第42話 この世界の政略結婚は

「どうしてそう思うの?」



 リリィが振り返りもせず冷たく言った。客間サロンで見せていた少し高慢な貴族令嬢らしい態度とは大違い。

 ガラリと変わった雰囲気に気圧されながらも、イェリナはお腹に力を入れて背筋を伸ばす。



「ティーガル伯爵家の中でも、百合と盾で表される印を持つ令嬢は、代々、王太子妃の護衛を担っていますよね」



 すると、リリィが急に立ち止まった。オレンジ色の豊かな髪をひるがえし、くるりと振り返る。その目は信じられないものでも見たかのように、大きく見開かれていた。



「……あなた、それをどこで……」

「貴族名鑑です」



 イェリナが見開かれた若草色の目をまっすぐ見つめて答える。

 百合と盾の襟止めブローチ

 王太子妃の護衛プリンセスガードであることを示す襟止めブローチをつけたリリィの目が、驚愕で揺れている。



「あんな分厚い本、いまどき王族ですら読んでいないわ。それに、我が家の記録は巻末に小さな文字で記載した、読まれないことを前提に記されたものなのに。それをあなた、読んだの?」

「はい。すべて記憶しています」


「……なるほど。どうしてあなたみたいな地味な男爵令嬢が第二学年の主席なのかと思っていたけど……そういうこと。あなた、お勉強ができるのね」



 リリィは納得したように頷くと、再びイェリナに背を向けようと半転しようとした。それを止めたのはイェリナだ。



「あの、聞いてもいいですか」



 イェリナは胸の内からあふれる疑問をそのまま矢継ぎ早に口にした。



「あなたがわたしの金庫を奪ったのですよね。親切にもセドリックが指示してやった、と言ったのは、わたしを傷つけるようマルタン侯爵令嬢様に言われたからですか? それほどマルタン侯爵令嬢様に心酔しているのはどうして? どうしてマルタン侯爵令嬢様はセドリックと踊りたいんですか? だってマルタン侯爵令嬢様には婚約者がおられるのに」



 ほとんど息継ぎなしでまくし立てたイェリナに、リリィはわざとらしく大きく息を吐き出して、片眉を跳ね上げる。



「どれかひとつにできないの?」

「……では、ひとつだけ。どうしてマルタン侯爵令嬢様はセドリックと踊りたいんですか?」


「あなた、星祭りに代理人を送り込んでくるような婚約者と踊れる?」

「えっ。……え?」

「星祭りだけじゃない。婚約してからイザベラ様は、一度ものお方とダンスをしたことがないの。すべて代理人任せよ」



 イェリナは息を呑み、眉を寄せて目を閉じる。吐き出した息が階段に響くのを聞きながら、イザベラが抱える虚しさや寂しさを思った。



 ——なんてこと。婚約期間中にも関わらず冷たくされているのなら……婚約破棄に向けて動いてもおかしくはないわ。



 この世界の貴族の結婚は、御多分に洩れず政略結婚が基本である。

 けれど、転生してくる前の世界のように、仕事的ビジネスライクな冷たいものではない。


 サラティアとアドレーのように、不器用だったり貴族の嫡男として背負う役割のせいで余裕をなくし、相手に素っ気ない態度をとってしまった結果、冷たい関係であると誤解されることはあるにしても。


 だから基本は相手が誰であれ、家と家との結びつきを強め高め合ってゆくために婚約者同士の関係は良好であることが望まれる。婚約期間から愛を育み、想いあって婚姻するのが普通だ。


 名ばかりの冷たい婚姻よりも、情で厚く結ばれた方が効率がよい。長い歴史の中には、情に縛られすぎて没落してしまった貴族もあったけれど、それこそ貴族当主の手腕の見せどころである。

 愛情に溺れず裏切らない。互いを支え合って尊重する。そうやって、この国は発展してきたのだ。



 ——マルタン侯爵令嬢様のお相手が、それを知らないなんてあるはずないのに。



 イェリナにはイザベラの婚約相手がどこの誰であるのか、もうわかっていた。リリィ・ティーガル伯爵令嬢が身につけていた襟止めブローチが、それが事実であると証明している。


 イザベラの婚約者は、この国の王太子殿下だ。

 重すぎる事実に耐え切れず、黙ってうつむくイェリナに、リリィが静かに言った。



「あなた、イザベラ様がどなたと婚約しているのかわかってしまったのね?」



 イェリナは顔を上げ、こくり、と小さくうなずいた。自分がどんな表情をしているのかなんて、もうわからない。けれど、酷く沈痛な面持ちをしているだろうことは察せられた。

 だからなのか、それとも諦めか。リリィは表情を失くした顔でふるふると首を振る。



「いくらお勉強ができるあなたでも、こればかりは解決できない問題よ。……私ですら無理だった。諦めなさい」



 リリィは一瞬、その顔に悔恨の念を浮かべた。けれど、歪んだ表情を隠すかのようにイェリナに背を向けて、客間サロン棟の最上階へ向けて階段を登りはじめる。

 イェリナは少しばかり侘しさを感じるリリィの背中を見つめながら、同じように階段を登っていった。







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