第7話 ちょっと距離が近いのですが!
§‡§‡§
残されたのは、イェリナを連れ去るセドリックの背中を唖然と見つめることしかできない三名だ。
この中でいち早く正気を取り戻したのは、サラティアだった。
「ち、ちょっとカーライル様っ!? バーゼル男爵令嬢は次の授業が……っ! あ、ああ……行ってしまわれたわ……」
次に我に返ったのはイザベラだ。イザベラは左手の親指の爪をカリカリと噛みながらサラティアを睨む。
「……サラティア。よくも貴女、余計なことを……」
「あ……それは……」
険しい表情のイザベラからサラティアは思わず目を逸らした。高潔なる血、清廉なるビフロス家。ビフロス家のものは皆、血を引いていてもいなくても、呼吸をするように正義を成す。
だからサラティアもイザベラの不興を買うことになるのはわかっていても、黙っていられなかった。己の内に住む良心をこれ以上裏切りたくはなかったから。
「黙っていないで、言い訳のひとつでもしてみなさい!」
「イザベラ、違うだろ。お前がサラティアに言うべきことは、そんな言葉じゃない」
異常な剣幕で怒鳴るイザベラをセドリックが残した言葉を持ち出してアドレーが止める。イザベラは深呼吸をひとつ。時間をかけて行って、荒ぶる心をどうにか沈めた。
「……そうね。助かったわ、サラティア。でも次はなくてよ」
「まったく、意地っ張りな御令嬢だ。まだ足りないぞ。セドリックはなんて言ってたっけ?」
ひょいと肩を竦めてアドレーが言う。その顔はイザベラのツンケンした態度を茶化すようにニヤニヤと笑っていた。
「もう! アドレーには感謝していますわ! ……それにしても……セドリック様、どうしてしまったのかしら……あんな田舎娘に懸想するなんて……」
「いわゆる、新鮮だった、ってヤツだろ? 貴族の坊ちゃんによくある話さ」
「それにしたって……。まあ、いいわ。アドレー行きましょう、もっと緻密な計画を立てなければ……誓約魔法を使ってでも今年こそ、今年こそ、絶対にセドリック様と踊るのだから……!」
「あー、はいはい。やりすぎには注意しろよ、あいつ、勘も鋭いからな。……じゃあ、またな、サラティア。しっかりあのお嬢さんを見張ってろよ」
アドレーの命令にサラティアは無言で頷き深々と頭を下げた。貴族令嬢として、くちびるを噛み締めて歪んだ顔を晒したくはなかったから。
アドレー・ローズル侯爵子息。
薄いとはいえ王家や大公家の血も混じる侯爵家よりも格が劣る伯爵令嬢であるサラティアは、彼の言葉に逆らうことなどできやしないから。
だからサラティアは複雑な面持ちで二人を見送ることしかできない。
§‡§‡§
イェリナが
「イェリナ、大丈夫だった? アドレーが君に対してあそこまで無礼を働くとは思っていなかった。僕の落ち度だ、すまない」
イェリナをふっかふかな
ほんの少しだけひんやりとした滑らかな手に包まれて、イェリナの疑問——人ひとり横たわれそうな大きさであるというのに、どうしてこんな隅っこに片寄って座っているんだろう——はどこか遠くの方へと飛び立ってしまった。
婚約もしていない未婚の男女が、学生とはいえ密室にふたりきりという状況は
けれどセドリックがひと足先に「
気を抜けば膝や腿がぴたりとくっついてしまいそうな距離に抗議もできず、気を張り詰めたイェリナは隣に座るセドリックにひとまず頭を下げた。
「わたしは大丈夫です。助けてくださって、ありがとうございました。後でビフロス様にもお礼を言わなければなりませんね」
「ふふ。そうだねイェリナ。……やっぱり君はいいなぁ。どうしてアドレーは君を認めないんだろう」
ニコニコと柔らかく微笑むセドリックは、笑顔の裏でなにを考えているのか、さっぱりわからない。本心のようにも見えるし、遊び心が漂っているようにも見える。
「……カーライル様、ひとつ聞いてもいいですか?」
「なに?」
「カーライル様には、もう、星祭りのパートナーがおられる、というのは本当ですか?」
「アドレーかマルタン侯爵令嬢がなにか余計なことでも言った?」
「いえ、わたしの好奇心です」
即答するイェリナに、セドリックが浮かべた笑みを少しばかり深くした。
「僕が誰と踊るか、気になるの?」
「端的に言えば、そうです」
——いくら婚約者がいないとはいえ、もう決まっているパートナーからカーライル様を奪ってしまうのは結局、泥棒猫になるってことだから……。それは人として避けたい!
イェリナの即答を受け取ったセドリックは、なにをどう受け取ったのか。楽しそうに頬を緩めて囁いた。
「そっか。それなら教えてあげる。僕のパートナーはアドレーだよ」
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