42.夏に見たい景色だけど、その景色を冬に見たって綺麗に違いない。
夏に見たい景色だけど、その景色を冬に見たって綺麗に違いない。
夏ばかり取り上げられて、皆夏の景色を見に来るけれど、その手の景色は冬も綺麗なのだ。
寒いのが玉に瑕だけど、天気が良ければ、綺麗に雪化粧した景色を独り占め出来る時だってあるのさ。
「なしてこうよ、最近の曲ってなぁ、ガチャガチャすんのかね」
八沙はそう言いながら、ラジオの選局を変えた。
雪が降り積もった後の道、八沙はすっかり慣れた様子で車を走らせる。
学校を休んだ月曜日、無事に病院を退院できた私は、彼に誘われ積丹の方に向かっていた。
「新しいものには慣れておかないと、その格好しちゃ駄目なんじゃない?あー、八沙の若い頃は、琵琶の音だけだったか」
「抜かせ!ちゃんとした楽器の幾つか位、あったわ。覚えちゃねーけっどもよ」
「あ、この曲懐かしい」
選局が終わったラジオから、少し前に良く聴いていた曲が流れてくる。
スイッチに手が伸びていた八沙は、ピタッと指先を止めると、その指先をシフトレバーに持っていった。
「に、してもさ。唐突過ぎない?積丹行くぞ!って」
「沙千に言われたのさ。後始末すっからって。大剛は仕事だし。世話任せたわってよ」
「別に、家でゆっくりさせてくれりゃ良いのに」
「んなもん、お前。偶の休みに、座敷童にしか見えねぇこと、するもんじゃねぇさよ」
まだ、本調子とは言えない私に、八沙はそう言って豪快に笑い飛ばすと、私の頭をグシャっと撫でる。
「夜はめんま連れてってやるって言ってたぜ。俺等も居っけどな」
「本当?」
「嘘言ってどーするよ」
「じゃ、今は?」
「適当に風呂行って、飯食ってりゃ、良い時間になるだろ」
「そういうこと」
ようやく、病院から家に真っ直ぐ帰らなかった意図が分かった。
サンバイザーを下ろして、その中に仕込まれていた鏡で自分を映してみれば、目の下に真っ青なクマが出来た、不健康そうな女が映り込む。
ボサボサの髪は寝癖よりも酷く見え、姿も変えていない素の私は、どう見たって10代半ばには見えなかった。
「そう言えば、なんか見覚えある中じゃない気がするけど。また車変えた?」
トンネル続きの道は、昔と違って退屈。
ラジオの音を聞き流しながら、車内を見回して問うと、八沙は口元を大きくニヤつかせる。
「前に乗ってたやつ、新車が出てな。つい」
「じゃ、これも外車だ」
「もう、国産で乗りたいのもねぇものな」
「ずーっと前のやつ、最近テレビに出てたよ。女優さんの車で」
「シーマか。あれもなぁ、サビんだよ。この辺りだと」
「そうなんだ。好きだったんだけどなぁ、アレ」
「何時の話だ。お前も案外、最近の若者じゃねぇよな」
「今更」
そう言って窓の外に目を向ける。
トンネルと、トンネルの僅かな隙間。
遠くにローソク岩を眺めて、またトンネルの中へ。
「ローソク岩、小っちゃくなった?」
「そうなんでねぇの?」
ここを通るたびにしているような会話。
不意に、八沙は、思い出したように左腕を目の前に出してきた。
「ん?」
その腕の先、手先を見れば、向けられた先はグローブボックス。
何の考えも無しに開けば、ちょっと整理されていない、中の様子が目に映る。
苦笑いを浮かべながら更に探ると、見覚えのある箱が目に付いた。
「沙雪から伝言があったんだ。ピアス入れとけってよ」
「あぁ、そういえば」
「あと、暫くの間は面も何も無しで過ごせよ。この間の様子見てっと。お前は"こっち側"に来やすいみてぇだしな」
トンネルの中。
オレンジ色の光に照らされた八沙の表情は、さっきとは全然違っていた。
「で…だ」
どこかバツの悪そうな顔。
大男がするような顔じゃない。
「すまねぇ。この間は、俺が抜かった」
「どうしたのさ。急に」
「豊宝山に付いていたのは俺だからな。目の前で、奴にしてやられたのさ」
彼の声は、普段よりも一段低い。
何も言わずに、ドアに手をあてて頬杖をつくと、一瞬の静寂が車内に生まれた。
「"蜃気楼"の使い方の問題だ。あの伊達男見てぇなのしか居ないと、タカを括ったのさ。薄く、広範囲に掛けられるとは思っちゃいなかった」
「大妖怪さんでも、そう言うときくらいあるでしょ」
「いや、そうじゃない。舐めてかかっただけなんだ。やられたときに、ハッキリ気づけた。騙す腕は負けちゃいないんだ。ただ、見せ方で負けた」
そう言う彼の横顔は、何処までも変わらない。
少しだけ悔しさを滲ませた様な顔。
「その見せ方も、1度ならず何度もやってたやり方だったんだぜ」
「と、いうと?」
「騙すなら、普段の景色の中に、微妙に違うのを混ぜるだろ?」
「そうだね。やられたときは、そうだったかも」
「それなんだ。奴ら、ジワジワと、普段の景色の中に混ぜ込んでたのさ。俺らが何度も何度も通った道の脇にな」
「そういうこと」
「おかしいと思わなければ、そもそも調べない。"蜃気楼"だなんて、何かで検知出来るもんでもねぇしな。単純に、騙し合いに負けたんだ。見事なまでに隙を付かれた」
ハンドルを持つ手、その指先が、トントンとリズムを奏でていた。
「気づいた時には、女は高笑いして雪に消えてって。俺は骸骨集団のド真ん中でさ」
「それで、私の前に来たわけか」
「あぁ。だろうよ。"異境"の連中を敵に回すなら、俺もまだまだだったな」
大昔、京都を惑わせた大妖怪が、そう言って奥歯を噛み締める。
「余裕は敵だって、学んだはずなんだがなぁ…」
「まぁまぁ、結局は何とかなったんだから。それでいいじゃない」
「"百鬼夜行"なんて出されりゃ、反則よ。そうなった時点で俺等の負けみたいなもんだ」
そう言うと、彼の目が細められた。
遅れて私も目を細める。
トンネルを幾つか越えた先、見えてきた町には、快晴の空が広がっていた。
「受験が終わったら、どうする気でいる?」
「さぁ。普段より早く寝て、普段より早く起きて、体を動かしたいかも」
八沙の問いに、曖昧な答えを返す。
こちらに目線を切った彼の顔が、少しだけ細められた。
「気配に気づけないのは、不味いと思うのさ。その辺が鈍いと思う」
そう言いながら、手を前に突き出した。
開いた手の先に、見慣れた冬の景色が見える。
「まだ、人で居られた方が良いかなぁと思うんだけど。そうじゃない様な気もしてて」
その手を握って、ゆっくりと膝の上に手を置いた。
「中途半端なままでも良いのかなぁ…って、どっちつかずでさ」
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