第35話 アドレーの敗北
§‡§‡§
アドレーは生まれて十八年目にして、はじめて敗北感を胸に抱いていた。
もしかしたら昨夜、
まさかサラティアにまったく気持ちが通じていなかったとは、思いもしなかった。
出会ってまだ数日というイェリナ・バーゼルでさえ、アドレーのサラティアへの想いに気づいたというのに、だ。
そんな傷心のアドレーはカーライル大公邸にセドリックを訪ねていた。
名誉挽回してサラティアに認められること。アドレーの頭の中には、それしかない。
「アドレー。彼女は元気?」
意外にもセドリックは
アドレーは薄っすらと疲労感が漂うセドリックの白い顔をまともに見ることができずに、うつむき加減で口を開いた。
「サラがお嬢さんを……イェリナ嬢を立ち直らせた。今頃イェリナ嬢はサラと
「そっか。それならいい」
セドリックはそっけなく言うと、アドレーを来客用の応接室へと通した。普段なら自室へ通すところを応接室とは、顔には出さないがセドリックはアドレーの所業が相当頭にきているらしいことが読み取れた。
「……ところでアドレー。君、いつから彼女のこと名前で呼ぶようになったの。僕としては認められないな」
「サラには許しているのに?」
「サラティア嬢は別。彼女の友人だから。ではアドレー。君は、なに?」
セドリックの神秘的な黄緑色の目がスッと細まった。突如として湧き出した
——相当、疲れているな。……無理もないか。あのイザベラ・マルタンがべったり張りついていたのだし。
アドレーはピリピリと肌が粟立つのを感じながらも、セドリックをからかう心を失くしたりはしなかった。
「その理屈は……心が狭すぎるんじゃないのか、セドリック」
「それはアドレーの自業自得。君の主人として君の尻拭いを僕が今している」
「……すまない」
アドレーはばつが悪そうに項垂れて、セドリックの深く長いため息の音を聞いた。
元はといえば、アドレーが独断でイザベラと手を組み、中途半端にイザベラを切り捨てたからだ。
——サラティアとセドリックの意志を確認すべきだったんだろうな……。俺が浅はかだったんだ。
アドレーがイザベラに近づいたのは、すべてサラティアのためだった。
将来、サラティアと結婚してセドリックとともに不毛の地セーリング領に行くことが決まっていたアドレーは、少しでも領地での暮らしが豊かなものになるように、と豊富な財源を有するマルタン侯爵家の令嬢イザベラに近づいた。
娘を溺愛しているならば、不毛の地での生活をなに不自由なく送らせるためにセーリング領の領地開拓に大金を注ぎ込んでくれるだろう、と。
領地が暮らしやすくなれば、サラティアに辛い思いをさせずにすむ。
けれどセドリックはイェリナでなければ駄目だ、と言うし、サラティアもいつの間にかイェリナの友人になっていた。アドレー自身もイェリナの不可思議な魅力に取り込まれてしまった。
だからアドレーはイザベラとの縁を切ったのだ。
縁を切る代償に支払ったのは、イェリナの弱点——大事に大事にしているメガネの存在だ。取るに足らない情報だと思っていたのに、まさかこんなことになるなんて。
「本当に、すまない……」
「アドレー、君の謝罪は受け入れない。君が謝るべきなのは僕ではない。彼女が許すなら僕も許そう」
そう告げたセドリックは、言葉とは裏腹に柔らかい表情でアドレーを見ていた。
アドレーは知っている。セドリックが本当に心を許した人間を簡単に切り捨てられないことを。それに甘えて好き放題してしまった自分の愚かさを。
アドレーは手のひらに爪が食い込むほど強く拳を握ってセドリックの言葉を待った。
「いいかい、アドレー。よりによって君は彼女の魂に等しい
「承知した。……が。メガネ……メガネ、か。そんなに凄いモンなのか?」
「少なくとも彼女はメガネを愛しているよ。僕じゃなくてね」
「いや……それは……」
それはないだろう、と言い切る前に、セドリックが沈痛な面持ちでアドレーの言葉を遮った。
「……時々、君にも熱っぽい視線を送っているときがあるんだけど、気づいてた?」
「はぁ? そんな覚えはないぞ!」
「だろうね。アドレーはサラティア嬢しか興味がないから」
「なんだって、そんな……イェ……お嬢さんは気が多いのか?」
「そんなことあるわけないでしょ。理由も大体わかってるから許してるだけ。僕だけを見て欲しいけれど、そんなことをしたら彼女の魅力が損なわれるから。……それでアドレー、君は僕の元へと戻り彼女を認める、ってことでいいんだよね」
どうやらアドレーはセドリックにからかわれたらしい。急に真面目な顔で真剣な声を発したセドリックに、アドレーは神妙な面持ちで
「ああ。あのお嬢さんこそ、未来のセーリング子爵夫人だ」
イェリナに自覚があるかどうかは置いておいて、彼女はセドリックを真剣に慕っている。
それに、イェリナといるときのセドリックのほうが、イザベラといるときよりもいい顔をしているのだから、どちらを選べばいいかなど明白だった。
「そう。ならアドレーにも教えておこう。君にも少なからず関係のあることだよ」
セドリックの
「カーライル家の血のことだよ」
アドレーがハッと息を呑む。
何代か前にカーライル家の姫がローズル家に嫁いでいる。薄くはあるけれど、アドレーにもカーライル家の血が流れていれるのだ。
セドリックはアドレーの目を真っ直ぐ見つめてこう告げた。
「アドレー。我らがカーライル家の血は呪われている。……その呪いを祝福に変える鍵となるのが……
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