第48話 憑き物が落ちたかのように
「あたくしはこれで失礼するわね。……イェリナ。困ったことができたら、あたくしに言いなさい。力になるわ」
憑き物が落ちたかのようにスッキリした顔で告げるイザベラ。その姿は、彼女が本来持つ清廉で高貴な美貌で輝いていた。
きっと誰もが美しいと感じて憧れる。あるいは、皆が憧れたからこそなのだろう。イザベラが王太子妃候補であることに、なんの疑念も抱かせない説得力のようなものがそこにはあった。
けれどイェリナは、一味違う。少しもそうは感じなかった。壊れたメガネを布で包み、制服のポケットに丁寧に入れながら、イザベラの美貌をじっくり観察しながら思う。
——やっぱり。やっぱりイザベラ様には
眼鏡力が充填されたイェリナは、もう、ひとの顔立ちの上で眼鏡妄想を繰り広げることになんの遠慮も躊躇いもない。躊躇いがないどころか、湯水のように湧いて出る。
加えて、イェリナの夢である眼鏡普及のための足がかりとしての眼鏡店オープンを見据えた
真剣な面持ちで、けれど、ひとり明後日の方向へ狼狽えるイェリナに気づいたのか、セドリックがイザベラに言った。
「マルタン嬢、礼を言うのはまだ早い。僕がきっちり役目を果たしてからにして」
「そう……ですわね。……ふふ、よろしいんですの、カーライル様。それはつまり、あたくしがイェリナと会うのを許す、というのと同じことですわよ」
「役目は必ず果たすから、イェリナと会うのはこれきりにしてくれないかな」
「えっ、そんな! 横暴です!」
——眼鏡モデル的に困ります!
未来の眼鏡モデルを逃してなるものか、とイェリナは思いっきり抗議した。
「イェリナ、君がなにを考えているのか僕にはまだよくわからないけれど……僕で我慢して?」
「そんなの無理です! 男性と女性とでは印象が異なるんですよ!? セドリックが女性のようなお化粧をしてドレスを着てくれるって言うんですか!?」
「わかった。だから僕だけで我慢して」
「えっ。……え? あっ、はい……それなら……」
セドリックのキリリとした真剣な表情と必死さが滲み出ている早口な口調に、イェリナは頷くしかない。こくりと一度頷いて、あまりのことに我に返る。
——えっ。近い未来にセドリックの女装眼鏡姿が見れる……ってこと? それでいいの、大公子息!? 高位貴族の思い切りって、凄いのね!?
セドリックは決して高位貴族だから思い切ったわけではない。のだけれど、イェリナはそう思うことにした。
そう思わなければ、まだイザベラが
眼鏡一直線だったときにはわからなかったけれど、今のイェリナには、もう、わかる。これがセドリックの甘やかしであることなんて。
だからイェリナは、次にセドリックがどうするかなんて知っていた。
こういうとき、セドリックの動きは早い。まるで感情感知魔法でも展開しているかのような察しのよさで、セドリックはイザベラに微笑んだ。
「マルタン嬢、ティーガル嬢が扉の外で待っているでしょ。早く行ってあげたらどう?」
「そうですわね、そういたします。……カーライル様、お幸せに。イェリナ、あなたもね」
暗に邪魔者扱いをされたイザベラが怒ることはなかった。怒るどころか苦々しく微笑んだ。
そうして、イェリナが
「……イザベラ様」
開け放たれた扉の向こうには、騎士然としたリリィ・ティーガル伯爵令嬢が屹立してイザベラを待っていた。
「リリィ、今まで無理を言ったわね。……これからも、あたくしを守ってくれる?」
「はい。……はい、当然のことですわ!」
「あなた、もしかしてそれが素なの?」
「いいえ。でも、イザベラ様に合わせて演じておりましたら楽しくって楽しくって、癖になってしまいましたわ!」
今にも高笑いしそうなリリィの顔は、安堵したように緩んでいた。そんなリリィを見てイェリナが思うことは、ひとつだけ。
——ああ……ティーガル伯爵令嬢様は
だなんて、うっとり思いながら、
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