34.そろそろ、何かが崩壊する頃合いだろう。
そろそろ、何かが崩壊する頃合いだろう。
ずっと何かから抑圧され続けていれば、何時かは抑えが効かなくなる。
そうなった時、大抵の場合、発散した側がアッサリと消えていくのさ。
「なるほど?」
日曜日の朝。
藤美弥家の応接間で、沙絵に渡された報告書を見ながらそう言った。
3枚程度の、簡単な報告書。
そこには、"冥暗"と呼ばれる"特定異界域妖人売買組織第6号"に属する妖3人分の情報が書かれている。
「この女は説明不要ですよね。
「うん。ちょいちょい失踪事件絡みで聞いた名前だ。"その時"を見られていないから無罪放免ばかりだけど」
「はい。その通りです。この間の遭遇時の言動や、調査結果を見る限りでは、彼女が司令塔となっていると考えて間違いないでしょう」
「じゃ、先生とか、あの伊達男とかもこの人の下なんだ」
「そのようです。是枝陀有希子は、3年前から西ケ丘中の教員として小樽にやってきています。"冥暗"の常套手段ですね。人に化けて浸透するというのは」
「あの伊達男も?」
「はい。
沙絵はそう言って苦笑いを浮かべると、それにつられて私も口角を上げた。
彼女は報告書の1ページ目の裏を示すと、手にしていた用紙を捲って裏を見る。
「彼は"冥暗"でも異質でしょうね。表の顔はありません。ホームレスです」
「あれで定職についてる方が異質だよ。通りで小汚かったわけだ」
「似た境遇の人間は、死んでも足が付きにくいですからね」
「向上心はあると思うけど、あのガタイじゃ、空回りしてた様だし、ま、お似合いか」
昨日、"異境"の何処かへと"隠した"男の姿を思い浮かべて嫌味な笑みを浮かべた。
細身の体躯を服で着膨れさせて、顔は無精ひげと長髪で誤魔化した男。
そこから出てきた骨の見すぼらしさを考えれば、彼の"表の顔"もお似合いと言える。
「で、この2人は、ルナイでも見たな」
次に目に入ったのは、用紙の2枚目にあった男女の写真。
頭の軽そうな女に、真面目一徹そうな男だ。
「女の方は
「マネージャー?」
「はい。彼女は芸能人。"地下アイドル"に近い存在です」
「なんか奥歯に物が挟まった言い方だね」
「土地を転々としていますから。ある時は本当に地下アイドル。ある時は安い雑誌のグラビアに出てたこともありましたっけか…」
沙絵は思い出す素振りを見せながらそう言うと、用紙を捲って2枚目の裏に目を落とす。
「何れにせよ、彼女が現れたのはここ10年以内。多少姿は変わっていますが概ね変わりありません」
「…聞いてて思ったんだけどさ、"冥暗"の人達の表の顔はどう準備してるの?」
「と言いますと?」
「ホラ、先生とか。人に化けられた所で、余程の使い手じゃないと延々老けないでしょ?」
「あぁ。それでしたら3枚目の裏に」
沙絵に言われて、3枚目の裏側に目を向ける。
「はぁ…なるほど」
「是枝陀有希子は"元行方不明者"。まぁ、大学時代に3日程度の失踪ですが。その時に"入れ替わった"のでしょうね」
「それ以外は、まぁ…源氏名でいける職業か、簡単に騙せそうな身分…か」
「はい。見ず知らずの者に戸籍を与えるのは不可能ですから。例外は…豊宝山美怜です」
「彼女はちゃんと"ある"と。奈良生まれの22歳」
「…しっかりしたものなの?」
「そうなんです。ちゃんと戸籍があるんですよ。ただ、親族全員蒸発。実家が再開発に遭って地上げられたようで、家も無い。過去の手掛かりは一切無しです」
「怪しくても、その怪しさに気づく様な人も居ないのかぁ」
「彼女自身、芸能人としては、居て居ないようなものですし。気づけませんよ」
そう言って、眉を潜めた沙絵は、3枚目の表側のページを開いた。
私も、それに倣って手にした用紙を捲る。
