14.思い出のクラフティ(2)

「……俺の伯母だ。杏子の母親になる」


 佐久間の紹介を受けた女性は、興奮気味に胡桃の両手を取って、ぶんぶんと振り回した。


「はじめまして! まあまあ、よくこんなところまで来てくれたわねぇ! 入って入って!」


 声が大きい。なかなか元気な女性のようだ。喋り方も杏子に似ているが、おっとりした杏子に比べると、チャキチャキした早口である。

 佐久間の伯母は胡桃の手を引いて、家の中へと招き入れてくれた。玄関でパンプスを脱いで揃えると、「お邪魔します……」と足を踏み入れる。リビングに通されたところで、胡桃は保冷バッグを差し出した。


「あ、あの、これ。つまらないものですけど……」

「あらま、手土産まで持ってきてくれたの!?」

「彼女が作った、ダークチェリーのクラフティだ。彼女の作ったお菓子の味は、杏子のお墨付きだぞ」

「あの子のお墨つきなら、きっととびきり美味しいのでしょうね! ありがとう、喜んでいただくわ!」


 クラフティを冷蔵庫に入れたあと、佐久間の伯母は胡桃をソファに座らせ、ウキウキと隣に腰を下ろしてきた。こちらを見つめる瞳にうっすらと涙が滲んでいることに気がついて、胡桃はギョッとする。


「あの凌ちゃんが、こんなに可愛らしいお嬢さんを連れてくるなんてね……お兄さんとお義姉さんにも、見せてあげたかったわ」

「あ、あの。わたしは」

「伯母さんが何を勘違いしているのか知らないが、彼女は、その……そ、そういうのじゃない。い、今のところは……」

「ねえねえ胡桃さんはおいくつなの? お仕事は? 凌ちゃんとはどうやって知り合ったの?」


 煮え切らない口調で否定した佐久間を無視して、伯母は矢継ぎ早に質問を投げかけてくる。

 胡桃がアワアワしていると、「そうだわ! お兄さんに報告しなくちゃ!」と突如として立ち上がり、リビングの隣にある和室へと走っていった。仏壇の前に正座すると、チーンと音を立ててを鳴らす。小さな背中を丸めて、仏壇に向かって語りかけた。


「お兄さん、お義姉さん。あの凌ちゃんが、可愛いお嬢さんを連れてきましたよ! お友達ですら、一度も連れてきたことなかったのに。いつも部屋に閉じこもって、へんてこりんなお話ばっかり書いてた凌ちゃんが……」

「……その〝へんてこりんなお話〟が、今の俺の飯の種なんだが」


 佐久間は呆れたように、やれやれと頭を振る。仏壇に飾られた写真を見て、胡桃ははっと息を飲んだ。

 30代半ばぐらいの男性と女性だった。ムスッとふてくされた顔をした男性は、佐久間と瓜二つだ。柔らかく微笑んでいる女性の方も、やや薄い上唇の形が佐久間に似ていた。


「……あの。もしかして、あの写真って、佐久間さんの……」

「ああ。あれは俺の両親だ。もうずっと前に死んだ」


 佐久間は、意外なほどあっけらかんとした口調で言った。伯母に育てられた、という状況から、うっすらと予想していたことではあったものの、胡桃は少なからず衝撃を受けた。


(……佐久間さんのご両親、亡くなってたんだ……)


 やはり胡桃は、佐久間のことを何も知らなかった。お菓子を食べながら、二人でいろんな話をしたのに。胡桃は自分の愚痴ばかりを佐久間にぶつけて、彼が抱えている痛みや悲しみに、何ひとつ気が付かなかったのだ。

 何を言っていいのかわからず、俯いて下唇を噛み締める。落ち込んでいる胡桃に気付いたのか、佐久間が慌てたような声を出す。


「どうしてきみが、そんな顔をするんだ。20年も前の話だし、気にすることはない」

「……はい……あ、あの……わたし、お線香をあげてもいいですか?」

「ええ、もちろん! きっとお兄さんとお義姉さんも喜ぶと思うわ!」


 伯母に手招きされ、胡桃は仏壇の前に正座をした。を鳴らし、震える手で線香を立てる。目を閉じて両手を合わせていると、隣から鼻を啜る音が聞こえてきた。


「……あら、ごめんなさい……最近涙腺が緩くって。凌ちゃんが、こんなに立派に成長してくれて、本当に嬉しいわ。私ももう、思い残すことはないわね……」

「お、おばさま」

「気にするな。俺が新人賞を獲ったときも、杏子が店を出したときも同じことを言っていたぞ。伯母さんの口癖だ」


 佐久間は呆れた声でそう言った。

 胡桃の隣に座った伯母は、いつのまにか分厚いアルバムを持ってきている。アルバムを広げると、ウキウキとした様子で胡桃に見せてきた。


「ねえ、見て見て。これが小学生のときの凌ちゃんよ」

「……! か、かわいいー!!」


 黒いランドセルを背負った、小学生の佐久間の写真だ。一体何がそんなに不満なのか、眉間に皺を寄せてこちらを睨みつけていた。隣にいる、少し背の高い少女は杏子だろうか。やはり美女は、幼い頃から美少女だった。

 伯母はマメなタイプだったのか、アルバムにはたくさんの写真が収められていたが、佐久間の写真は意外と少なかった。映っていてもそっぽを向いていたり、不機嫌そうに顔を隠しているものが多い。きっとひねくれた子どもだったのだろう。


「凌ちゃんの写真、あんまりないわねー。写真嫌いだったから」

「予想通りです! あーん、でもすごく可愛い! ぎゅーっとして頭ぐりぐりしたい!」

「……」


 興奮気味の胡桃を、佐久間は複雑な面持ちで遠巻きにしていた。

 中学生ぐらいになると背が伸びて、面差しも今の佐久間に近くなってきた。学ランを着た男の子が、「入学式」と書かれた看板の前で突っ立っている。

 黒い瞳はキラキラと輝き、美少年といっても差し支えがないほどの可愛らしい顔立ちである。これが10数年経てば、こんなに瞳の濁った大人になってしまうのだから、時の流れは残酷である。


「はあ、可愛いなあ……おばさま、高校生の頃の写真はありますか?」

「高校生ぐらいになると、写真撮らせてくれなかったわねえ。あ、卒業アルバムはあったかしら……」

「も、もういいだろう! いい加減にしろ!」


 佐久間はそう言うと、肩を怒らせながらキッチンに向かった。手慣れた様子で食器棚を開き、ティーセットとプレートを出している。


「そんなことより、クラフティを食べよう。紅茶を淹れるぞ」

「まあ、凌ちゃんは相変わらずお菓子のことばっかり!」

「あ、わたしも手伝います」

「いや、きみは座っていてくれ」


 佐久間はクラフティを切り分けてプレートに乗せ、手際良く三人分の紅茶を用意した。佐久間がまだこの家にいた頃、きっと伯母や杏子のぶんの紅茶を淹れていたのだろうな、と想像させる手つきだった。


 ダイニングチェアに腰を下ろすと、佐久間は胡桃の隣に座った。伯母はニコニコとご機嫌な様子で、「こうして並ぶと、ますますお似合いの二人だわ!」と頷いている。佐久間は気まずそうな顔をしていたが、何も言わなかった。


「いただきます!」


 佐久間の伯母は両手をきちんと合わせて、ダークチェリーのクラフティをぱくりと食べた。「うん、とっても美味しい!」と眉を下げて笑う顔は、やはり杏子によく似ている。どうやら喜んでもらえたらしい。美味しくできてよかった、と胡桃はホッと胸を撫で下ろした。

