第11話 カーライル大公家の事情
§‡§‡§
「父上、それから兄上。ご報告があります」
王都郊外にそびえ建つカーライル大公邸の大公執務室で、セドリックが姿勢を正して直立していた。
セドリックの真正面には、歴史を感じる重厚な造りの
「……どうした、朗報か?」
静かな執務室にブレンダンの威厳のある重低音が響く。
セドリックは実父が醸し出す圧を笑顔で柔らかく受け流し、ひとつ頷くことで肯定した。
「我らカーライル家の悲願、メガネを識る者と接触しました」
イェリナ・バーゼル男爵令嬢の名前は出さずに静かに告げた。
彼女は今朝、確かにセドリックを見て「メガネ様」と呼びかけた。だから確実に彼女はメガネを識っている。
カーライル家の血を引く人間には、メガネを識る者を見つけたら当主とその後継者に報告する義務がある。もう何百年と実行されたことのない義務ではあるけれど。
だからジョシュは酷く驚いて立ち上がり、机から身を乗り出した。
「なんだって!? いったい、いつ、どこで!? どこの家門の人間だ、それとも平民か!? ああ、まさか僕らが生きているうちに見つかるとは……! それで、どんな人間だ? 男か、女か? 大人か、子供か?」
「落ち着いてください、兄上。彼女は
「あ、
下位貴族の場合はそこまで堅苦しいものではなく、恋人のお披露目だとか、親しい人間の周知を目的にしていることもある。
どちらにせよ、
「承知しています。だからこうして、父上と兄上に許可を」
「……ローズル侯爵家の息子はなんと言っている?」
ブレンダンが淡々と言った。黄緑色の目が鋭く細められ、セドリックの思考を読み取ろうとしているようだった。思わず背筋がゾクリと冷える。
セドリックは震えや怖れを完璧な紳士の態度で覆い隠して冷静に言葉を紡いだ。
「アドレーはカーライル家の悲願を知りません。彼女のことは無礼な田舎娘だ、と。反対していますが、当日までにはどうにかします」
「ぶ、無礼な田舎娘ぇ!? それ、大丈夫なのかセオ。兄としては心配だな……」
「だが、お前は気に入っているようだな。違うか、セオ?」
「ああ、お見通しですか。ええ、気に入っています。彼女は稀有な存在です。僕と話していても怯まず、自分の意見を話せる。色仕掛けをしても、際立った反応はなし。高位貴族に対するマナーはまだまだだけれど、飲み込みが早いから問題はない。それに、僕自身には興味がなさそうなのに、僕と踊りたいらしい」
セドリックは、イェリナが自分を見ていないことなんて、しっかりとわかっていた。
彼女がセドリックを見つめる目は熱を帯びて潤んではいるけれど、それでもセドリック自身は見ていない。
それがなんなのか。イェリナはいったい、なにを見ているのか。セドリックは不完全ながらも理解していた。
——イェリナはメガネとやらを、僕の顔に視ている。
残念ながらセドリックをはじめカーライル家の人間が、メガネなるものの形状や役割を完璧に理解しているとは言い難い。
けれど、知識として識っている。遠い遠いご先祖様に、メガネなるものを崇拝していた人間がおり、その者が一族の血に祝福と呪いをかけた、と言い伝えられているから。その祝福と呪いは、メガネなるものを深く愛するものにだけ、幻覚としてメガネが視えるというものだ。
——あんなに夢中になって僕より幻覚を見つめるなんて……。
セドリックの魅力ではなく、
「彼女はとても、面白い。それに……癒される」
不意に頬が緩んで、セドリックのくちびるが柔らかい弧を描いた。それを見たジョシュが、なにかを悟ったかのように生暖かい目をセドリックに向ける。
「あー……そっか。そうなのか、セオ。わかった、僕は反対はしない。……父上は?」
「セオ、星祭り当日まででは遅すぎる。ローズル侯爵家の息子は三日でどうにかしなさい。話はそれからだ」
「ええー!? 父上、セオに厳しすぎませんか! 卒業後の領地も子爵に降格、不毛の大地セーリング領ですよ!? もう少し甘くても……」
「だからだ。不毛で呪われた地を治めねばならぬセオには、厳しいくらいでちょうどいい。それに、メガネを識る者が現れたなら、セーリング領は……」
「それでもです! 領主教育も婚約要求整理も、なにひとつセオにはしてやっていないじゃないですか。僕のことはいいんです、僕のことは。セオはまだ子供ですよ……もう少し優しくたって……」
厳しいブレンダンに怯むことなく苦言を呈すジョシュの言葉に、いい兄を持ったな、とセドリックは思った。それに、父の言葉も態度も、兄が言うほど厳しいわけじゃない。
アドレーは将来セドリックの参謀として、ともにセーリング領へ行くことになっている。そんな側近中の側近を説得できずに彼の地の領主にはなれない、ということだろう。
セドリックは緩みかけていた背筋をピン、と伸ばしてブレンダンと向き合った。
「兄上、大丈夫です。わかりました、アドレーの件は三日で決着をつけます」
「期待している。もう下がれ」
「はい、失礼します」
「セオ、まだ行くな! ……父上、話は終わってませんけど!?」
セドリックは自分を思うジョシュの優しい叫びを聞きながら、大公執務室を後にする。まずは自分ができることをひとつずつやるしかないのだ、と思いながら。
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