第3話 悪役っぽい御令嬢があらわれた!

「イェリナ・バーゼル男爵令嬢! 貴女、どのようなおつもりで?」



 セドリックに廊下に置き去りにされたショックで現実から逃避したイェリナの意識を呼び戻すように、凛とした鋭い声が響いた。

 冷たい湖の青緑色の眼、綺麗に巻かれた少し暗めの金髪。鷲と鉱石が配置された襟飾りブローチをつけた女子学生——襟飾りブローチの意匠から、彼女は伯爵令嬢であろう——がイェリナに向かって歩いてくる。



「バーゼル男爵令嬢、お答えになって?」

「……えっと、その……」



 見知らぬ伯爵令嬢の強い声と視線とに、思わず肩が跳ね、膝が震える。



「あの、ですね……」



 どんなに頭の中をひっくり返しても、イェリナは自分の事情を他人ひとに理解してもらえるような簡単で優しい説明をすることはできなかった。



 ——どうしよう、眼鏡を語ることはできても、説明ができない……!



 困り果てて視線を彷徨わせているイェリナの様子が、伯爵令嬢にしてみれば、不恰好な悪あがきに見えたのかもしれない。

 彼女は丁寧に巻かれた金髪をゆっさゆっさと揺らし、美しく輝く青緑色ターコイズブルーの眼を吊り上げながら、カツカツとヒールを鳴らしてイェリナに詰め寄った。



「貴女、カーライル大公子息様を存じ上げない、なんてお粗末な嘘までついてお近づきになりましたね?」

「いえ……あの……」


「なんて卑怯な。カーライル様に婚約者がいらっしゃらないことをいいことに、はしたない真似を……。一体、どのような教育を受けていらっしゃったの?」

「え、嘘。ああ、よかった! 眼……カーライル様は婚約者がおられないのですね。よかった……泥棒猫にならなくて、本当によかったぁ……!」



 セドリックにパートナーがいなかった理由も、どうしてイェリナの申し出を受けてくれようとしたのか理由も。本当のところは、まだよくわからないけれど、婚約者がいないのなら高位貴族の気まぐれなんだろう。



「ちょっと! この後に及んで、なんて酷い受け答えなの!? 婚約者の存在を気にするなんて、やっぱり貴女、カーライル様を狙っているのね!?」


「狙うだなんて、物騒な……ええっと……そう言うあなた様もカーライル様を狙っているのでは?」

「わたくしはいいのよ!」



 伯爵令嬢は強気に言って、視線を一瞬イェリナから逸らす。


 釣られたイェリナが御令嬢の視線の先を追うと、淡く輝く白金色の髪を編み込んでまとめた高位貴族と思しき令嬢がひとり。

 その令嬢が、スッと紫色の目を細めた。途端、伯爵令嬢の眉間に皺が寄る。


 なんだろう、とイェリナが不思議に思っていると、伯爵令嬢が咳払いをしながら言葉を続けた。



「……そんなことより、カーライル様は、貴女のような緑の眼を持たない田舎の男爵令嬢風情が言い寄ってよい存在ではないのです!」

「はあ……そうなのですか。でもわたし、言い寄った訳ではないので。わたしにとっては、死活問題だったのです」



 ——そう、眼鏡と単位的に。



「そういうことを言っているのではなくて……!」



 イェリナの態度に焦れる伯爵令嬢。至極真剣な表情で訴えるイェリナ。

 斜め上にすれ違っている状況を変えたのは、どちらでもなかった。第一講義の予鈴がキンコンカンと学院アカデミー中に鳴り響いたのだ。

 イェリナはこれはチャンス! とばかりに両手を合わせ、パチンと大きな音を立てる。



「あ、そろそろ講義がはじまりますよ。遅刻しては大変です、名も知らぬ親切なお嬢さま!」

「わ、わ、わたくしの名も知らないとでも言うつもり!? わたくしは……わたくしは、サラティア・ビフロスよ! 覚えておきなさい!」



 ビシッと指を突きつけられたイェリナは、まるで緊張感のない困った顔でこう返す。



「……ええと、努力します。立派な金の巻き毛で青緑色の瞳を持つ方は、この学院アカデミーに八名おられるので……ええと、本当に、努力……します。その素敵な意匠の襟止めブローチで見分ければ、なんとか……」



 だから大丈夫だと思う、とイェリナが曖昧に笑った。

 けれど、そんな自信のない返答を生粋の貴族令嬢であるサラティアが受け入れるわけがなかった。



「な、な、な……なんなの貴女——ッ!?」



 ワナワナと震えだしたサラティアにはお構いなしで、イェリナはセドリックのやり方を真似て第二学年の第一教室へと駆け込んでゆく。








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