第19話 嘘でしょ、お友達……お友達だわ

 その後イェリナはセドリックに案内エスコートされるがままに、サラティアとともに客間サロン棟の最上階へ行き、平和な昼食ランチを堪能した。


 午後の授業もイザベラの息がかかった教授や学生たちによる嫌がらせが続いてはいた。

 けれど、サラティアが友人関係を結んだことで脳内一面お花畑と化したイェリナは、嫌がらせに気づかず何事もなかったかのようにその日の授業を終えた。

 そして。



「……あれ? この椅子……今朝はこの位置だったっけ?」



 寮の部屋に帰宅したイェリナは、部屋に入るなり違和感を覚えて首を傾げた。


 昨日と今日とで、学院アカデミー内に広がるイェリナの噂や評判は散々なものになっている。

 だから、前世で読んだ漫画や小説みたいに、嫌がらせが起こるだろうことは予測していた。いくら異世界とはいえ、現実だ。そんな馬鹿みたいなことが起こる可能性はないだろう、と楽観視していたところもあった。

 けれど。



「なくなっている物は……ないみたいだし、まあ、いっか」



 ひと通り部屋を見渡して、イェリナは安堵の息を吐く。なにかを探られたような気配は確かにあった。そもそも盗られて困るものは金庫の中にしか存在しない。



「……念のため、金庫も確認しようかな」



 イェリナはクローゼットの中の金庫を開けた。中には柔らかい布に包まれた一本の眼鏡。昨夜しまったときと同じ姿でそこにいた。



「よかった……わたしの眼鏡様! 神様仏様金庫様、わたしの大切な眼鏡様をお守りいただき、ありがとうございます!」



 思わず前世の癖がでた。イェリナは眼鏡と金庫を前にして両手を合わせて合掌し、ありがたや、ありがたや……と何度も頭を下げて礼を述べる。

 そうしてイェリナは布に包まれた不恰好な眼鏡を取り出して、心ゆくまで実在眼鏡を堪能したのであった。






 翌日。

 イェリナは今朝も二時間前倒しで学院アカデミーに登校した。


 時間潰しを兼ねた予習復習のために避難していた図書閲覧室から教室へ向かう廊下の途中で、周囲の状況が昨日とはまた少し違うことに気がついた。


 飲食厳禁の図書閲覧室で朝食代わりのサンドイッチを食べてしまったことに気づかれたのかな、なんてビクついたのは一瞬だった。

 どうも学生たちが気にしているのはイェリナではなく、別の令嬢のようだった。



「あら見て、どこかの田舎娘に取り入ってカーライル大公子息様に近づいた身の程知らずの御令嬢がいらっしゃったわ」



 と、どこかの御令嬢が囁いた。それを偶然拾ってしまったイェリナは、何事かと耳をすませて聞いてみる。



「まさかビフロス伯爵令嬢様がマルタン侯爵令嬢様に逆らうなんて……そんなにカーライル大公子息様と親しくなりたかったのかしら?」

「ねぇ、あの方……確か婚約者がいたのではなくて?」

「嫌だわ、なんてはしたない……」



 ヒソヒソ、ヒソヒソ。いくら貴族に噂好きな面があるといっても、これは酷い。世界はこんなにもわかりやすく変わるものなのかな、とイェリナは冷めた目で噂雀うわさすずめたちを見やる。



 ——サラティア様はわたしに公平で公正で親切にしてくれただけなのに!



 ひとり憤慨して歩くイェリナの肩に力が入る。無意識に頬を膨らませそうになったところで、凛とした涼やかな声をかけられた。



「イェリナ様、おはようございます」



 周囲がざわりとどよめいた。噂と冷笑の標的にしていた人物が堂々とあらわれたのだ、動揺もするだろう。

 けれど一番驚いたのは、イェリナだった。驚きを隠せずしどろもどろになりながら、イェリナはサラティアに挨拶を返した。



「さ、サラティア様……お、おはようございます」

「なんですの、変な顔をして」

「あの……いいんですか? わ、わたしと仲良くしたらサラティア様が……」



 ——わたしへの嫌がらせのとばっちりを受けて欲しくないのに。



 昨日の悪女になる決意はどこへやら。イェリナの背筋はすっかり丸まって、眉尻だって垂れ下がっている。

 そんな気弱なイェリナを叱咤するように、ピンと背筋を伸ばしたサラティアがイェリナの手を取り、ぎゅっと握った。



「貴女、わたくしを見くびらないでくださる? わたくしを取り巻く状況が変わったのは、わたくしの選択によるものですわ。貴女、わたくしの意志を踏み躙るおつもりかしら?」


「い、いえ、そんなつもりは!」


「でしたら、なにも問題はないわ。それに……昨日のカーライル様の言葉通り、わたくしはわたくしのお友達を自分で選んでもいいのだわ。でしたら、わたくしは貴女を選びます。……イェリナ様、わたくしとお友達になってくださる?」


「さ、サラティア様……ッ! よ、よ、喜んで!」



 やはりサラティアはイェリナの女神だった。イェリナは歓喜の涙を流す勢いでサラティアの両手をガシリと握り返した。



 ——は、はじめての……転生してからはじめてのお友達……!



 女神サラティアは、はじめて友人ができた事実に興奮するイェリナに戸惑いもせず、ともに陰口を浴びながら第一講義の教室へと向かってくれた。

 もう他人の視線も囁きも、気にならなかった。イェリナはサラティアのように胸を張り背筋を伸ばして堂々と廊下を歩いた。



 ——お友達パワーって、凄い……!



 イェリナの胸にキラキラと輝く星がとまったかのよう。歩いているだけなのに、心がうきうきと浮かれて弾んでしまいそう。

 口さがない噂が飛び交う廊下をニコニコと上機嫌で歩くイェリナに、こちらもまったく気にしていない様子のサラティアが「そういえば……」と話を振った。



「イェリナ様は星祭りの日はカーライル様とダンスを踊るのよね? 推薦人と保証人はどういたしますの? 二日前には申請を出さないと参加自体ができなくなりますわよ」


「えっ。……え?」

「まさか貴女……」

「ち、違います違います! ちゃんと知ってます!」



 星祭りの推薦人と保証人。舞踏会ダンスパーティーに参加するために必ず必要となる第三者である。


 学院アカデミーの星祭り。それも舞踏会ダンスパーティーは、婚約者を紹介するための場でもある。家門にとって重要な人物や婚約者候補の場合もある。

 パートナーとして推薦できる人物か、騒ぎを起こさない品行方正な人物であるという保証があるか。前世的にいえば、推せるパートナー同士なのか、ということを証明する第三者がそれぞれに最低でも一人ずつ必要なのである。



「セドリックは、アドレー様に認められれば大丈夫だ、って……だから……」



 イェリナ自身は推薦人も保証人も、なんの準備もしていない、むしろアドレーに認められることこそが、推薦人と保証人の問題を解決する唯一の道だと思っていた。

 それが険しい道であることはわかっていたけれど、どうやらサラティアもイェリナと同じ意見だったらしい。アドレーの名前を耳にした途端、眉をピクリと跳ね上げたからだ。



「そうでしたの……アドレーに。でもそれは……難しいと思いますわ」


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