第39話 必ず彼女を連れて帰ると誓う

 §‡§‡§



「セオ、どうしてイェリナ嬢は我がに帰って来ないのかな?」



 セドリックの兄であるジョシュ・カーライルは、昔懐かしい学院アカデミー客間サロン棟最上階の部屋に入るなり、そう言った。


 ジョシュが大公家の仕事の合間にセドリックを訪ねて昼食休憩ランチタイム中の学院アカデミーに訪れたのには理由がある。


 セドリックが連れてきて、星祭りの当日までいえに置くと宣言したイェリナが、最初の一日目以降、まったく姿を見せずカーライル大公邸に帰ってきていないからだ。


 今はビフロス伯爵邸に世話になっているらしいのだけれど、ジョシュや家族たちはどうしてそうなったかという経緯をセドリックから聞いていない。

 だから、絶対に逃げられない学院アカデミーという場を借りてセドリックに問おうとしたのだが。


 視線を彷徨わせて探すまでもなく、目当ての人間——セドリックを長椅子ソファの上に見つけて一直線に歩み寄る。

 セドリックは長椅子ソファの上で仰向けになって寝転んでいた。その顔は血の気が失せて真っ白だ。今朝、送り出したときよりも顔色が酷くなっている。


 横目でチラリとジョシュの姿を確認したセドリックが、のそりと起き上がった。肩も腕もがくりと落ちてぶら下がり、かろうじて膝の上に乗っているだけ。うつむいた額はうっすら汗で湿り気を帯びている。

 明らかに具合の悪そうな弟に、けれどもジョシュは、セドリックの体調よりも優先すべきことがある、とでも言うかのように、にこやかに問うた。



「セオ、イェリナ嬢は?」

「それを確認するために学院アカデミーへ?」



 紗幕カーテンのように垂れ下がる前髪の隙間から、セドリックの鋭い視線が飛んで来た。



 ——そんな目をするなら、どうして手元に置いて大事にしていないんだ?



 ジョシュは呆れたように息を荒く吐き、セドリックの対面に足を組んで座った。



「それ以外になにがある? 彼女は我々にとって重要なお姫様かもしれないんだ。過保護になるのは仕方がないだろう?」

「……兄上。『かもしれない』ではなく、確実に『そう』ですよ」


「なにかわかったのか!? あのお嬢さんから聞いたのか!? なんと言っていたんだ!? 本当に我らの呪いが解けるのか? 祝福とはなんだ、彼女にはなにが隠されているんだ!?」


「気が早いです、落ち着いてください兄上。……ィっ、……彼女はなにも。ただ、彼女から少し話を聞いただけです。メガネの話を」



 そこまで話したセドリックが顔を顰めて口をつぐんだ。



「……セオ? おい、セドリック……どうした?」



 ジョシュは、セドリックがイェリナの名前を口にしようとしてできなかった違和感に即座に気づいた。


 そもそも今朝から、いや、昨日からセドリックの様子はおかしかったのだ。

 イェリナと喧嘩でもしたのか、それともアドレーの説得に失敗でもして落ち込んでいるのかと思っていたけれど、どうやら違うらしい。


 ジョシュはすぐ様、目を凝らしてセドリックの全身を走査魔法スキャニングで視た。

 ジョシュが学院アカデミー時代に研究していたのは、魔法理論と方式だ。魔法がどのように構築展開され、影響を与えるのか。効率よく魔力を運用するにはどうすればよいのか。それを調べるために魔力の流れを視るための魔法を習得した経緯がある。



