03.惚気話と赤ワイン
ワイングラスに注ぎ込まれた、ルビーのような液体が揺れて波打つ。よく熟成された葡萄の香りをいっぱいに吸い込みながら、赤ワインを一口飲んだ。味の違いがわかるほど嗜んでいるわけではないが、ほのかな渋みの中に甘さを感じて美味い。
喉を潤すようにワインを飲んだ担当作家に向かって、
「……で。誕生日に一緒にソファに並んでタルトを食べて、思う存分イチャイチャしたんですね」
「……べつに、イチャイチャはしていない」
(自分のために作ってくれたタルト〝あーん〟までしてもらっといて? このひとのイチャイチャの定義って、なに?)
ふてくされたように唇を尖らせた佐久間に、大和は呆れ返る。これで付き合っていないのだから、一体彼とお隣さんの関係はどうなっているのだろうか。
今日、大和がこうして担当作家の部屋にやって来たのは、仕事のためではない。たまたま美味いワインが手に入ったため、佐久間と一緒に飲もうと思ったのだ。ワインの他にも、適当な日本酒や焼酎も持って来た。先日の佐久間の誕生日に、糀谷胡桃との進展があったのかも聞き出したかったのだ。
佐久間は「差し入れなら、ワインよりお菓子の方が嬉しいんだがな」などと言いつつも、つまみ代わりのチョコレートを棚から出してきた。飲みながらあれこれ話を聞き出したところ、思いのほか詳細に誕生日の出来事を教えてくれた。アルコールが入るといつもより舌も滑らかになるのかもしれない。
(いや、しかし……この二人、いつになったらくっつくんだ? 中学生じゃねえんだぞ)
大和が担当作家とお隣りさんのラブコメを見守り始めてから、はや一年が経とうとしている。
相変わらず進展しているんだかしていないんだか、おかしな距離感の二人だ。彼女に想いを伝えるべく、意気揚々とカップケーキを作り始めた佐久間を見たときは、とうとうエンディングを迎えるのか、と感慨深く思っていたものだが。そのあと「交際しているわけではない」と言われて、新喜劇ばりにズッこけた。じれじれラブコメが大好物の大和でさえ、「はよ付き合わんかい!」という気持ちになってきた。
「……目と目が合うと、ニコッと笑う癖があるんだ、あの女は」
「はあ」
「……困る……」
唸るように言った佐久間は、ゴンと額をテーブルぶつけて突っ伏した。先ほどから調子良くワインを飲んでいたようだが、やや酔いが回っているのだろうか。
「何が困るんですか」
「……二人きりでいるときに、あまり無防備な姿を見せられたら、困る。いい加減、我慢が効かなくなるぞ」
「いいんじゃないですか、押し倒しちゃえば」
「馬鹿なことを言うな。ここで手を出してしまえば、今まで彼女を弄んできた幾多のクズたちと、本当に同類になってしまうだろう」
「そうですかぁ?」
「……いや、もう手遅れかもしれない……」
だったら、さっさと告白すればいいものを。ワイングラスをぐいっとあおった大和は、勢いに任せて尋ねる。
「佐久間先生って、胡桃さんと付き合う気あるんですか?」
「……そもそも。こちらがどう思っていたとしても、現状俺に望みはないだろう」
「はあ? なんでですか」
糀谷胡桃はどこからどう見ても佐久間に惚れているし、佐久間が告白しさえすれば、すぐにでも大団円だ。完膚なきまでのハッピーエンドだ。
佐久間はちびちびとワインを飲みながら、忌々しそうに言う。
「……忘れたのか。彼女には、他に好きな男がいるんだぞ」
「ああ、その設定まだ生きてたんですか。えーと、会社の先輩でしたっけ?」
大和は小さく肩を竦めて、チョコレートを口に放り込む。甘さ控えめでほろ苦く、渋みのある赤ワインにぴったりのチョコレートだ。このひとは飲み物に合ったお菓子を用意するのが上手いな、と感心してしまう。
「……このあいだも、〝これを最後の恋にする〟と意気込んでいた。俺に勝ち目があると思うか」
佐久間はこう言っているが、胡桃が佐久間に惚れていることは、火を見るよりも明らかある。おそらく彼の勘違いだろう。
大和とて、そろそろ誤解の糸を解いてやりたいのだが、いかんせんの
「爽やかで誠実な笑顔が可愛いイケメンで、しかも胡桃さんと両想い、ねえ。もしそんな男が実在するなら、そりゃあ先生じゃ勝ち目ないですよね」
「……ちょいちょい無礼だな、きみは」
「ひとつ言わせてもらいますけど、相手は胡桃さんへの想いを口に出してる時点で、佐久間先生よりも大幅にリードしてます。先生は一度、きちんと自分の気持ちを伝えた方がいいですよ」
「……自分の、気持ちを……」
佐久間は難しい顔で考え込むと、「俺じゃ駄目か? というやつか……」と呟いた。いやそれはちょっと、負けフラグじゃないですかねえ。
「……考えておこう。あの男にも、もう二度と会うことはないと思いたいが……」
「いきなり、胡桃さんがここに連れて来たらどうします? わたしの恋人です、佐久間さんに紹介します! って」
大和の軽口に、佐久間はみるみるうちに青ざめた。想像してよほどショックを受けてしまったのだろう。大和は慌てて「冗談ですよ!」とフォローを入れた。この担当作家は、意外と繊細で面倒臭い。
そのとき、ピンポーン、と部屋のインターホンが鳴り響いた。ぱっと表情を輝かせた佐久間が、「彼女が来たのか」と立ち上がる。
「もしかしたら、お菓子を持って来てくれたのかもしれない」
「あ、そうですね。僕、邪魔ですか?」
「そうだな、場合によっては帰ってくれ」
「ここは、嘘でも邪魔じゃないって言うとこじゃないんですかねえ!」
容赦のない佐久間の言い草に、大和は思わず声を荒げる。とはいえ、こちらも推しカップルの甘い時間を邪魔をするつもりは毛頭ない。
そろそろお暇する準備をしておこう、と大和はグラスに残ったワインを一気に飲み干した。
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