4.神様ひっこし株式会社



「もう察しはついていようが、ワシらは人間ではない」

 キーコの身体の断面に軟膏なんこうのようなものを塗り込みながら、テル姫は穏やかに先を続けた。その声色には、怯え困惑するキーコへの思いやりが確かに込められている。

「ワシは八百万やおよろずの神のはしくれじゃし、ハナちゃんも……ほれ」

 ハナが、ずっと深くかぶっていたキャップを脱いだ。キーコは息を飲む。ハナの額には、左右一対、短くも鋭い角が生えていたのだ。

「……鬼?」

「オニはかなぼう!! 言いますからねえ?! にほんじん、ことば、おもしろいネ」

 つられて笑ってしまいそうなほどの屈託ない笑顔で、ハナが金属バットを持ち上げてみせる。あんなものを武器にして戦う理由がまさか『鬼に金棒』のシャレだったなんて想像だにしなかった。

 ハナの笑顔に見惚みとれているうちに、テル姫は鮮やかな手付きで手当てを済ませてしまった。キーコの肉体の失われた部分には包帯が隙間なく巻かれ、その上から護符のようなものが貼られている。包帯の内側は不思議に暖かく、失われた肉感が蘇ったかに感ぜられる。

 だがキーコの甘い考えを読み切って、テル姫が人差し指を突きつけてくる。

「治ってはおらぬぞ! ただの一時しのぎ、魂の消滅を遅らせているだけじゃからな」

「ありがとう……」

「ま、これも業務の一環じゃ」

「何の仕事なんですか?」

「神はいくつもの側面を持つ。祭祀を怠れば和霊にきたま転じて荒霊あらたまと化し、人に害をなすこともある。また悪しき神、まつろわぬ神、どうしょうもない外道に悪鬼、時にはあの狐のように、好意のつもりで害をなしてしまう奴もおる。

 そうしたたわけ者を退治たいじて回る。中世末期の“後始末人”に端を発し、近世の“妖狩人あやかりうど”、近代の“破魔師”を経て現代いまへと繋がる裏家業……“神殺し屋”とでも名乗ろうかの」

「殺すんですか。狐様を」

「よいか、キーコとやら。

 今いるここは、現実と虚構の狭間はざまに横たわる夢津国イメツクニ

 狐はそなたの願望を基盤にしてこの夢を具現化した。この地にある限り、奴の施した術が半自動的にそなたの心を反映する。『自分みたいなクズは死んでしまえばいい』、そういうそなたの投げやりな心が、夢津国イメツクニ悪虫わるむしを生み出したのじゃ。

 時が経てば状況はなお悪くなる。いかに居心地よくとも夢はしょせん一時いちじ泡沫うたかた。いつまでもって立てはせぬ」

 目を合わせようとしないキーコに見切りをつけて、テル姫は立ち上がった。

「後はワシらが始末する。ここで大人しくしておれよ。生きて現世に帰りたいならな」

 連れだって去っていくテル姫とハナ。彼女らの、「ああよかった……全部しゃべれた」「がんばりました!! からねえ?!」「あらかじめ何を話すか頭の中に原稿を128通りほど考えておいたのじゃ。ああよかった、噛まずに言えた、やったぞワシは……」などという気楽なおしゃべりが遠ざかっていくのを聞きながら、キーコはひとり奥歯を噛み締めていた。

 “生きて現世に帰りたいなら”

 そんなこと……

 ……そんなこと!



   *



 白狐は戦っている。

 夢の街の大通りで、万を数える悪虫わるむしたちに囲まれて、ひとり壮絶に戦っている。道を埋め尽くす敵の群れ。そこを駆ければ血肉の線が縦一文字に刻まれる。踏み潰し、蹴散らし、みつき、叩き伏せ、狐は敵を殺して殺して殺して殺した。だが虫どもは次から次へ押し寄せてくる。無限に思える異形の波が四方八方から狐に殺到し、ついにその身に飛び掛かり貼り付く。

 ぎゃ!!

