第54話 拝啓、眼鏡を愛する同志の君へ・2
《僕がかけた呪いは、眼鏡を真に愛し渇望する人間を、僕の子孫と引き合わせるための手段だ。
君を幻覚眼鏡で釣ってカーライル家に呼び寄せたのはね、とある領地の行く末を君と、君が心を許した僕の子孫に託したかったからなんだ。
セーリング領って、知っている?
僕が大公位をもらった時に、大公家の権力や財力が王家を上回らないよう調整する意味合いで押しつけられた領地だよ。
そこは不毛の大地だ。
大地から湧き出る黒くて臭くて燃える沼があちこちに点在し、加えて雨も少ない砂漠。王国の端の方にあるのもあって、この先も開拓は進まないだろうね。
わかる? 砂漠の真ん中にある、黒くて臭くて燃える沼。
そう、油田だ。》
油田。イェリナは震える指先で油田と書かれた文字をなぞった。
もしかして、もしかしなくても、石油王……? 嘘でしょ、石油王? いけない、野心よ治まって。それは、わたしのものじゃない。
イェリナはドクドクと高鳴る心臓をそっと押さえて深呼吸をした。前のめりになっていた姿勢を正して読み進める。
《僕がどうにかしてもよかったんだけれど、権力調整用の領地だからね……。領民には申し訳ないけれど、しばらくの間……そう、君があらわれるまでの間は、なんの特産品も資源もない不毛の土地である、と王家含めて貴族連中には思わせておく必要がある。
どうか君の持つ現代知識で僕の子孫を説得し、彼ら彼女らを石油王にして欲しい。
君にだってメリットはある。
——欲しいでしょ?
「欲しいに決まっているでしょ!」
「イェリナ、イェリナ……落ち着いて」
「落ち着けるわけないわ!
イェリナは
そうして
欲望丸出しのその姿は
《大丈夫、各種
どう? 僕の子孫を石油王にする気になってきた?》
「なるに決まっているでしょ!」
イェリナの叫びが
イェリナは二択のうち一方を迷わず選択した。
「当然『はい』よ。……あ。続きが出てきました」
《ありがとう、同意してくれて。
どうか君の眼鏡を愛する心で僕の子孫が抱える負債領地を祝福して欲しい。
君の健やかなる眼鏡ライフを祈っているよ》
「……えっ、……え? これで終わり? 呪いの解呪方法は!?」
「ないの?」
「ない、ですね……嘘でしょ? ポップアップのギミックまで使って、三行で終わるの!?」
こんな大掛かりな呪いと仕掛けを残しているというのに、肝心の呪いの解き方がどこにも記述されていない。
イェリナが得られたのは、セドリックが石油王になれるという可能性だけ。初代大公の自分語りで終わってしまった手紙を慌てて指でスクロールさせ、何度も確認する。
けれど、やっぱり、どこにも記載されていない。ヒントのようなものだって、なにもなかった。
「ごめんなさい……わたし、役に立てませんでしたね」
それどころか、後半は石油の存在に興奮して周りが見えなくなっていた。
萎れた花のように俯くイェリナに、けれどセドリックは首を振って否定した。
そしてイェリナの両手を取って握りしめ、希望に満ちた
そんな優しげな目で見つめられる資格はないはずだ、と戸惑うイェリナにセドリックは力強い声ではっきりと言った。
「いいや。いいや、そんなことはないよ。イェリナも知っているでしょ。僕が
「あっ……セーリング領!」
「そうだよ。僕はね、実のところ、
とろけるような甘い声が歓喜に満ちている。セドリックの声と言葉は、イェリナの背筋を震わせ続けていた寒気よりも、より強く甘くイェリナの身体と魂を震わせる。
黄緑色の美しい目が、
希望だなんて、そんなこと。自分が誰かの希望になっているなんて、考えたこともなかった。
セドリックの柔らかそうな唇がゆっくりと開いてゆく。イェリナはそれを頬を熱くしながら見つめることしかできない。
「手紙を読んで気づいたんじゃない。君のメガネへの情熱が、僕の行く道を照らしてくれた。イェリナ、君だったから僕はメガネに興味を持てたし、君に惹かれたんだ。……呪いなんて関係ない。君が僕の祝福だ」
一音一句、丁寧に紡がれる音に、イェリナの胸の内が熱く湧く。
だからイェリナはそっと、セドリックに近づいた。歩幅一歩分縮まった距離でセドリックを見上げると、彼の目が、頬が、口元が、嬉しそうに弧を描くのを見た。
深呼吸をひとつ。 吐き出した呼気は、心なしか熱を帯びている。
イェリナはセドリックの
「セドリック……わたし、わたし必ずセドリックを石油王にしてみせます!」
決意を告げる言葉の
「ありがとう。……それはメガネのために?」
「セドリックと、それから眼鏡のために」
「僕と、メガネ? メガネと、僕……ではなくて?」
「セドリック……いいえ、セオ。どうして肝心なところで弱気になるんですか? この手紙だって……わたしの金庫だって、パスワードを突破するためには眼鏡への思いと、その思いへの理解がなければ突破できない
イェリナはセドリックの予言通り、彼をセオと自然に呼んでいた。
だからイェリナはもう一歩、セドリックとの距離を詰めた。
高鳴る心臓の音と燃えるように熱い顔は無視をした精一杯の背伸び。
ほとんど同じ目線の高さになったセドリックが、驚くように目を瞬かせているのを見ながら、イェリナは微笑んだ。
「こんなに深く理解しようとしてくれるひとに、心を奪われないわけがないわ!」
思い切って叫んだイェリナと、嬉しそうに目を細めるセドリックの視線が交わった。幸福に満ちた
——わたし、セドリックが好き。愛してる。眼鏡への愛とは別の……別の愛も、あるんだわ。
セドリックの視線が熱い。火照る頬を持て余しながらも、イェリナは決して目を逸らさなかった。
すべての音が心臓の音に置き換わり、流れゆく刻が遅く感じる。
ゆっくりと近づいてくるセドリックの美しい目がパチリと瞬いた。長い金糸の睫毛の先までよく見える距離で、セドリックは一度動きを止めた。
もう、互いの吐息が混じる距離だ。
潤んだ黄緑色の目がもう一度瞬いて、イェリナに聞いた。
いい? と。
だからイェリナは小さく頷く。眼鏡を犠牲にしてまでも取り戻したかったひととこの距離で、よくない、なんて答える選択肢を持ち合わせてはいないから。
セドリックの指先がイェリナの頬に触れる。あっ、と思った次の瞬間には、形のよいくちびるが、イェリナのそれと重なっていた。
触れ合ったのは、ほんの一瞬。
イェリナは熱さも冷たさも感じる前に離れてしまったくちびるを目で追ってしまった。自然と珍しく耳まで赤く染めたセドリックの顔を見ることになる。
視線に気づいたセドリックが、イェリナの顔を胸元へ押しつけ隠すように抱きしめた。
ぎゅう、とイェリナの背中を優しく抱きしめる腕。押し当てられた胸から聞こえる激しく鼓動する心臓の音。ふわり、と香るセドリックの柔らかな匂い。衣服を通してじわりと交換される体温にクラクラしそう。
「セオ……——」
イェリナが呼んだ愛称がきっかけとなったのか。それとも別のなにかか。
途端、
そして、魔法式が鮮やかな緑色の光を放ち、
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