19.挑戦のアイシングクッキー(2)

 胡桃の隣に座る男は、可愛らしいハート型のアイシングクッキーをさくさくと食べている。刻まれていた眉間の皺はいつのまにかほどけていた。紅茶を一口飲んでから、満足げに頷く。


「さすが、クッキーそのものの味が美味いな。アイシングの甘さに負けないバターの風味を感じる」

「ありがとうございます! 父に教えてもらったのをアレンジした、わたしのオリジナルレシピです。あんまり保存はきかないので、ほんとはアイシングクッキーには不向きなのかもしれないですけど」


 自慢の型抜きクッキーの味を褒められて、胡桃は得意気に胸を張った。佐久間にお菓子を食べてもらうと、萎れてしまった自信が少しずつ復活していくような気がする。

 大和はアイシングクッキーをつまんで、「はー、可愛いですねぇ」と感嘆の息をついた。あまりじいっと見つめられると、ところどころ線がはみ出ているのがバレそうでドキドキする。できることなら薄目で見て、パクッと一息に食べてほしい。

 

「それにしても佐久間先生、可愛いクッキーなのに容赦なく食べますね。もったいなくて食べられない、みたいな感情ないんですか?」

「ない。もちろん見た目も重要だが、お菓子というのは食べてなんぼだ。もったいないと腐らせる方が、よほど失礼だろう」


 きっぱりと言い切った佐久間に、彼らしいなあと胡桃は笑う。しかし胡桃も、彼と同じ意見だ。見た目を楽しんでもらうのも嬉しいけれど、自分の作ったお菓子は美味しく食べてもらえるのが一番嬉しい。


「……ところで、どうなんだ。アイシングクッキーの教室は」


 みっつめのクッキーに手を伸ばしながら、佐久間が問いかけてくる。胡桃は迷わず「楽しいです!」と答えた。


「1対1だから気軽だし、先生もとっても優しいし。まだあんまり上手にできないけど、新しいことができるようになるのっていいですね!」

「それはよかった。きみのことだから、すぐに技術を習得するだろう」

「上手にできたら、ロールケーキに乗せてみようと思ってるんです! そしたら、佐久間さんにも食べてほしいな」

「当たり前だ。俺が食べずに誰が食べる」


 即答してくれたことが嬉しくて、胡桃はふふっと笑みをこぼした。佐久間も優しい目をこちらを向けて、ほんの一瞬だけ頬を緩める。

 そんな様子を、大和は何故か妙に満足げに眺めていた。アイシングクッキーを食べながら、眼鏡の奥の目を細めている。


「いやあ、甘いですねぇ……」

「あ、甘すぎました? アイシングクリームって、意外と甘味が強いんですよね……もうちょっと、クッキーの甘さを抑えてもよかったかな?」

「あ、いや、そっちじゃなくて。クッキーは、ちょうどいい甘さですよ。すごく美味しいです。ほんとに、お店で売ってそうですね!」

「そ、そんな、まだ売り物にできるレベルじゃ……」


 そう言いかけたところで、胡桃ははたとマルシェのことを思い出した。もしかすると、佐久間も胡桃のお菓子を買いに来てくれるかもしれない。一応報告しておこうかと思い、おずおずと口を開く。


「あの。佐久間さんは、ハンドメイドマルシェとか……行ったことありますか?」

「ああ、たまにな。最近は実店舗を構えていないお菓子屋も多いし、ああいったイベントでしか買えないものもあるからな」

「わあ、さすがです」

「それが、どうかしたのか」

「……わたし、実は。先生から、一緒にハンドメイドマルシェに出ないか、って誘われたんです。10月に開催されるみたいなんですけど」

「……きみが?」


 佐久間は驚いたように瞬きをした。胡桃は膝の上で拳をぎゅっと握りしめ、問いかける。

 

「わたしの作ったお菓子を販売したらどうか、って言われたんですけど……どう思います?」


 そう言った途端に、佐久間は再びぶすっと不機嫌そうな表情になった。渋い顔で紅茶を一口飲み、カップをソーサーの上に戻す。


「そんなの、俺が決めることじゃないだろう」

 

 思いのほか冷たく、一刀両断されてしまった。胡桃はショックを隠しきれず、「そ、そうですよね……」と俯いてしまう。


「……参加するとは、答えたんですけど。だんだん不安になってきて」

「それなら、いまさら迷ったところで仕方ないだろう。きみのしたいように、勝手にすればいい」

「なんなんですか、その言い方……ちょっと感じ悪いです」


 まるで突き放すかのような物言いに、胡桃はちょっとカチンときた。骨折をしたときに、ただの隣人だから関係ない、と言われたことを思い出して、余計に心が傷つく。


「……それじゃあきみは、俺がやるなと言えばやらないのか。それはおかしいだろう」

「そ、それはそうですけど! でも、もう少し親身になってくれたって……」

「まあまあ、二人とも落ち着いてください。特に佐久間先生。先生の悪い癖出てますよ」


 大和に嗜められ、佐久間はムスッとふてくされた表情をした。胡桃も膨れっ面で佐久間から視線を逸らして、大和の方に向き直る。


「それにしても、マルシェって楽しそうですね。僕はそういうの行ったことないんですけど、同人即売会にサークル参加するみたいなもんですよね?」

「……どうじん? サークル?」


 胡桃が聞き慣れない単語に首を傾げると、大和が苦笑いで頬を掻く。

 

「……えーと。自分で本作って、来場者に頒布するんですよ。コミケとか、聞いたことありません?」

「あ、年末にやってるやつ! テレビで見たことあります」

「そういうイベントに来るのって、みんな絶対ものづくりが好きなひとですからね。きっと、同好の士にたくさん出逢えて楽しいですよ」

「そっかあ……」

「イベントで出逢う作品って、一期一会でまた良いんですよねえ! 胡桃さんにも、素敵な出逢いがあるといいですね」


 同好の士に巡り逢える場所、というのは胡桃にはない発想だった。自分と同じように、お菓子作りを趣味にしているひとにたくさん出逢えるのだ。胡桃はSNSなどでもほとんど交流をしないけれど、新しい人間関係の輪が広がるのは、良いことかもしれない。大和のおかげで、ずいぶんと前向きな気持ちになった。


「それに胡桃さんのお菓子は美味しいから、きっとすぐにファンができますよ! ね、佐久間先生!」

「……俺の、知ったことではない」


 大和の言葉に、佐久間は吐き捨てるように言った。苦虫を噛み潰したような顔で紅茶を口に運んでいる。不満げな彼の表情に、胡桃はどんどん悲しくなってしまった。


(……どうして佐久間さんは、応援する、って言ってくれないんだろう。わたしがマルシェに出るの、嫌なのかな……)


 佐久間は胡桃の作ったお菓子のことを、口ではたくさん褒めてくれるけれど、本当は「とてもお金を取れるレベルではない」と思っているのかもしれない。

 一言彼に「頑張れ」と言ってもらえれば、きっとやる気がみなぎってくるだろうに。不機嫌そうに唇を曲げた横顔は、頑なに胡桃を見ようとしなかった。

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