第37話 あなたが価値を決めてはならない

「……イェリナ様のいうメガネというものは、工芸品のような物なのですか? もしかして芸術性があって技術的にも高価なものなの?」


「わたしにとっては価値が高い物ですし、芸術性も技術的にも高価であると思いますけど……。使う材料や素材によって価格は左右されると思いますが、そこまで高価な物では……」


「でも、そのメガネという物はイェリナ様の頭の中にしか存在せず、唯一金庫にしまわれていたものはカーライル様の名を騙った者に奪われてしまった、ということですわよね」



 奪われて所在不明の眼鏡様を思ってイェリナの眉間に皺が寄る。けれどサラティアは凛とした表情でイェリナをまっすぐ見つめて射抜く。



「つまり、メガネを知る人間はイェリナ様だけ。であれば、メガネの価値をイェリナ様が決めてよいものではないのではなくて?」

「えっ。……え?」


「イェリナ様。もしかしたらメガネというものは、イェリナ様以外の方にとっても、価値ある物……あるいは富を産み出す貴重な物になるかもしれません。イェリナ様が独断でメガネの価値を低く見積もって決めつけてはならないのではなくって?」



 サラティアの言葉は天啓めいていた。セドリックからもらったものとはまた違う勇気をイェリナにもたらしたのだ。



「……っ!! た、確かにそうです! なんてこと……わたし眼鏡様の価値を不当に貶めていたのだわ……ああっサラティア様っ! ありがとうございますわたしとんでもない間違いを犯すところでした!」


「い、息継ぎをしなさいっ! 顔色が悪くてよ、イェリナ・バーゼル男爵令嬢ッ!」



 ——あ。やっぱりサラティア様は女神だわ。



 酸欠で気が遠くなりゆく中でサラティアの神々しさを幻視したイェリナは、どうにかこうにか意識を繋ぎ止めて呼吸を取り戻す。

 イェリナの無事を確認したサラティアは、ホッとしたように頬を緩めた後、急に咳払いをして真摯な表情を浮かべて背筋を伸ばした。


 サラティアの営利活動ビジネスはここからが本番のようだった。そのキラリと鋭く光る目には、一体なにが見えているのか。イェリナは思わずゴクリと喉を鳴らしてサラティアの言葉を待つ。



「それで……イェリナ様。星祭りが無事に終わりましたら……我々ビフロス家と取引契約しませんこと?」

「えっ。……え? それはどういう……」


「わたくし、メガネなるものに先見の明を見出しましたわ。製作材料と工程に鉱物とその加工があるなら、我々が力になれると思いますの! イェリナ様、メガネなるものの設計図はありませんの!?」

「せ、設計図……ですか?」


「ええ、そうよ。設計図があれば我々が抱えている多くの工房や職人に製作依頼を出すことができるでしょう?」

「……っ、…………!」



 設計図。眼鏡の設計図。

 なんてことだろう、そんなものを残しながら製作するなんて考えは当時のイェリナには存在しなかった。


 言葉を詰まらせて黙ってしまったイェリナに、どうやらサラティアはすべて察したらしい。ゴクリと喉を鳴らして唾を呑み、眉を寄せて慎重に言葉を選ぶ。



「……もしかして、存在、しない?」

「もしかしなくとも、存在、しませんっ!」

「なんということ……。……そうだわ、イェリナ様。今からでも遅くないわ、眼鏡の設計図を書き起こすことはできて?」

「そ、そんな……!?」



 正義のひとサラティアのどうしようもなく悪徳ブラックな要求に、イェリナの背中が汗をかく。

 設計図をどうにか書けば、前世のような眼鏡がズラリと並んだ眼鏡ショップの開店オープンも夢ではない。サラティアの無茶な要求をイェリナはそう解釈した。



 ——設計図……設計図さえあれば……!?



 けれどイェリナには、眼鏡の設計図なんて書いたことも学んだこともない。実物眼鏡だって、もう手元にないのだ。

 つまり、書ける気がしない。



 ——で、でも! ないなら……ないのなら書けばいいのよ……そう、書けばいい!



 眼鏡だって、ないから作った。存在しないのならば、自分で作り出してしまえばいい、と。

 その時の気持ちとたかぶりを思い出し、やります、わたし、やります! とイェリナが宣言しようとしたところで、後方から邪魔が入って止められた。



「あらぁ? 往来が騒がしいと思ったら……田舎娘は道の端にでも控えてくださらない?」



 聞き覚えのある声にイェリナがサラティアとともに振り返る。

 そこに佇んでいたのは、淡く輝く白金色の髪をふわりと緩く後ろでまとめてなびかせた女子学生と、女子学生に寄り添うように腰に手を回して支えるセドリックだった。








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