「現在、監視対象がハッキリとしたので、複数名をつけて監視しています」
「ふむ?」
「ですが、"冥暗"の使う"蜃気楼"は、前知識があっても防げません」
"蜃気楼"という言葉に、昨日の伊達男が使った"蜃気楼"を思い浮かべた。
確かに、前知識があった所で防げるはずがない。
"赤紙の呪符"から出た靄ですら、"蜃気楼"から簡単には逃れられなかったのだから。
「昨日、沙月様が"隠した"草賀田舘雄ですが、彼の"蜃気楼"はまだ気づき易い方だとか」
確かに沙絵の言う通り、彼の蜃気楼は、知っていればアドリブでなんとか出来る程度。
言われてみると、少し苦労して、傷も負ってコートも駄目にした事が悔しく思えてくるが。
「"蜃気楼"を使えないのが、"冥暗"の大半とのことですが、使える者はそれだけで少し地位が高い様です」
「じゃ、伊達男は地位が高い者の中では一番下っ端だ」
「他に彼の能力が無ければ、恐らく。知っての通り、今の彼らは"骨"に執着しますよね?」
「うん」
「その骨で作る"体"でも序列が決まるそうですよ」
「じゃ、尚更あの骨っ子は下っ端だ。して…なんなのさ、あの骨嗜好は」
「元は"異境"で死を迎えた者の霊魂の集まりだと聞いています。誰から聞いたか、そこまでは覚えてないですが」
「ふむ?」
「集まり、群れを成し。最初は生者を凄惨な拷問にかけて血を啜るだけの群れでした」
静かな部屋で語られる、敵方の昔話。
多分、彼女の言葉はまだ"優しく"したものなのだろう。
時折、沙絵の視線が左右に泳ぐ様子を見ながら、ただ聞くことに徹した。
「"冥暗"だなんて言われたのも、何時からかは分かりません。ただ、そう言われ出してからも、彼らの"犯行"は分かり易かったはずです。人で言えば、体中の液体という液体が全てその辺にまき散らされて、皮も肉も骨もミキサーに掛けられたみたいになってるんですよ?」
聞いているだけで、少し背筋が凍り付く。
沙絵が普段のように揶揄う顔にならないのを見る限り、その表現は比喩でも何でもないようだ。
「と、いうより。"冥暗"と言えばそのイメージでしたね。ずっと。適当な大人をつかまえて、延々と絞りつくして、次へ行く…確かに誘拐を働く連中ですが、骨を取って行くというのは、ありませんでしたね」
「それが今回の相手は、二言目には骨、骨、骨だ。それは異様だね」
「はい。悪霊が体を得る最初の一歩は、肉の禿げた骨からだ…とはよく言われますが」
「"異境"の妖の場合はそうとも限らない…と」
「はい。そもそも、彼らが"人"に化けられる理由すら分かっていないんです」
「"冥暗"も、何か変わったのかな。先生は、流行りと言っていたけれど」
そう言った直後。
応接間に備え付けられていた時計が、ポーンと電子音を鳴らした。
会話が止まって、互いに楽な姿勢になる。
腕を回してみたりして、思っていた以上に体が強張っている事に気づいた。
「一旦、お茶にしましょうか?」
「そうしようか」
沙絵はスッと立ち上がり、近くの棚の上に置かれたポッドの方へ歩いていく。
カップにお茶が注がれていく音が聞こえてきた。
「母様達はまだ動かないの?」
「動いていますが、"積丹の方"の問題もありますから。こちらはまだ、"一般人"への被害は抑えられていますが…あちらは、既に6名も」
「そろそろ、こっちも限界に近いと思うんだけどな」
「認識はしています。ワタクシの下に付く妖も、牌の取り合い状態です」
そう言って、沙絵が2人分のお茶を持って来た時。
不意に、左目の傷が疼き始めた。
痺れる痛み…傷から瘴気が漏れ出て、視界に"本物の幻覚"が見えてくる。
「沙月様?それは…」
「出てくる。正臣の家だ」
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます