18.タイミングが悪い時は、素直に出直すのが一番だ。
タイミングが悪い時は、素直に出直すのが一番だ。
ああ、駄目かもしれないと思って続けるよりは、すっぱり諦めて次の機会に切り替える。
その方が、結果的には良い方に転がって行く事が多いんだけど…
「ほぉぉぉ~、ゴミ掃除もぉ、"見習い"の仕事かぁ」
エレベーターから降りてきたのは、それなりに長身の男。
こげ茶色の、ボロボロになったトレンチコートに、赤黒い、ヨレヨレのハットを被った伊達男。
「誰だ?」
正臣の前に体を被せる。
老け面でひげ面の男は、そんな私を見て下品な声で笑い出した。
「あぁっはっはっはぁ!仕舞にゃガキのお守りも"見習い"の仕事かぁ。勉強になるなぁ」
嘲るように、そう吐き捨てた男。
大きな口を開けて目を細め、楽し気な笑みを浮かべていたその顔は、直ぐに真顔になった。
「雑魚でも、使い道があったってのによぉ」
次に見せたのは、黄昏た顔。
男は、のそのそとこちら側に歩いてきた。
「足りねぇなぁ。ちーっとぉ、足りねえんだよぉ」
ボソボソ呟きながら、男がこちらにやってくる。
左手で正臣を背中側に隠し、右手はコートのポケットを弄るも、徒労な足掻きに終わる。
奥歯を噛み締めて、左目の横から吹き出した汗が、スーッと頬を伝っていった。
「来る祭りに来る奴等の頭数がぁ、足りねぇんだぁ。どうしてくれるぅ?」
目の前にやって来た男に見下ろされる。
八沙よりは大きくないものの、正臣よりは大きな図体。
二ヤリとした表情を浮かべて返すと、首を左右に振って見せた。
「こんな田舎で集めよって方が無駄さ。あぁ、集まらないってことは…友達少ないな?」
嘲る口調で言い返す。
言い返すというよりも、さっきまでの仕返しを込めて煽り返した。
人に化けているのであれば、彼らも、今は所詮ただの人。
ポケットに手を入れたまま、さっき受けた嘲笑をそっくりそのまま返して見せると、男は色のない顔をこちらに向けたまま固まった。
「友達ぃ…?」
「あぁ。こっちで揃わねぇってんなら、雁首揃えて連れてくればいいさよ」
男の顔に色が戻らない。
次の一手は全くと言っていい程無いのだが、それはまだ気づかれて無さそうだ。
「友達ぃ。そうかぁ。向こうからぁ、連れて来ても良いのかぁ」
棒読みの声で呟く男。
人の姿をしているのに、その眼はまるで骸そのもの。
呟いた後、ピキピキと男の両手が震え、骨の鳴る音が聞こえてきた。
「まだだぁ。まだぁ、我慢しなければぁ」
私と正臣を交互に見やって震える男。
その様を見て、正臣の方にやった左手で彼を少し押して奥にやる。
今朝みたく、ノータイムで骨に貫かれても、今度はそこでゲームオーバーになるだけだ。
「"絵描き"」
男が私の通り名を告げる。
見開き続ける目を、男の双眼に向けた。
「黙っていれば見逃したものをぉ。止められているというのにぃぃ…」
「グタグタ言ってねぇでサッサと本題話したら?」
震えて、何かに耐えるように喋り出した男に一喝。
男はカッと目を開き、唇から血が出る程に口を食いしばる。
「ぎぃ…グ…グゥ。女ぁ!お前だけはぁ、俺の一部になるんだぁ」
ビシッと目の前に男の人差し指が突き出された。
直ぐにでも骨に変わって、目を貫いてきそうな指…瞳までの距離は数センチといった所。
それを見ても、一歩も引かず動じず、指を見据えてニヤリと笑うと、代わりにエレベーターの方を指さして見せた。
「ムゥ?」
「誰か来るよ?一匹刈り取っただけで要らぬ騒ぎを起こす気かい?」
指した先には、ランプの灯ったエレベーター。
直後、先程と同じようなチャイムが鳴り響き、私はそのタイミングに合わせて、正臣の手を引いて足を踏み出した。
「じゃぁね。"楽しみ"にしててやる」
男の横を通り抜け、やって来たエレベーターの前に立つ。
男は何もしてこない。
降りてきた若い男女と入れ違いになってエレベーターに入ると、1階のボタンを押して壁際に寄り掛かった。
「あの野郎。必ず滅してやる…」
腹の底から響いた声が響き渡る。
すると、すぐ横にいた正臣が、グイッと私の手を持ち上げた。
「えっと。沙月、俺は大丈夫だからさ。そろそろ、手、離してくれない?」
「え?え?あぁ!ごめん。忘れてた。痛かったよね」
パッと手を離して彼の顔を見据えると、怖さと恥ずかしさがミックスされたみたいな表情を浮かべている。
「いや、大丈夫だけど」
手汗に濡れた手を見て、何も言わずにポケットに突っ込むと、小さく溜息をついた。
「"妖"が人の形をしているのなら。そいつは"人並み"にしか力を出せないんだ」
誤魔化すように解説を1つ。
彼も、特に問い詰めてくることはなく、そのまま頷いて聞いてくれた。
「ただ、突如として"元の姿に戻って"襲い掛かってくるのさ。さっき、学校で襲われた時はその手を食らってね。お腹に大穴がポッカリと…」
お腹の辺りを摩りながらそう言うと、彼の視線は微かに下に向く。
彼は何かに気づいたようで、急にしゃがみ込んだ。
「正臣?」
眉を上げて、彼の視線の先に目を向ける。
彼は私の横をすり抜けて、背後に落ちていたパンフレットの様なものを拾い上げた。
「さっきの人達が落としたのかな?どっか、外国の言葉?これ」
さっき受け取ったばかりのような、綺麗なままのパンフレット。
何の変哲もない、普段であれば、見て見ぬふりをするようなもの。
「さぁ。…ちょっと貸して」
でも、それは見て見ぬ振りが出来ないもの。
そのパンフレットに書かれていた妖怪言葉が、さっきの中年男の正体を更に鮮明にした。
「ありがと」
パンフレットを受け取った私は、指先に感じる"何か"の感触に痺れを感じる。
痺れを感じつつ、紹介されていた、見慣れた場所の写真を見て、ボソッと呟いた。
「運河だ。運河…ねぇ…」
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