第53話 拝啓、眼鏡を愛する同志の君へ・1
《拝啓 眼鏡を愛する同志の君へ
君がこの文章を読めるということは、眼鏡が存在する世界の特定地域から転生した人間で、眼鏡の存在を渇望する者で間違いないね?
少なくとも、日本語が読めて眼鏡を愛している人間だ。
さて、なにから説明しようかな。まずは僕の事情を話そうか。
お察しの通り、僕は日本人で眼鏡が好きで好きでたまらない転生者だ。
これでも眼鏡のデザインと設計をしていたんだよ。
興味がないから名前は忘れてしまったけれど、眼鏡がよく似合うモデルさんを起用して街頭広告を出してもらったこともあるんだ。
自画自賛になるけれど、眼鏡フレームに色気を纏わせた美しい眼鏡だった。
君がいつの時代の人間かはわからないから、僕の眼鏡を知らないかもしれないけれど、知っていたなら嬉しいな。》
「嘘でしょ!? あのとき見た
思わず叫び声を上げてしまったイェリナは、前世の自分の間接的な死因となった、それはそれは色気漂う美しい眼鏡(をかけたモデル)の広告を思い出す。
——まさかまさかまさか! わたしの死因が今ここで!?
忘れかけていた
——あの眼鏡……尊敬する眼鏡デザイナーさんの眼鏡だったから余計に見惚れてしまったのよね。今思い返しても、本当に素晴らしい眼鏡だったなぁ……!
まさかこんな風に縁が繋がるなんて信じられない。イェリナは自分の間接的死因を完全に忘れ切って、尊敬するひとが書いた自筆の文字を指でなぞった。
「イェリナ、初代大公様を知っているの?」
「直接的には存じ上げませんけれど、それはそれは震えるほど美しく機能的で艶っぽい眼鏡を作り上げることができる方。わたしがかつて崇拝していたお方です」
「崇拝……。また
「……
「それを聞くの。聞くよね、イェリナだもの。……僕の
セドリックは指折り数えて
「セドリック、なに言ってるんですか。セドリックは生きた人間でしょ。わたしの話を聞いてくれて理解してくれる、ともに生きて歩んでくれる人間でしょ?」
「イェリナ……」
「続きを読みますね」
《君にも覚えがあると思うけれど、この世界に眼鏡が概念からして存在しないことに僕は絶望した。
すぐにでも材料と職人を集めて大々的に眼鏡の存在を普及したいとも思った。
けれどね、なんの因果か僕はひとつの国を起こしてしまうような人間を兄に持ってしまった。その兄が、僕に大公という地位を授けてくれたんだ。
あれよあれよという間に、責任ある地位についてしまった。領地と民を預かる身になってしまったからには、僕は責任を果たさなければならない。
だから僕は眼鏡の開発を諦めた。二足の
幸いにも僕には魔法理論の構築と新しい魔法式を創造する才能があったし、なんと、僕の妻は、圧倒的眼鏡顔で眼鏡がなくとも見ているだけでも眼鏡欲が満たされてしまうという素晴らしい女性だ。》
——圧倒的眼鏡顔。えっ、圧倒的眼鏡顔? そんな表現、わたし以外でする人いるんだ!?
急に湧き出る親近感。イェリナはチラリと横目でセドリックを見る。初代大公夫人の血は、現代まで受け継がれていた。劣化することなく勢いを増して絶好調である。
イェリナは心の中でセドリックの完璧眼鏡顔に眼鏡をかけて妄想しながら、手紙の続きを読み進めた。
《だから僕は造った。魔法を。
僕にしか視えない幻覚眼鏡を、最強最高の眼鏡顔を持つ妻にかけてもらうために。
魔法の開発は成功した。おかげで僕は毎日満たされている。
こんな幸福を、僕だけのものにしてよいのか?
いいわけがない。
だから、僕の子孫には悪いけれど、僕は一族の血を呪うことにした。
まあ、血っていうか、遺伝子なんだけど。
あ、多分、そこにいるよね。僕の子孫。何代あとの子かな……。悪いのだけれど、僕の代わりに「ごめん」って謝っておいて欲しい。》
「えっ、セドリック……呪い持ちだったんですか!?」
はじめて知る事実にイェリナは思わず声を上げた。
貴族社会で呪い持ちの家系は、どんなに地位が高くても蔑みの対象になってしまう。呪いをかけられていることが事実であれば、貴族名鑑にも記載されるほどだ。
けれど、カーライル大公家の
——自分の子孫を呪うだなんて……同じ眼鏡愛好者として、それだけは受け入れられないわ。
どうやらカーライル家の始祖は突飛で奇抜な人間らしかった。イェリナが同情するようにセドリックを見ると、彼は神妙な顔つきで肩をすくめてみせた。
「カーライル家の人間には特に害はない、らしいのだけれどね」
「そうですか……。あの、『ごめん』って……凄く軽いノリなんですけど……謝罪されていますよ」
「……とりあえず、その先を読み進めてもらっていいかな」
「あっ、はい」
《君がこの場所で僕の手紙を読んでいる、ということは、君も感じているだろう?
僕の奥さんの素晴らしい可能性を!
凄くない? どんな眼鏡も似合う輪郭とパーツ。凄くない? きっと子孫はこの才能を受け継ぐことだろう。
だからこその呪いだ。
僕が開発した幻覚眼鏡付与魔法を応用して作ったこの魔法は、効果を発揮するための条件が三つある。
一つ、僕と奥さんの遺伝子に作用する。
二つ、僕らの遺伝子を繋ぐ子孫にのみ発現する。
三つ、特定の条件を満たす第三者にしか効果を発揮しない。
だから呪い。あるいは、罠だ。
眼鏡を愛してやまない君に、僕の子孫を見つけてもらうための呪い。
どんな呪いかって? もうわかっているでしょ?》
そこまで読んで、イェリナは再び顔を上げた。
これまでイェリナが視て夢中になっていたセドリックの幻覚眼鏡は、カーライル家の血の呪いであったのだ。
そんな幻覚眼鏡に誘われてセドリックを捕まえたことを、イェリナはまだ話せていない。
「……セドリック、わたし……まだ言っていないことがあります。あの日、セドリックを呼び止めた本当の理由を」
「うん」
「わたし……わたし、セドリックの顔に眼鏡を視ていたんです。ずっと、ずっと……。それが呪いだったなんて……」
不純な動機と明かされた事実が合わさって、イェリナはセドリックに対して申し訳なくなる。
ピンと伸びていた背筋が丸まってゆく予感。けれどそれは予感で終わった。セドリックが柔らかく緩めた顔をして、イェリナの頬に触れたから。
「いいんだよ、謝らないで。こんな呪いは、きっかけでしかない」
セドリックの手に包まれた頬が熱い。謝らずに胸の内で抱え込んでおけということだろうか、と後ろ向きな考えが浮かぶ。けれどセドリックはイェリナの考えを否定するように、首を緩く横へと振った。
「僕だって、はじめはこの微妙すぎる呪いを解呪するために、イェリナとの距離をあえて詰めていたところもあるのだから」
「じゃあ、お互い様ですね」
「そうだよ。だからいいんだ。イェリナと出会えたことは、何ものにも代え難い。……でも、正直、この呪いは解いておきたい。なにか手がかりはある?」
にこりと微笑んだセドリックの手が、スルリと頬から離れてゆく。
遠ざかってゆく熱に少しの名残惜しさを感じながら、イェリナは
「待ってください、先を読みますね」
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