 胡桃も一口、クラフティを食べる。濃厚なカスタードに、甘酸っぱいダークチェリーの味わいがたまらない。粉を少なめにすると、プリンのような柔らかな食感になるのだ。


「すごいわ! 胡桃さんって、お菓子作りが上手なのね!」

「ああ。彼女の作るお菓子は本当に美味いんだ」

「いえ、わたしなんて、そんな」

「凌ちゃん、よかったわね! お菓子屋さんと結婚したいって言ってたものね!」

「……い、いつの話をしてるんだ。べ、べつに今は……」


 佐久間は耳を赤く染め、誤魔化すようにクラフティを口に運んだ。モグモグと味わったあと、懐かしむように目を細めてポツリと呟く。


「……そういえば、昔。伯母さんもクラフティを作ってくれたな。イチゴが入っていることが多かった」

「そういえば、よく作ったわ! 簡単だったから! 凌ちゃん、よく覚えてるわね!」

「おばさまも、お菓子作りされるんですか?」


 そういえば杏子も、「昔母の作ったお菓子を凌と取り合っていた」と言っていた。胡桃の問いに、伯母は頬を染めて、ぶんぶんと右手を振る。


「いやだわ、もう! そんな、大袈裟なものじゃないのよ! ほんとに簡単なものを、ちょっとね」

「たまに作ってくれた、紅茶のクッキーが好きだった」

「へー! 佐久間さんも杏子さんも、紅茶お好きですもんね。わたしも食べてみたいです!」


 胡桃が身を乗り出すと、伯母はますます恥ずかしそうに「そんな、お客さんに食べさせるようなものじゃないのよー!」と両手で頬を押さえた。


「杏子と凌ちゃんが独立してからは、もうほとんど作ってないわ。食べてくれるひともいないものね」

「そうなんですか……」

「お菓子作り、本当にあんまり得意じゃないのよ! 凌ちゃんがうちに来るまで、ほとんど作ったことがなかったわ」


 そこで言葉を切った伯母は、昔を懐かしむように遠い目をする。

 

「でも……普段ニコリともしない無口な男の子が、わたしが作ったお菓子を食べるときだけは、とびきりの笑顔を見せるんだもの。ねえ? そりゃあ、頑張ったわよ!」


 チラリと視線を向けられた佐久間は、素知らぬ顔で紅茶を飲んでいる。

 ふと、想像してみた。両親を亡くした甥を引き取った、彼女の気持ちを。気難しい男の子の笑顔が見たくて、慣れないお菓子作りに勤しむ彼女の気持ちを。


(きっと、このひとはすごく……優しい、ひとなんだ)


 佐久間が両親を亡くしたことは、悲しいことだけれど――彼がこんなにもあたたかいひとに育てられたのは、幸せなことだ。こうして定期的に実家に帰るほどには、良い関係を築いているのだろう。


「……きっと、とびきり美味しかったんでしょうね」

「いやいや、そんなこと! 胡桃さんが作ってくれたお菓子には程遠いわ! 凌ちゃん、ほんとに良い子を見つけたわね!」

「……彼女の作ったお菓子が美味いのは、事実だが」


 佐久間はティーカップをソーサーに戻すと、伯母の方をじっと見つめた。普段は熱を感じない冷たい瞳が、やけに優しい色をしている。

 

「少なくとも、当時の俺にとっては。伯母さんが作ってくれたお菓子が、一番美味かった」


 それを聞いた瞬間、伯母はぱちぱちと瞬きをして――大きく見開いた目から、ぽろりと涙がこぼれ落ちた。

 テーブルの上のティッシュケースを慌てて引き寄せた彼女は、ごしごし頬を拭うと「嫌だわ、もう! 泣かせないでちょうだい!」と明るい声を出す。

 胡桃もそれにつられるように、鼻の奥がツンとしてきた。滲んだ涙をハンカチで押さえていると、顔を覗き込んできた佐久間が、優しい声で「どうしてきみまで泣くんだ」と尋ねてきた。

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