 狐が悲鳴を上げた。肌に憑りついた悪虫わるむしどもが、さながらのみが血を吸うように、狐の表皮に腕を突き刺したのだ。鮮血がほとばしり、あれほど美しかった体毛を見る影もなく汚していく。身体がふらつく。声が弱る……

 その時。


皆人みなひと

 いましみことこそ 長人ながひと

 千歳ちとせもかもと おもへしを

 あわれ空蝉うつせみの 世の定め

 今かくかくり いませるを

 嘆き悲しみ 惜しむこと

 限りなければ 人の世の

 習慣ならわしにより みはふりの

 わざつつしみて 仕奉つこうまつる》


っけぇーっ!」

 街じゅうに響くテル姫の祝詞のりと。たちまち辺り一面の地面に金色の光が走り、それを浴びた悪虫わるむしどもを溶かしていく。これは葬送の祭祀。死にきれず怪物化した魂をなだめ、元の冥府へと送り返す術。

 後に残ったのは傷つき血に濡れた狐一頭。炎色の目がテル姫を睨む。その前に金属バットをかまえたハナが立ち塞がる。

「ふん。なんちゅう目で睨みおるのじゃ。奴め、空腹も限界じゃな」

「アメ!! 食べれたらいい!! ですけどねえ?!」

「……そうじゃな。しかし情けをかける余裕は……」

 唾液と唸りと肉のきしみを痛々しく撒き散らし、低く道に足を踏ん張り――

「ないぞ、ハナちゃん!!」

 狐が来る!



   *



 キーコは走った。テル姫がせっかく作ってくれた結界を抜け出し、森を飛び出し、街に舞い戻り、カンだけを頼りにひた走った。街は様変わりしていた。あれほど美しかった道路もビルも、空に浮かぶ大小の泡も、みな死んだように色彩を失って、乾いた残骸を風に晒している。

 テル姫は言った。ここはキーコの願望の世界だと。キーコの心を反映するのだと。ならこの街の荒廃はキーコの迷い。夢の中に没入し、優しさと快楽の海に溺れた、キーコ自身の心変わりと苦悩の露呈。

 足が痛い。

 胸が苦しい。

 五体がばらばらに砕かれそうだ。

 もうこれ以上走れない。だってずっと走って来たのだ。昨日今日の話ではない。生まれた時から、ずっと、ずっとだ! 子供のころから頭が悪くて。気が弱くて。体力がなくて。心は子供のままだったのに、身体だけは不釣り合いなほど大人になってく。小4ごろから膨らみ始めた胸は6年生の時にはブラジャーのサイズに困るほどになり、当然の帰結として揶揄の対象となった。同級生だけじゃない、大人さえ無神経に卑猥な言葉を投げつけてくる。触られることも抱き付かれることもあった。それが嫌で。学校が、コミュニティというもの自体がたまらなく気持ち悪くなって。ずっと小説とマンガとアニメとネットで時を過ごして。友達もなく、恋人もなく、大学は出たけど就職に失敗し、実家を出たい一心で入った会社はクソブラック。それでもずっと走って来たのだ。この身体で。この人生を。たったひとりで走って来たのだ。

 でも。

 はじめてと思えた!!

 一緒に走ってくれる相手が!!

 一緒に走りたいと思う相手ができた!!

 だから……

「私の願望」

 キーコは足を止め絶叫する。

「私は! 低燃費で小回りの利く丸くてかわいい軽自動車が欲しい―――――っ!!」



   *



「ねばるのう、狐」

 テル姫は焦りを軽口で塗りつぶし、次なる術を編み始めた。白狐は、強い。ハナは猛然と狐に飛び掛かり、金属バットを縦横に振るって幾度も痛打を浴びせている。テル姫が撃った矢は既に十本余りも白狐の胴に突き立っている。なのに狐は倒れない。全身を血と傷に覆われ、ほとんど元の毛色が分からなくなってさえ、跳躍力と膂力りょりょくはわずかばかりも衰えていない。

「その根性を、もっと別の形で使っておれば!」

 テル姫が憤りと共に放った矢は、狐の跳躍によってかわされた。避けながら狐の目がテル姫を捉える。あっ、と思った時にはもう遅い。着地するや否や狐は弾丸のように駆け出し、一直線にテル姫へと向かってくる。

(やばっ……)

 テル姫の白い顔に青みが差した……その直後。

 どっがっしゃぁーんっ!!

