第26話 どうして

 翌朝、どんよりと曇る空の下。イェリナは目覚めるなり支度を整え、書き置きを部屋に残して大公邸を抜け出した。


 どうしてもイェリナの眼鏡に会いたかったから。触ってでれる眼鏡に会いたい。


 セドリックの顔に浮かぶ幻覚眼鏡では、イェリナの眼鏡欲(物理)を一晩だけしか抑えられなかった。



 ——ひと晩耐えただけでも自分を褒めてあげたい。でもこれ以上は無理……!



 そういうわけで寮の部屋に戻ったイェリナは、自分の部屋の扉を開けて愕然とした。



「う、嘘でしょ……金庫が……わたしの眼鏡様が……!」



 荒らされていた部屋には視線がいかなかった。イェリナが釘付けになったのは、開かれたクローゼット。そこからもぎ取られぽっかりと開いた穴。


 イェリナの大事な大事な眼鏡様が匿われていた金庫が、ごっそり無くなっていたのである。


 部屋に入れず呆然とするイェリナ。足の力が抜けてへたり込んだところで、女子生徒が声をかけてきた。



「あら、バーゼル様。どうなさったの?」



 イェリナが力なく振り向くと、そこにいたのはオレンジ色の髪の令嬢だった。どこかで見たことがある気がするけど覚えていない。もっとも、イェリナに眼鏡をかけていない人間を覚えることは無理に近しい。


 彼女はどこか意地の悪い笑みを浮かべていたけれど、イェリナはそれに気づかなかった。



「あ、あの! わたしの部屋に入ったひとを見ていませんか!? 部屋が……部屋が!」

「ふふ、知っていますわ。あなたの大事な大事なセドリック様が命じてやったのよ。金庫を持ってくるように、って!」

「え。……えっ?」



 ——セドリックが……? どうして……。



 眼鏡が金庫ごと無くなってしまったからか、それともそれを命じたのがセドリックであると聞かされたからか。


 イェリナはショックで頭が真っ白になった。


 その後、誰が話しかけてもなんの言葉も耳に入らず、無くなってしまった金庫の跡をただ見つめることしかできない。


 窓の外ではしとしとと、針のような細い雨が降りはじめていた。





  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る