第31話 高位貴族の戯れと企み
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正義の人であるサラティア・ビフロスが、友人であるイェリナ・バーゼルを学生寮から連れ出した、という情報は、寮内に潜ませた令嬢より伝達魔法によって知っている。
だからあの馬車には、イザベラからセドリックを奪い取ろうとした小賢しい
——ふふ、ふふふ。あの小娘、ちゃあんとあたくしとセドリック様を見てくれたかしら?
見てくれたなら、それでいい。そうでなくても明日になれば、
セドリックが選んだのは無礼な田舎娘などではなく、高貴なる令嬢イザベラである、と。
イザベラは明日の様子を想像し、上機嫌でセドリックの腕に自分の細い腕を絡ませた。
「セドリック様。星祭りはあたくしと踊っていただけますわよね?」
「君が約束を守るなら」
間髪入れずに返された応答は、酷く冷たく渇いていた。けれど、冷徹なのはセドリックが紡ぐ言葉と声だけ。
高位貴族の子息であるセドリックは、不本意な状況からくるイザベラへの不満や嫌悪を完全に胸の内へと抑え込み、表面上は紳士的で穏やかな仮面を被ってイザベラをエスコートしていた。
それに気づかぬ
イザベラもギリギリと奥歯を噛み締めたいところを抑え込み、セドリックと同じように、たおやかな淑女の仮面を被ってころころと笑った。
「セドリック様、あたくしの婚約者はあたくしに興味がないようですから、当日パートナーが変わっていても気になどしませんわ。セドリック様はなにも気にせず、あたくしと踊ってくださればそれでいいのよ」
「そうか」
セドリックの素っ気ない返事にイザベラの頬が思わずヒクリと引き攣りそうになる。
——誰も彼も、あたくしを馬鹿にして……!
イザベラは今朝、セドリックとある誓約を結んだ。
——本当は、あんな小娘など星祭りに参加させたくはなかったのだけれど……。
セドリックがどうしてもイェリナに星祭りの単位を取らせてやりたい、と強く強く希望したものだから、イザベラは仕方なしに受け入れた。
——ここまで来れば、あの小娘が誰と踊るか、なんて……どうでもいいわ。あの方は今年も星祭りに来てくれない。
イザベラのダンスパートナーである婚約者は、去年も一昨年も星祭りには現れなかった。
婚約者が寄越したのは代理の者だけ。
今年も今朝、代理人を遣わすことだけを書いた簡素な手紙が届いてしまった。
不在の謝意を伝えるドレスもアクセサリーもなにもなく、イザベラはマルタン侯爵家が用意したドレスとアクセサリーをまとい、婚約していることを示すためだけに、婚約者の代理人と踊る。
婚約者側の理由で公表されない婚約関係。それ故に、星祭りで代理の人間と踊っても、誰も不思議に思わない現実。
——あたくしが婚約していることは知っていても、どこの誰と婚約しているのかなんて、誰も知らない……!
そうして積りに積もった
イザベラはニコリと笑う。鉄壁な淑女の微笑みを浮かべ、絡めたセドリックの腕を指先で摘みながら。
「セドリック様。あたくしの手の内に
「わかっているよ、マルタン令嬢」
「いけませんわ、セドリック様。あたくしのことはイザベラと呼んでくださらないと」
「……イザベラ嬢、君がここまで大胆な女性だったとは知らなかったな。アドレーも驚くだろう」
セドリックが唐突に出してきたアドレー・ローズル侯爵子息の名前に、イザベラの微笑みの仮面がひび割れる。
「……ローズル侯爵子息のことなど、どうでもよいではないですか。あんな男。誓約魔法で縛っておくべきだったわ。
憎々しげな枯れた声でイザベラは吐き捨てるように言った。
はじめ、アドレーはイザベラに協力的だった。
なにを思ってのことかは知らないけれど、アドレーはイザベラがちょっと声をかけたらすぐに
アドレーが言うには、セドリックの婚姻相手となる女性は、実家が太いほうがよいのだ、と。どうやら婚約者を苦労させたくなくて、そんな突飛な考えに至ったらしい。
——誰もあたくしの婚約者を知らないから、好き勝手に利用しようとする。だったら、あたくしが他人を好きに利用してはいけない理由はないわ。
だからイザベラはアドレーを利用した。セドリックに近づくために。婚約者を大切に想うアドレーの鼻を明かしたいとも思った。
恋に狂った愚かな女を演じてまで。
いや、イザベラは確かにセドリックに恋心のような憧憬を抱いていた。
——セドリック様はお優しいから。あたくしを助けてくれるのではないかと期待したこともあった、けれど。
今は、もうない。イェリナという田舎娘があらわれて、セドリックは変わってしまったから。どうにか元のセドリックに戻って欲しくて足掻いてみたけれど、駄目だった。
アドレーに至っては、昨夜、頬に真っ赤な紅葉を貼りつけて現れて「もうこれ以上は関わらない」と宣言されてしまった。
当然イザベラもタダで了承するわけもなく、アドレーにあの田舎娘の弱みをひとつ提供させた。おかげでイザベラの企みは実現に向けてひとつ階段を登ることができたのだけれど。
「セドリック様、いつまであの男を取り立てるおつもりですの?」
「……アドレーはああ見えて僕の腹心なんだ」
従者を悪く言われてはじめて眉を顰めて苛立ちをあらわにしたセドリックをイザベラが
「あら、失礼。ふふ、ふふふ……ちっとも役に立たない腹心様、でしょう? ねえ、セドリック様。我が侯爵家からもっと優秀な人材を提供いたしましょうか?」
「イザベラ嬢。少し言葉がすぎるのでは?」
「あら。あたくしとセドリック様のどちらが優位か……わざわざお教えしなくとも、わかっておられますでしょう?」
「…………ッ」
返す言葉を詰まらせたセドリックの表情は、苦々しく歪んでいた。対するイザベラの頬は
あんなに手を伸ばしても心を得ることができなかったセドリックを、今は自在に黙らせることができるなんて。
「セドリック様は大人しく、あたくしに
イザベラは込み上げる愉悦をひび割れた淑女の仮面の奥へと押しやって、とろけるような甘い微笑みでセドリックにしなだれかかる。
けれど、その紫色の瞳の奥には隠し切れない仄暗い炎がチラチラと揺らめいていた。
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