39.雪の冷たさは、頭を冷やすのに丁度良い。
雪の冷たさは、頭を冷やすのに丁度良い。
悩みに行き詰ったのなら、フカフカの雪にダイブして雪に埋まってみればいい。
すーっと冷たさに包まれて、そのうち真面な考えが浮かんでくるようになるはずだ。
「…ハ…ッ…ガァ…アア…」
運河通りの往来の中。
雪の積もり始めた往来の中、ビルから吹き飛ばされた私は、成す術なく墜落した。
全身が痛み、血が滲み、体は全く動かない。
息をするにも、空気が入ってこない。
「ァア…ッ…ッ…!」
口を開けて足掻けば、出ていくのは言葉にもならない声だけ。
頭はこんなにも動くというのに、肺は空気を取り込もうともしない。
口から入ってくるのは、吹雪に近くなった、横殴りの雪だけだ。
「沙月様!」
意識が遠のいていく最中。
誰かの声が、私をこの世に引き留める。
血が滲む目を開けてみれば、沙絵の姿がそこにあった。
「失礼しますね」
彼女は傍にしゃがみ込むなり、直ぐに私の体を抱え起こす。
「あ!…う、うあぁあぁあぁあぁあぁ、あぁあぁあぁ、あぁあぁあぁあっ!」
全身の骨が一斉に軋みだした。
叫ぶ私、沙絵は意に介さずに呪符を私の額に押し付ける。
「大丈夫ですって。大した怪我じゃありません」
人の目に付く往来。
沙絵は、余裕な態度を崩さぬまま、呪符に念を込めた。
呪符が体に入り込み、痛みが消えていく。
「周囲の人間は、夢の中でしょう。車の往来は、上に無理言って止めさせましたから」
顔中に脂汗を滲ませた私を抱えた沙絵は、運河の古い建物の上に飛び上がる。
雪の積もった屋根の上、彼女は、転びそうになる私を肩で支えてくれた。
「おっとぉ。まさか助けが間にあうとはね!でも、そんな雑魚妖怪に何が出来る!?」
遠くまで良く通る、女の甲高い声。
薄く開いた目を声の方に向けると、居たのは運河通りのド真ん中。
妖達は、既に人の中に紛れ込んでいた。
「あの子たちに手こずるようじゃぁ、アタクシ達を止められなくってよ?」
嘲る声、向けられた視線の先に見えたのは、大勢の骸を相手に奮闘する"白龍"達の姿。
とても、優勢には見えなかった。
「所詮、都落ちの"防人"様。力なんてないものねぇ…絵を描く事しか出来ないんでしょ?」
「い…ほ…ざいてろ」
虚ろな瞳を浮かべた人の往来のド真ん中。
こちらを見て煽る女は、遂に近場に居た人間の腕を掴みあげた。
刹那、掴まれた若い女の細い腕に、薄っすらと骨が透けて見える。
「じゃ、そろそろ。頂くとしましょうか!」
遂に女は、感情を感じさせない顔へ変化を遂げた。
それを見て目を剥いだ私に、沙絵がポンと肩を叩いてくる。
「そろそろ、頃合いでは?」
微かに怒声が混じっているものの、しっかりと冷静さを保った声。
「あの女は、この瞬間。一線を越えましたよ?」
耳元で聞こえる、陰鬱な沙絵の呟き。
私は、ようやく動かせるようになった左腕で、顔中の血を拭うと、アイドルかぶれの女に向けて笑みを浮かべた。
「あぁ…一線を、たった今!越えたと、そう見なそうかぁ!」
「あらぁ?なんで…そんな…」
気力を振り絞った声、女達は、妖達は、動きを止めてこちらに顔を向ける。
「ハッ!今宵の獲物は、骨ばっかで少し不味そうだがなぁ!選り好みは出来ないよなぁ!」
そう言って、念を込めた左手の指先を左耳裏の"髪が生えていない"隙間にあてる。
刹那、その指先は、辺り一面に"暗闇"を創り出した。
「嘘…よね?嘘よ!」
こちらを眺めて居た女の顔が歪む。
周囲で攻勢を強めていた骸骨たちの動きが一斉に止まった。
「さぁさぁさぁさぁ!祭りだ祭りだ祭りだぁ!」
威勢のいい掛け声とともに、その暗闇から"妖"が次から次に出現する。
"この世"の妖に、"異境"の妖"…そこに区別などない、百鬼夜行のお出ましだ。
次から次へと、闇から妖が噴き出て来ては、骸達の方へと飛び掛かった。
「嘘でしょ!?有希子!」
出てきた1体は、この間"隠した"ばかりの是枝陀先生。
人の姿を保った彼女は、光悦とした表情を浮かべ、酒に酔ったような顔の赤さを豊宝山に向けて突っ込んでゆく。
「待って!有希子!アタクシよ!待ちなさい!あ!あぁぁぁぁ!」
突っ込んだのは、先生だけではない。
暗闇からは、未だに妖達が飛び出てくる。
それらの殆どが、慌てふためく骸を覆いつくしていった。
暗闇から香るのは、強い酒の香り。
"絵を描き取り込んだ"者達は、一様に酔った様子で飛び出てくる。
その中でも、"隠した"者達は、私の意図通りに骸たちの方へと飛び掛かる。
そうじゃない者は、意図通りに動くか、酒に酔って愉快に踊るだけ。
ほんの数秒の間に、運河は"酔った妖"で埋め尽くされた。
「さぁさぁ、楽しんだ楽しんだぁ!」
人と妖達が入り乱れる運河、その境に立った私。
酒に酔った妖達に、易い煽りを入れる。
それに呼応して、妖達は一時の"宴会気分"を上げていく。
「やめなさい!く、来るな!来るなぁ!来るナァ!クルナァ!ヤメロォォォォォォ!」
酒に踊らされる妖に、蹂躙されては"解体"されゆく骸たち。
あちらこちらで、陽気な音頭と断末魔の様な叫び声が入り乱れる。
人に妖に、やるかやられるかの境はあれど、皆一様に変わらないのは、何かに向かって叫んでいるという事実。
狂乱酒乱の夜になった光景を見下ろして、高らかに笑った私は、ようやく体の調子が戻って来た。
「宴だ宴だ宴だぁ!今日は私の奢りさぁ!骨の髄までしゃぶりつくせ!…アーッハッハッハッハッハ!土曜日の夜だ!踊り明かしてやればいいのさ!」
"暗闇"の酒に充てられて。
真っ赤な顔を晒したまま、私は思いの限りをブチまける。
いつの間にか沙絵の支えは無くなっていて、運河のあちこちから"金色"の光が見え始めた。
「それそれそれそれ!喰ったら"隠せ"!楽しい時は"永く続かない"からなぁ!」
いつの間にか合流していた八沙と、沙絵が"赤紙の呪符"を次から次へと金色に輝かせる。
その光は、あっという間に"喰いつくされた"骸骨たちを、何処へと"隠して"いった。
「我等"防人"は!"妖"を"何処かへ隠す"ことしかしないのさ!楽しい宴は皆に任せた!処理は任せて存分に楽しめ楽しめ!今日を逃せば、次が来るかも分からないんだぞ!」
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