20.現実を知る時が、手遅れじゃないのなら何とかできる。

現実を知る時が、手遅れじゃないのなら何とかできる。

その時、もう何もかも遅いのならば、きっと私は立ち上がれないし、ここにいない。

立ち上がれるし、ここにいる以上、"次"があるのだから、その時に向けて鍛錬あるのみさ。


「お待たせ」


先生は"行方不明"のまま、何も起きずに時間が進んだ火曜日の放課後。

自宅に戻った私は、制服から和服に着替えて自室の扉に手をかける。

先に部屋で待っててもらっていた正臣は、居心地が悪そうに、ソワソワした様子で私の方に顔を向けた。


「ああ」

「面白みも無い部屋でしょ?」

「答えに困るな…凄く日本の和室って感じがする部屋だね」

「どうも。それで、今日は私だけじゃないんだ。この人は沙絵。昔からの私の付き人だよ」


座布団に座った正臣の前に、私と沙絵が座り込む。

沙絵は、白菫色の長髪を揺らしてペコリと一礼して見せた。


「入舸沙絵と申します。この度はご足労頂きありがとうございます」


沙絵の低姿勢で丁寧な言葉に、正臣も思わず頭を下げ返す。


「は、羽瀬霧正臣です。…よろしくお願いします」


困惑交じりの自己紹介。

今日の学校で、事あるごとに何をするのかと聞かれて、その度に答えをはぐらかしていたから、彼の声色はほんのちょっと疑いの色が混じっていた。


「この間の悪霊の事…なの?」


沙絵から私の方に目を向けて、疑問を1つ。

首を左右に振ると、新調した狐面を取り出して、彼の前に掲げて見せた。


「ちょっとした"御守り"をあげるだけ」

「"御守り"?」

「そう。悪霊を憑りつかせないようにするのは不可能だし、この間みたいな"妖"に襲われても、私達は気づけない。だから、せめて"気づける"ようにしようってことでね」


そう言って、狐面で顔を半分ほど覆いつくす。

これで、巫女服じゃないことを除けば、今の私は初詣の時の私と同じ姿になった。


「本当はやりたくない事なんだけどね」

「…やらなきゃダメな程にヤバいの?」

「まぁ。"行方不明"の是枝陀先生に、昨日の帰り際に会ったって言えば分かる?」

「"妖"だとかいう?」

「そう。この世から消したはずなのにね」

「……消せてないってことか?」

「元々"消せない"んだけどさ。どこか遠くに飛ばして、戻ってこれなくするだけなんだけど。今回はそうは行かなかったらしい」


そう言いながら、顔に半分被せた狐面に手をかける。


「私達が使う呪符も、強さの差があるし、それを使う個人の技量もある。そして何より、呪符を使いすぎれば、使い手はやがて"妖"になると言われている…色々あって、常日頃から全力って訳ではないの」


彼は表情を変えず、目を見て私をじっと見据えたまま、私の話に耳を傾けていた。


「呪符の効果を受ける者もまた、度が過ぎれば…体が耐え切れずに死ぬかもしれないし、"妖"としての力に目覚めてしまうかもしれない」

「それじゃ、やりたくないってのは…」

「そういう危険はいつだってあるって事。でも安心して。"かもしれない"の安全圏は、結構な数の"捨て駒"を使って試してきたから。遠い昔にね」

「そう……なんだ」


彼は目を丸く開けたまま、硬くなった頬を微かに綻ばせた。


「あぁ、最近はやってないからね?」


声色こそ普段通りなれど、表情は硬く変えないままそう言うと、彼の綻んだ口元が締まる。


「随分と大層な事をやると思うでしょうけど。多分、何かされたとも感じないでしょうね」

「はぁ…」

「後の説明とかは、沙絵、任せて良い?」

「お断りします」

「じゃ、いいや。沙絵に頼らな…」

「畏まりました」

「お願いね」


後の事を沙絵に任せた私は、ジッと正臣を見据えたまま、狐面で顔を覆い隠した。


「え?」


緊張していた正臣の顔が、パッと驚きの顔にすげ変わる。

新たな狐面が思った通りの効果を見せた事を確認できると、狐面と共に持って来た万年筆を懐から取り出した。


「それでは、羽瀬霧様。お手数ですが、背中が出るように、服を脱いでいただけますか?」

「はい…?」

「少し、背中を触ることになりますので」


後を引き継いだ沙絵の言葉に驚く正臣。

沙絵は下手に出ながらも、少し強引に事を進めていく。


「お手伝い、しましょうか?」


膝立ちになって彼の方に身を寄せると、正臣はその間に服に手をかけた。


「いえ!い、いいです!自分で出来ますから!」


悲鳴染みた声。

肌寒さを感じる部屋の真ん中で、彼は学ランの上を脱いでいく。


「ありがとうございます。では、少しの間後ろを向いていてください」


上半身だけ裸になった彼は、沙絵に言われるがまま、後ろを振り返った。

さて、ここからは私の仕事だ。


「ありがと」


正臣に聞こえぬ声で、沙絵に軽く礼を言うと、手にした万年筆を正臣の背中に乗せる。

彼は、万年筆の筆が背中に乗ったというのに、何も感じる素振りを見せない。

それもそうだ、"人"と"妖"の境目は決められているのだから。

"人"が"妖"の世界を感じることは、決して無い。


今の私は"妖"そのもの。


"妖"の言葉を使って、"防人"に伝わる言葉を背中に書いていく。

"妖"は"人"の世界を、見て感じることしか出来ない。

"妖"は"人"に触れられない。


だが、"防人"であれば話は別。

だから、"妖"であり"防人"でもある私は、万年筆で彼の背中に言葉を書き連ねて行ける。

だから、言葉を書かれているはずの正臣は、何も感じず黙っていられる。


「……」


少し時間がかかったが、背中一杯に旧字体の筆記体で文章が書き込めた。

一息ついて、万年筆を懐に仕舞い、狐面を取り外す。

背中に書かれた文章は、一瞬にして消え去り、それを見た私は口元を綻ばせた。


「正臣、もういいよ」


私の言葉に、彼はビクッと反応してこちらを振り返る。


「今から1か月、正臣の身に何かがあれば、私達の誰かが助けに出向く。正臣も、もう"こちら側"。私達が護るよ」

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