっちゃうな」
カリッカリに揚がったそれに手をつけて、豪快に引き裂いて小皿に取る。
油で汚れた手を布巾で拭い、箸を手にすると、顔が和らいだ。
「おっと。来たみたいですね」
割いた若鶏を口に入れた直後、沙絵の言葉に振り向けば、階段の方に動く人影が見える。
私と同じ白菫色の髪をした女2人に、その後ろからは、スーツ姿の男が1人。
母様に、おばあちゃんに、父様が一緒に上がって来て、周囲の面々と挨拶を交わしながらこちらに来る。
"神岬漁酒会"の面々なんて、食べ始めてまだ10分ちょっとも経っていないはずなのに、もうすっかり出来上がっていた。
「お待たせ」
私と沙絵の前。
3人分だけ開いていた席に腰かける。
自然と表情が綻んだ。
「んー」
「沙月様。食べてからにしてください」
「ん。遅かったね」
「大剛が遅かったからよ」
「大剛さんは関係ないでしょ。そこで合流だったんだし。書類仕事に遅れただけさ」
母様がおばあちゃんにドヤされる。
それを横目に、父様が少しだけ苦笑いを浮かべて肩を竦めた。
「悪かったな。家、開けっ放しで。で、沙月、体は大丈夫なのか?」
「うん。昨日の内には戻ったから大丈夫」
「そうか。俺は、正直サッパリ分からんが…無茶はするなよ?」
「大丈夫大丈夫」
そう言いつつ、並んでいる寿司に手をつける。
気分は時間を追うごとに晴れていった。
「"初めて"任せてみたけれど、最初はそんなもんだ」
「そうね。思ったよりも上手くやれてたわ」
「沙雪はもっとひどいオチだったから、上出来だよ」
「母さん…」
「へぇ…」
「沙雪様の時、あぁ、確か駅前で」
「言わなくていい!沙絵、ガリ取って!」
「え、嫌です」
「沙絵?」
「はいはい」
イクラの軍艦を頬張りつつ、母様達の会話に笑みを浮かべる。
飲み込んで、お吸い物を一口飲んで、また次のネタに手を伸ばした。
「沙月」
おばあちゃんの声に、ピタッと手を止める。
「"百鬼夜行"。よく最後まで我慢したね」
「んー…無くてもいけるかなって。使う気も無かったの。最後は、油断しちゃったから…」
「使わなければ、沙月様の身が持ちそうにありませんでしたから」
「そうかい」
おばあちゃんはそう言いつつ、私の顔を、顔の一部、傷の辺りをジッと見つめていた。
私も私で、おばあちゃんの顔の、同じ場所に付いた傷をジッと見つめている。
目の下から、耳の裏まで行ってしまいそうな私の傷と違って、おばあちゃんや、母様についている傷は、目の下辺りで止まっていた。
「ただ、暫く沙月は手伝わせられそうにないわね。母さん」
「そうだねぇ。暫くは"人"と過ごさないといけない。そう言えば、受験が近かったっけ」
何気ない会話に出てきた、現実。
ピキッと表情が引きつり、その単語に反応した父様が私の顔を見て首を傾げる。
「藤美弥さんに見てもらってるって沙絵から聞いてるんだが」
「割と、最近は良い調子でしたよね?沙月様」
「まぁ。それなりには」
「昨日今日で忘れるわけありませんものね」
横目に見る沙絵は、実に楽しそうに笑っていた。
「丁度良かったわ。もう2月だし、ちゃんと進学してもらわないとね」
「そうだね。受験が終わるまで。いや、卒業するまでは、呪符も触っちゃ駄目」
「暫くは大人しく勉強漬けだな。ま、何だかんだでやってたんなら大丈夫だって」
真面目な母様とおばあちゃん。
最後に、少しだけ酔った様子の父様がそう言うと、父様はそれなりに量が残っていたビールを一気に飲み干した。
「来月だろ?直ぐだ直ぐ。終わっちまえば、大したことないって思えるさ」
スーツ姿の父様は、そう言いながらネクタイを外して頭に巻く。
あっという間に顔が真っ赤に染まった父様は、唖然とする私を前に、バッと立ち上がった。
「んな、シケたことなんて止め止め!メリハリつけんのが大事さ。今は飲んで飲んで食ってだ!」
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