第57話 わたしが思う眼鏡が似合うひと

 王都の空が茜色に染まるころ、セドリックは王宮からイェリナのもとへと帰ってきた。



「イェリナ、ただいま」



 そう言って柔らかく目を細め、イェリナが使わせてもらっている客間へやを訪ねたセドリックは、舞踏会ダンスパーティー用の正装でイェリナの前にあらわれた。


 イェリナのドレスに合わせたのだろう。白を貴重としていながらも、襟や袖口、細かい装飾はドレスに使われている柔らかな黄色だ。縫い取られた星を散りばめたような意匠もドレスと同じ。

 セドリックが身につけているカフスボタンや細かい装飾品アクセサリーに使われている宝石も、イェリナの宝石装飾アクセサリーと同じ石を使っている。


 どこからどう見たって、セドリックはイェリナのパートナーで、イェリナはセドリックのパートナーであると強く主張するものだった。



 ——ど、ドレスを贈るって……こういうこと……!



 思わずイェリナは窓辺の椅子に腰掛けたまま戦慄わなないた。

 まるで、自分がセドリックのものになってしまったかのような甘い錯覚にイェリナはクラクラしてしまう。



「お、おかえりなさい……セオ」



 頬に熱が集まっているのを感じながら、イェリナがセドリックを迎える。嬉しそうに眉を下げて駆け寄るセドリックの姿に、ますます体温が上がってゆく。

 加えて、いつもは柔らかく下ろされている金の髪が、綺麗に整えられて上がっている。ひと筋、ふた筋降りた前髪が艶やかな雰囲気を作り上げ、その色香の新鮮さにイェリナは思わず瞬いた。



 ——あっ、素敵。いけない、こんなの、ダメだわ。



 普段の柔らかく優しいセドリックとは違う、どこか鋭さのある美貌と漂う艶麗さ。これはいけない、とイェリナの無意識が警告を発するほどの色気に心臓が高鳴る。


 だからイェリナは本能的な警告に従った。


 覚えたての魔法式をセドリックに隠れて展開したのだ。


 あらわれたのは、懐かしささえ覚える幻覚眼鏡。イェリナにしか視えず、セドリックにしか適用されない幻の眼鏡だ。



 ——思い切って縁なしリムレスフレームにしてみたけれど……ああっ、素敵! 縁がないことで演出された儚さが、今日のセオの正装姿に最高に似合う! 溶けて消えてしまいそうなのに、しっかりと存在している……なんて美しいの。レンズの形は……色香のあるスクエアにして正解ね!



 などと胸の内で幻覚眼鏡を品評することで、イェリナは精神を落ち着けた。やはり、眼鏡のことを考えると心は熱くたぎるし、その反動で逆に頭は冷静になることができる。



 ——壊れてしまった眼鏡様も、砕けたレンズは作り直さなければならないけれど、折れたフレームは地下遺跡にあった魔法開発研究室の設備を使えば直せそうだし……ああ、本当に、本当によかった。



 セドリックを前にして、幻覚眼鏡付与魔法を展開し、眼鏡様のことを思うのは、イェリナなりの逃避である。


 ただでさえセドリックは麗しい。

 端正な輪郭、輝くような髪。イェリナを見て柔らかく細まる目に、まあるくゆるむ頬。セドリックが外見だけ美しいだけなら、こんなにも胸が震えることはなかった。


 椅子に座ったまま動けないでいるイェリナのもとへ、セドリックがやって来る。そうして、愛しいものに触れるように慎重な手つきでイェリナの頬に触れた。



「綺麗だよ、イェリナ。……もしかして、魔法、使ってる?」



 甘い言葉を紡いだくちびるで、セドリックはにこやかに問う。美しくきらめく黄緑色イエローグリーンライトは、今にも笑い出しそうな気配が滲んでいた。


 イェリナが幻覚眼鏡付与魔法をこっそり使っていても、セドリックは決して怒らない。

 昨晩、散々魔法の習得に付き合わせたというのに。不機嫌になることも、不愉快になることもなく、イェリナを見つめている。



「し、仕方がないじゃないですか。こうでもしないと、セオの目を見れないから」



 イェリナはしどろもどろになりながら、けれど幻覚眼鏡越しに見えるセドリックの目をしっかりと見つめながら答えるしかない。



「どうして見れないの? メガネの呪いが無効化されていたとき、しっかり僕の目、見てくれていたのに」

「い、意識したら……急に恥ずかしく……」

「意識、してくれてるんだ。ならいいよ」



 嬉しそうにセドリックが微笑む。その表情かおはまるで花が咲き誇るかのよう。いや、花が咲いているのはイェリナの頭の中なのかもしれない。


 なんて理解と抱擁力のあるひとだろう。

 イェリナはセドリックの豊かな愛情に包まれて、感動しながら微笑み返し、セドリックのキスを額で受ける。

 セドリックが初代大公より授かった幻覚眼鏡付与魔法の存在に密かに嫉妬していることなんて、イェリナは思いもよらないのだ。






 学院アカデミーの星祭りは、夜が本番だ。

 セドリックにエスコートされて大公家の馬車から降りたイェリナは、視界に飛び込んできた絶景に思わず息を呑んだ。


 馬車止めから学舎まで続く道の植え込みに飾られた星飾りオーナメントが、淡く色とりどりの魔法の光を放って輝いている。

 地上に降り注いだ星をあらわす夜間発光イルミネーションが、幻想的な美しさを作り出していた。



「……綺麗。星の海を歩いているみたいですね、セオ」

「イェリナ、溺れないようにしっかり捕まって」



 言うが早いかセドリックは、夜間発光イルミネーションに見惚れるイェリナの手を引いて、ぐい、と自分の方へと引き寄せる。



「えっ。……え? せ、セオ!?」



 突然の行動によろめくイェリナの腰を抱き、セドリックはひと息で距離をゼロまで縮めた。

 背中に感じる体温と、腰を支える逞しい腕。一歩足を踏み出すたびに、胸が跳ねる。耳や頬にかかるセドリックの呼気を感じるたびに、息を呑む。

 セドリックと密に接しているのだ、と気づいたときには、もうイェリナはセドリックとともに歩き出していた。

 懸命に舞踏会場ダンスホールへ向けて足を動かす中で、イェリナは冷静さを取り戻すためにチラリとセドリックの顔を見る。


 そこにあるのは幻覚眼鏡。

 縁なしリムレスフレームが儚い輝きを放つ幻覚魔法の効果を確かめたイェリナは、セドリックの見慣れた幻覚眼鏡顔にひっそりと安堵した。



 ——正装姿が格好よくて戸惑ったけど……わたしが思う眼鏡が似合うひとは、やっぱりセオしかいない。



 自分を取り戻せたイェリナは、背筋を伸ばした。顎を引いて、前を見る。セドリックに寄りかかるのではなく、支え合うように彼の腕に手を添えた。



「イェリナ?」

「わたし、自分の足で立ってセオと一緒に歩きたいの」

「そっか、わかった」



 そうしてイェリナは嬉しそうに微笑むセドリックと足並みを揃え、星祭りの舞踏会場ダンスホールへ足を踏み入れる。


 どうか、わたしと一緒に入場したセドリックが、いわれなき誹謗中傷を受けませんように、と祈りながら。







  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る