第18話 単位狙いだと叫びたい

 他人になにか言われたくらいで諦めるほど、イェリナの眼鏡愛はヤワではない。それに今は、眼鏡への愛だけじゃない。


 セドリックを利用してしまうことを自覚してなお、利用し続ける悪女の道を選んだのだ。イェリナは自分の心を奮い立たせてイザベラと対峙する。



「ダンスのパートナーになりたいのでしたら、わたしではなく直接お願いしてみてはどうですか?」



 そんなイェリナの態度が気に障ったのか。イザベラがギリリと奥歯を噛み締めて、大きな声を突然上げた。



「マルタン侯爵家のあたくしが命令しているのよ! ジョルジオ・ゼントは失敗したようだけれど、別の人間を使ってもっと痛い目を見せてあげてもいのよ!?」


「それは困ります! それに、そんなことをしてもセドリックは」


「まあ、なんてこと! なんて恥知らずな!」

「そうですわ! 高貴なる令嬢イザベラ様が許されていないというのに、なぜ低俗な田舎娘がセドリック様を……それも呼び捨てにしているなんて!」


「……イザベラ様、リリィ様。カーライル様みずからイェリナ嬢に名前呼びをお許しになったのです。わたくし、この目と耳で、確かに認めましたわ」



 イェリナとイザベラの応酬に、サラティアが割り込んだ。

 決してイェリナを庇い立てするわけではなく、サラティアが知る事実だけを凛とした態度で告げただけ。

 けれど嫉妬で戦慄わななくイザベラは、サラティアすらも敵とみなした。



「サラティアッ!? な、なんてこと……あなた、この女の肩を持つつもり!?」

「いえ、そういうわけではありません」

「言い訳なんて聞きたくないのよッ! なんなの……なんなの、セドリック様もサラティアも……こんな田舎娘のどこがいいのよ!?」



 周りの目を忘れてしまうほどの癇癪を起こしてイザベラが叫ぶ。



 ——この方……婚約者がおられるのに、そんなにセドリックのことをお慕いしてらっしゃるのね……凄い。



 髪を振り乱して金切り声を出すその姿に、イェリナは逆に冷静になってしまった。だから悪女を目指しているものの、少しも悪女らしくなく小さく挙手をする。



「あの、すみません。ビフロス様を責めるのは筋違いではないでしょうか。それから、八つ当たりするのもおやめになった方がよろしいかと存じます」


「ち、ちょっと、イェリナ様!? な、なにを言っているの、口を閉じなさい! イザベラ様は貴女が口答えできるような身分の方ではないのよ!?」


「えっ、嘘っ!? ビフロス様がわたしを名前で呼んでくださるなんて……授業中のあれは聞き間違いじゃなかったんだ! ああ……嬉しいです。やっぱりビフロス様は親切でお優しい方……!」


「な、な、なにを言っているのか理解できませんけどっ、カーライル様に貴女をよろしくと頼まれたから……」

「ほら、やっぱり! やっぱりビフロス様は親切な方です!」


「なにが、やっぱり、なのかちっともわかりません! ……ああ、もうっ! 貴女、わたくしのことはサラティアと呼びなさい! わたくしだけが名前で呼ぶなんて、あってはならないわ!」


「サラティア・ビフロス伯爵令嬢ッ!!」



 雷のような、爆ぜる炎のような、力強い声が辺りに響いた。イザベラだ。



「は、はいぃっ! 申し訳ありませんっ、イザベラ様ぁ!」



 反射的に返事をしたサラティアの声が裏返っている。

 イザベラはその美しい紫色の目を怒りと嫉妬で吊り上がらせて、身体を震わせていた。



「あなたッ! なにを考えて!」

「マルタン令嬢。君、ちょっと傲慢だね。ビフロス令嬢は僕のお願いを聞いてイェリナを気にかけてくれているだけなのに。それにまた、名前で呼んでる」


「かかかかカーライル様ッ!?」



 一体、いつからいたのだろう。サラティアを庇うように割り込んだセドリックに、今度はイザベラの声がひっくり返る。

 先ほどまでの剣幕はどこへやら。顔を赤らめたイザベラは急にしおらしくなってモジモジと視線を彷徨わせている。



「あの……っ、カーライル様……これは……」



 懸命に淑女の姿を取り繕ってセドリックに話しかけるイザベラを、けれどセドリックは目にもくれなかった。ふたり分の昼食ランチを抱えてイェリナの元へと真っ直ぐに向かう。



「——ごめんね、イェリナ。遅くなってしまった。ここでは落ち着いて食べることができないようだから、客間サロン棟へ行こう」



 まるでイザベラの存在など見えていないかのような振る舞いに、悪女を目指すイェリナでも、さすがに気まずく思う。



「あ、あの……セドリック……」

「うん? ああ、そうだね。——サラティア嬢、おいで。一緒に行こう」

「……え? わわわわたくし、ですか!?」


「イェリナを気にかけてくれたお礼。それに君は、自分の友人を自分で選べるはず」



 セドリックが優しくサラティアを誘う声を聞きながら、イェリナは必死で笑顔を続けていた。

 悪女になると決めたイェリナはセドリックに、そうじゃない、と言い出しそうになる自分の良心を胸の内で引きとめる。



 ——あああ悪女になると決めたのだから、マルタン様のお気持ちをなだめなくても……い、いい、いいはず、だから。



 セドリックを想うイザベラが、ないがしろにされて憤怒の形相を浮かべている。それを悪女らしく見ないフリをして、イェリナが困惑するサラティアの手を取った。



「サラティア様、行きましょう! わたし、はじめてです。お友達と昼食ランチをするのって」

「い、イェリナ様っ!? ななななにを勘違いされているのか知りませんが、わたくしと貴女は決してお友達というわけでは——」


「仲、いいよね。サラティア嬢、これからもイェリナをよろしく頼むよ」

「は、はいぃっ! し、承知いたしましたわッ!」



 セドリックに真正面から見つめられたサラティアが、耳まで真っ赤に染めて背筋をシャキッと伸ばす。そのやり取りに、イェリナはほんの少しだけ頬を緩めた。

 けれど、イェリナの心の中は複雑だ。


 サラティアに手を振り払われなかったことを喜ぶべきか。それとも、イザベラを無視するという悪女らしい振る舞いができたことを誇るべきか。



 ——しっかりしなきゃ。悪女っぽく振る舞えば、セドリック狙いじゃなくて単位狙いなんだってこと、白金の御令嬢にもアピールしやすいはずだから……!



 どちらにしても、今のイェリナはアドレーが認めてくれるような女性像から猛スピードで離れていっていることだけは自覚していた。








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