 と横手から突っ込んできたハイブリッドカーがミサイルの如く狐をね飛ばした。

「な……」

 唖然として立ち尽くすテル姫。衝突でエンストした車の運転席には、ハンドルにしがみつくようにして涙を浮かべているキーコ。事故? のときに、豊満な胸を思いっきりエアバッグに叩かれてしまったのである。

っっ……だぁぁーっ!」

「な、わ、こ、たっ、たわけ者がぁーっ! なんちゅー無茶をするんじゃ死ぬ気かアホかここが夢じゃなかったら即死しとるぞ何考えとるんじゃ何のためにワシらが戦っとると第一じっとしとれと言ったじゃろーがっ!」

「キーコさん!! 強いですねえ!!」

「褒めとる場合かあーもうツッコミが追いつかんっ! 死んだらどうする気だったんじゃ!?」

「そんなこともうどうでもいいです!

 どうせ死ぬ気なんだ! なんでもやってやるっ!!」

 歪んだドアを気合で蹴り開け、キーコが大股にテル姫へ詰め寄る。

「狐様は殺させません!」

「今おぬしがねたじゃろうが!?」

「あのくらいじゃ死なないんでしょ? 狐様は何も悪くないっ! 元はと言えば、ご利益が欲しくて神社を建てたくせに要らなくなって忘れてポイ捨てにしたウチの会社が悪いんじゃないですか!」

「それはそうじゃが」

「だったら! 誰かちゃんとした人のところへ!」

 テル姫が。

 口を開け……固まった。

「……なん……じゃと?」

「そうですよ。あのクソ会社にはもう要らないのかもしれない。

 でも、きっとこの世のどこかに居るはず。狐様を必要としている人が。これから先、何年も、何十年も、おまつりして、おそなえして、折に触れて足を運んで、敬意と尊崇とお願い事をかけてくれる人たちが。

 あなた達だって仕事でたくさんの神様を殺してきたなら、ひとつやふたつ有るんじゃないですか? 神様がいなくなって困っている人や街の心当たりが!」

「あ……ある。

 あるぞ! ひとつやふたつではかぬ!」

「なら、やるべきことは退治じゃない。

 ……おひっこし。

 そう! ですっ!!」

 唖然。

 テル姫は口を閉じ、開き、また閉じ、開き、小さくあえいで、やっと目に輝きを取り戻す。

「その手があったかっ! なんで今まで気づかなかったんじゃ!」

「よかったですからねえ!! それなら、テル姫、もう泣きません!! ですからねえ?!」

「うううううるさいっ、たまにしか泣いておらぬぞ! ほらほらほらハナちゃん行けっ、狐めが意識を取り戻したぞ、足を止めよ!」

「わァハァ!」

「ひっこしさせるにせよ、まず奴を黙らせねばどうにもならぬ。

 キーコさん、説得せい。奴を止められるのは、おぬしだけじゃ!」

「はいっ!」

 立ち上がった白狐に、ハナがバットを振るって挑みかかる。横からテル姫の援護射撃が五月雨さみだれ撃ちに飛ぶ。その戦いを正面から見つめながら、キーコは息を整え、心をしずめ、衣を正してこうべを垂れる。

 二礼、二拍手、一礼。

 拍手かしわで――その行為は本来、偉大なる神の御前にまみえた感動の表明を意味するという。礼、拍手、賽銭、神饌しんせん。その背景を支える人の精神こそが、神に力を与えるかて。ゆえに、キーコは諸手もろてを合わせる。

