35.一つを失えば、それが支えていた物はじきに消える。
一つを失えば、それが支えていた物はじきに消える。
失ったものが大きければ大きいほど、それが支えていた何かは、ゆっくりと、そして派手に崩壊していく。
派手になれば派手になるほど、影響を受けて同時に消えていくものの多いこと多いこと…正直、迷惑だ。
「不法侵入だけど、まぁ良いか」
狐面に隠れた裏で、ボソッと呟く。
平和だと思っていた日曜朝の時間帯。
私を外に呼び出したのは、悪霊に憑かれ易い同級生だった。
狐面を被って、彼が暮らすマンションの外壁を渡って、向かうのは5階の角部屋。
廊下側から馬鹿正直に入ろうとせず、窓側の方を伝って、ベランダに降り立った。
カーテンのかかった窓。
触れて、ノックしても、何の反応も返ってこない。
狐面を半分だけ除けて、傷の入った左目が外に晒された状態で、もう一度ノックすると、中から人の反応が返って来た。
声は返ってこない。
5階の角部屋、外からの来訪者が居るとは、夢にも思わないだろう。
だが、確実に中に居る誰かは、こちらの存在に気づいたようで、微かにこちらに向かってくる気配を感じ取れた。
分厚い二重窓の奥。
シャッとカーテンが開かれる。
寝間着姿だろうか?ラフな格好をした正臣が、唖然とした表情をこちらに向けた。
「やぁ」
直ぐにカーテンが全て開き、窓のロックが解除される。
窓が開くと、正臣の髪が寒風に揺れた。
「沙月?どうやってここに?」
「秘密。今は1人?」
「え?あぁ、親は仕事だね」
「そう。…それで、何も無いの?」
「何も無いけど。どうしたのさ」
彼は、キョトンとした表情を浮かべて答える。
その様子を訝し気な目で見ても、普段の彼とは何ら変わりを感じない。
さっき感じた、"呼び出し"は気のせいだろうか?
頭の中をグルグルと思考が渦巻いていく。
「この間、背中に書いた"御守り"が反応したから来たんだ」
彼の疑問に答えた私は、改めて彼の様子とベランダの周囲を見て回った。
「サッパリ分からないけど。来てくれたんだ」
「当然でしょ。その為のものなんだから。例え夜中でも飛んでくるさ」
緊張感の無い正臣の様子にホッとしつつ、嫌な予感が肌を伝う感覚。
気味の悪さに顔を歪めたが、それも、彼の表情を見ているうちに和らいでくる。
「体調も相変わらず?」
「うん。何も変わらないよ。寧ろ調子が良いくらい」
「そう。ならいい…ごめんね、変な押しかけ方して」
「大丈夫さ。勉強ばっかで飽きてきた頃だったし」
「あー…嫌なことを」
「ハハハ…その様子じゃ、勉強出来てないよね。でも、穂花に楓花が居れば大丈夫だよ」
「簡単に言うね」
「2人に敵う奴学校にいないし、教え方上手いし。今更不安になってもしょうがないしね」
そう言って優しい笑みを浮かべる彼を見て、私は微かに口元を笑わせた。
「ありがと。とにかく何も無くて良かったよ。それじゃ、お邪魔しました」
「ああ、ありがとうね。また」
にこやかに見送ってくれた彼の前で、再び狐面を被って姿を消す。
彼は消えていく私をジッと見て、見えなくなったころ合いで、窓を閉めた。
話している間も、何かが無いかと探して回っていたのだが、どうやら本当に何も無い。
ベランダの柵に飛び乗り、そこで暫く待ってみたが、何も起こらなかった。
「……?」
何時までもベランダに居座るわけには行かない。
ベランダから上へ上へと飛び上がり、マンションの屋上へ向かう。
ここは、高台に立つマンション。
屋上から海の方を望むと、冬景色の小樽の街並みが良く見えた。
「さて、どうするか」
屋上の隅に立ち、景色を眺めて頭を一旦空にして、このまま帰ろうかと思いながら、再びマンションの方へと体を向ける。
「こんにちは。絵描きのお嬢さん。いえ、入舸沙月さん」
不意に声を掛けられ、背筋が凍り付いた。
何処までも裏が無さそうな、返って気味の悪い男の声。
さっきまでは居なかった、2人組の男女が気味の悪い笑みを浮かべて立っている。
「確か、成日影玲さんに、天王慈ここなさん…でしたっけか」
何処からともなく現れた2人にそう言うと、2人は少しだけ目を大きく開けた。
「あら。"防人"界隈でも、アタシは有名人?」
「さぁ。何か用?」
「"ご挨拶"に伺った次第でして」
「ご挨拶?」
服の袖に手を入れた私を手で制した男は、ニコリと笑って礼儀正しくお辞儀する。
袖の中で、"赤髪の呪符"に手をつけたまま、私はじっと男の表情を見据えた。
「"祭り"まであと1週間。楽しい祭りにしたいと思っておりまして」
「ああ、アンタ方の"命日"か」
「手厳しい。祭りに向けて、我々もこれ以上"消されて"は困るわけです」
「だろうね。何もしなければ、私達も何もしないんだけど」
「そうでしょう?なので、我々はこれから1週間。何もしません」
薄い営業スマイルを浮かべ、堂々と言い切った男。
その顔に、体の芯からゾクゾクする感覚を受けながら、何も言わずじっと見つめて、先を促した。
「今度の土曜日の夜8時。運河でお会いしましょう」
少しの間の後で、男はそう言って再び一礼して見せる。
「それまでは、危害を加えることはしませんから」
「次の土曜日も、危害を加えないで欲しいんだけど」
「それはどうでしょうね。貴方達次第と言っておきましょうか」
男の営業スマイルも、徐々に崩れてくる。
その裏に、嫌らしい嘲笑成分が混じってきた。
「…で、何だって来週なのさ。もう1週待てば、綺麗な運河が見られるというのに」
その顔から微かに目を背けつつ、男に尋ねる。
他意はなく、素直な疑問だった。
「地元の人は知らないのですね」
男の顔が、素に戻る。
演技ったらしさも消えて、素直に驚いたという表情。
優雅な所作でスーツの内側に手を入れた男は、何かの封筒を取り出して、それを投げてきた。
「内向きには宣伝していないのでした。こういうのは、"外"から来る人の方が多いので」
男の言葉に耳を傾けつつ、封筒に入った用紙を広げる。
その内容は、本当に何の変哲もない、商店街主催のイベント要綱だった。
「態々"外"から来るのです。こんな田舎の品揃えよりも、もっと良い品が来てくれる!なんて素晴らしいのでしょう」
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