06.両片想いプリンアラモード

 深夜3時。担当作家からの「今すぐプリンが食べたい」という電話を受けて、筑波嶺大和はすぐさまコンビニへと走った。

 本当はどこどこのナントカプリンがいいなどと電話口でゴネていたが、こんな時間にケーキ屋が空いているはずもない。少し悩んで、佐久間のために生クリームとフルーツの乗ったプリンアラモードを購入した。こんな時間だというのに、コンビニには客がそれなりに入っていた。何故だか街にも、やけに人通りが多い。

 

 タクシーを降りると、合鍵を使って担当作家の部屋へと向かう。顔を出した佐久間は「ご苦労」と言って、大和の手からコンビニ袋をひったくった。


「コンビニスイーツですみません。この時間だと、どこも空いてなくて」

「……ああ、もう夜中だったのか。許そう。ミニストップのデザートはどれもクオリティが高いからな」


 佐久間はそう言うと、ダイニングチェアに腰掛けて、プラスチックのスプーンでプリンを食べ始めた。不遜な態度に腹が立たないと言えば嘘になるし、もしあんなに面白い作品を書く作家でなければ、とっくの昔にブン殴っているだろう。

 一応、佐久間の名誉のために付け加えておくと――こうして深夜に呼び出されることが、それほど頻繁にあるわけではない。締切が近付いてきて、よほど精神状態が悪いときだけだ。大和にしてみても、ストレスを溜め込んで行方を眩まされる方がよほど困るのだから、「何かあったら時間も状況も気にせずすぐに呼んでくれ」と伝えてある。


(……進捗、良くないんだろうなあ)


 佐久間諒の執筆スタイルは、自分の精神をゴリゴリと擦り減らし、命を削りながら、魂を叩きつけて書くものである。大和の前任であるベテラン編集者は、「あのひと、目を離したら勝手に死にそうだから気をつけてね」と笑っていた。佐久間との五年以上の付き合いを経て、彼の言葉があながち冗談でもないことは理解した。

 作風や振る舞いから誤解されがちだが、佐久間の根っこの部分はなんというかものすごく――である。そんなまっとうな人間が、十年間も狂人のふりをして小説を書いているのだから、精神的に追い込まれるのも無理はない。

 大和は頬杖をついて、正面に座る男の様子を観察する。おそらく何日もマトモに寝ていないのだろう、目の下には巨大な隈ができていた。充血した目は据わっており、普段よりも余計に人相が悪くなっている。夜道ですれ違ったら逃げ出したくなるぐらいだ。

 生クリームがたっぷり乗ったプリンを口に運ぶと、くっきりと深く刻まれていた眉間の皺がほんの少しほどけた。やはり甘いものは偉大だな、と大和は思う。彼の表情を緩めることができるのは、お菓子とお隣さんぐらいのものだ。


「……美味いな」

「そりゃよかったです。コンビニに走った甲斐がありました」

 

 おそらく今は、作品のことばかりを考えて、周りが見えなくなっている状態なのだろう。こういうときは原稿をせっつくよりも、話を逸らしてガス抜きしてやった方が上手くいく。できるだけ楽しい話題にしようと考え、大和は明るい声で言った。


「そういえば、佐久間先生。クリスマスイブ、胡桃さんとデートしたんでしょ」


 クリスマスの夜に佐久間の元を訪れた際(当然仕事のためだ)、二人でクリスマスマーケットに行ったと言っていた。その場には糀谷胡桃がいたため深くは追及できなかったが、それを聞いた大和はニヤニヤ笑いを堪えるのに必死だった。

 プリンのおかげで緩んだはずの佐久間の眉間に、再び深い皺が刻まれる。不機嫌極まりない声色で「……デートじゃない」と答えた。


「……俺はただの代打だ」

「はあ?」

「本当は、他の男とデートする予定だったらしいからな。どうやら好きな男がいるらしいぞ」

「ちょ、ちょっと待って。詳しく聞かせてください。それ、誰のことですか」


 大和は身を乗り出した。この話題を続けても佐久間の機嫌が悪化するだけかもしれないが、ラブコメ好きの血がついつい騒ぎ出す。


(胡桃さんの好きな男って……どう考えても佐久間先生だよなあ?)