「狐様。あなたの本当に行くべきところへ、私たちが真心まごころこめて送ります」

 狐がキーコに目をとめた。その筋肉が欲望に膨れ上がる。大木のような足が地を蹴る。ハナの妨害を突き破り、狐の巨体が一直線にキーコへ跳ぶ。

「……だから、あなたの心を、私にくれたあの優しさを、もう一度」

 狐の牙が、キーコの身体に突き刺さる――

「取り戻して! 神様!!」

 寸前。

 狐がびたりと静止した。

 静寂が、数秒。

 不意に狐の毛が震えた、かと思うと、巨体が急激にしぼみはじめた。穴の開いた風船のようにみるみるうちに小さくなって、やがて狐は、元の愛らしい姿に戻り、全身の力を失って、その場にくたりと崩れ落ちた。

 キーコはひざまずき、狐を抱き上げる。

「きっとすてきな居場所を見つけるから」

 物言わぬ狐の鼻先に、キーコはそっとキスをした。

「待っててね、狐様……」



   *



 テル姫の術によって現世うつしよに戻ったキーコたちは、さっそく白狐神社の移転に取り掛かった。といっても会社の方では屋上の神社が邪魔だが、取り壊すのもなんだか怖いというので持て余していたくらいだったからいなやはないし、受け入れ先の手配も……

「ん」

 テル姫がスマホをキーコに差し出す。

「はい?」

「……かけて」

「私が?」

「ワシはなあ……知らない人としゃべるの苦手じゃが……

 電話で話すのは、八百万やおよろず倍苦手なんじゃ!」

 なんてひと悶着もんちゃくあった程度で滞りなく済み……



 それから2年後。

 キーコたち3人の姿を、H県S市のとある公民館に見出すことができる。

 2年前、ここの敷地に小さいながらも立派なやしろが建てられ、白狐のご神体はそこに納められた。秋で落ち葉も多い時期だが、やしろの周囲はきちんとき清められ、白い陶器の皿には三角に切った油揚げが2枚、丁寧に重ねて捧げられている。

 聞くところによれば、片目に割れ目の走ったご神体の顔がまるで歴戦の戦士のようでカッコいいというので、“隻眼稲荷”なる異名で評判になっているという。何かのゲームアプリで擬人化キャラの題材に使われてからはますます有名になり、最近では若い女性の参拝が後を絶たないのだとか……

 というわけで万事順調……のはず、なのだが。

 ひさしぶりでお参りに来たキーコの顔面は、悲壮に青い。

「きっ、きっ、狐様ぁぁ~……わた、わ、私ぃぃ……」

「何をオドオドしておる。法人成ほうじんなりした今、そなたはもう個人事業主じゃないのじゃぞ! ワシらに厚生年金半額負担してくれるんじゃろーが。シャキっとせい、キーコ社長っ」

 ばっし!! と力強く背中を叩かれ、キーコはふらついてやしろの柱にしがみついてしまう。

「やめてくださいよう! 今まで通り呼び捨てでいいですって」

 彼女らの後ろでは、ハナがスマホと格闘している。いや格闘しているのはハナと話している相手の方か。

「ハイ!! そうですねえ?! ハナちゃんはねえ?! にほんご、わかりませんから!! すこしわかる。ちょっとまちますください。ねえ?! キーコさん!!」

「はい?」

「おきゃくさまですからねえ!!」

「あっ、かわります」

 慌ててハナのスマホに飛びつくキーコ。ぺこりぺこりと度々頭を下げながらも、凛然りんぜんと依頼主との交渉を始める彼女に、自死だけに救いを求めていたあの頃の面影はない。その雄姿を、テル姫とハナの背後から――白い狐の木像もまた、じっと温かく見守っている。

「はいっ! ありがとうございます! では明後日の11時で。

 “神様ひっこし株式会社”が真心こめてうけたまわります!」



THE END.

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神様ひっこし株式会社 外清内ダク @darkcrowshin

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