「魔力が濁っている……不利な条件で誓約魔法を結んだな? どこの誰だ、ウチの可愛い弟になんて真似を……!」

「はは……、さすがですね兄上。わかりますか?」

「セオ、これは笑い事じゃ……いや、笑うしかない状況なのは僕にもわかるよ」



 力なく笑うセドリックに、ジョシュは走査魔法スキャニングをかけ続ける。使用された誓約魔法の魔法式がわかれば、解除するのは造作もないことだからだ。

 普通、誓約魔法は重要な取引や契約を結ぶときに交わされる。誓約の前提となる条件が有効である限り魔法に縛られ、誓約の履行を強制されてしまうのが、この魔法の特徴だ。



「……ここまで束縛の強い誓約魔法となると……マルタン家……イザベラ・マルタン嬢か?」



 ジョシュは確信を持ってそう問うた。誓約魔法によって多くを語れないセドリックが、苦痛に顔を歪めながら無言で頷く。



「なんてことだ……さすがに僕でもマルタン家の誓約魔法はすぐに解けないぞ」

「いいんです、兄上。無理に解いて誓約条件の対象物を消失されるよりは」



 セドリックがふるふると首を振る。縦ではなく、横へと。ぎゅっときつく握り締められた拳と、ジョシュをまっすぐ見つめる黄緑色の光が、セドリックの強い意志をあらわしていた。



「……そうか。まあ、状況はわかった。セオがイェリナ嬢のために誓約魔法を受けたこともね」



 それはジョシュの推測でしかなかったけれど、あながち間違いではないようだった。セドリックが肯定するように視線だけで頷いたからだ。



 ——不利な条件での誓約魔法を受けるなんて……助けを求めてもいいだろうに。妙に頑固なところは父上に似たのか。



 あるいは、まだ貴族社会に染まりきっていない学生という若く純粋な魂がそうさせたのか。

 どちらにせよ、イェリナの名前を呼ぶことや、少しでも誓約について話すだけでなく、意思表示することでさえ縛られている、というのは、学生が扱う誓約を超えている。もはや呪いの域だ。



 ——ここはセオの意志を尊重したいところだけれど……限度ラインを超えてくるのなら対策しなければ、ね。



 ジョシュは苦痛に喘ぐセドリックに柔らかく微笑んだ。いや、微笑んでいるのは口元だけで、セドリックに似た黄緑色の目はまったく笑ってなどいなかった。



「セオ、いいかい。正攻法で真正面から問題に取り組むのは美徳だ。けれど僕らは貴族だ。僕らを支える者たちが、領民たちがいる。彼らのために僕らは賢く立ち回らなければならない」



 そう言うと、ジョシュは上着の懐から精巧で美しい細工が施された懐中時計を取り出した。そうしてカチカチと規則正しく時を刻んでいることを確認してから、その時計をセドリックに差し出した。



「兄上、これは……?」

「僕のお古で悪いけど、これを持っていなさい。本来は呪いを抑えたり退けるものだけれど……セオにかけられた誓約魔法は呪いに近いものだから、一回か二回は誓約を無視した行動が取れるだろう」

「これは……魔力を流せばいいんですね」



 セドリックはそう言うと渡された懐中時計を手で包み、魔法を起動するために魔力を流した。魔力を流し込まれた懐中時計が淡く光を放つ。



「セオ!? なにしてるんだ、回数制限があると言っただろうが!」

「……兄上、その一回を使ってでもお伝えしなければならないことがあります。……イェリナは……イェリナは僕の……僕らの祝福です」



 と。告げるセドリックの目が、頬が、くすぐったくなるような柔らかさと熱さであふれていた。ようやくまともに名前が呼べることが嬉しいのだ、と言うように。



 ——こんなセドリックは、はじめて見る。



 思わずまじまじと見つめてしまったジョシュの視線にセドリックが気づいた。ゴホン、と照れ隠しの咳払いをひとつ。



「……アドレーもイェリナを認め、彼女の下につきました」

 セドリックは貴族子息らしく背筋を伸ばす。



「それに……呪いも祝福も関係なく、僕はイェリナが……。ですから、必ずイェリナを連れて帰ります」



 その言葉は、今日この場で聞いたどの言葉よりも力強く響いていた。



「そうか……わかった。セオ、信じているよ」



 ジョシュはそう告げると立ち上がる。去り際にセドリックの肩をひとつ叩いてから客間サロンを立ち去った。


 イェリナのために無茶をするセドリックの姿に、弟の成長を感じると同時に、ほんの少しだけ寂しさを覚えるジョシュであった。



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