 皿いっぱいに乗せられた、ピンク色のハート型マカロンを思い出す。あんなに好意があからさまなものを持って来られて、平気な顔で食べている佐久間は異常者だと思ったものだが、もしかすると大和の方がおかしいのだろうか。絵文字のハートマークの似たような感覚だったかもしれない、とにわかに不安になる。

 プリンの上に乗ったチェリーを指でつまんだ佐久間は、つまらなさそうに言う。


「……彼女の価値を理解して、認めてくれて」

「はいはい!」

「普段はクールでそっけないけど、笑顔が可愛い」

「……うん?」

「彼女が作ったお菓子を、美味しそうに食べてくれる」

「ほうほう!」

「会社の先輩らしいぞ」

「……はぁ……じゃあ違うか……」


 心底がっかりした。糀谷胡桃は大和のあずかり知らぬところで、佐久間以外の男ともフラグをちゃっかり立てていたというのか。見損なったぞ。

 大和が勝手に憤っていると、佐久間は苛立った様子でガシガシと髪を掻きむしる。


「……思い出したら腹が立ってきた……あの女、絶対また碌でなしに騙されてるに違いない。クリスマスイブの朝にドタキャンなんて、どう考えてもおかしいだろう」

「それはお気の毒ですねえ」

「そもそも彼女は、どうしてあんなに危機感がないんだ。ガードが緩すぎる」

「まあ、それは僕も同意します。胡桃さん、雰囲気ゆるゆるですよね」

「酔っ払うともっと凶悪だぞ。潤んだ目で頬を染めて見つめられてみろ。うっかり勘違いしそうになる」

「何をどう勘違いするんですか?」

「…………とにかく。彼女がろくでもない男に弄ばれてきた理由が、よくわかった。あんな風にふわふわ笑顔を振り撒かれて、無防備に近寄って来られたら、普通の男なら手を出したくなる」

「なるほど。手、出したくなったんですね」

「…………。なってない」


 ふいと視線を逸らしながら、佐久間が言う。糀谷胡桃に出会うまで、担当作家の性欲の有無を訝しんでいた大和だったが、どうやら余計な心配だったらしい。この男、可愛らしいお隣さんにすっかりやられている。気の毒ではあるが、傍から見ているぶんには最高のエンタメである。


(胡桃さんの好きな男って、ほんとに佐久間先生じゃないのかな?)


 頬を染めて佐久間を見つめる、胡桃の表情を思い浮かべる。あれが恋をしている人間の顔でなければ、一体何だというのか。大和に備えつけられているラブコメセンサーが、糀谷胡桃は佐久間凌が好きだと言っている。20年以上純愛ラブコメを読み込んできた男のセンサーを舐めるなよ。

 

「……あの、佐久間先生。胡桃さん、本当に会社の先輩が好きって言ってたんですか?」


 どうにも信じがたく、大和は再び問いかけた。プリンアラモードをペロリと平らげた佐久間は、先ほどよりも人心地ついた様子で答える。

 

「まあ、はっきりと聞いたわけではないが……文脈を読み取れば自ずとわかることだ」

「ほほう、ブンミャクを。佐久間先生が」


 そこで、大和はようやく気がついた。これは「言葉足らずな男女の、すれ違い両想いラブコメ」なのだと。互いに気持ちをはっきり口にしないせいで、勝手に拗れて面倒なことになっている。

 苦悩する男に向かって親指をぐっと立てたくなるのを、大和はぐっと堪える。


(僕が横からせっついて、勘違い解くのは簡単ですけど……せっかくだから、もうちょっとだけ楽しませてくださいね)


 大和がニマニマしているあいだに、佐久間ははっと目を見開いて立ち上がった。


「……閃いた。今なら書けるぞ」


 パソコンの前に座り、鬼気迫る表情でカタカタとキーボードを叩く担当作家の横顔を見た大和は、ほっと安堵の息をつく。一度スイッチが入ってしまえば、大丈夫だろう。

 一応「帰りますね」と声をかけたが、執筆に没頭している佐久間の耳には、一切の音声が届かなくなっている。大和はプリンのゴミを片付けて、音を立てずにそうっと彼の部屋を後にした。


 マンションを出ると、朝5時の空は未だ紺色の闇に覆われていたが、東の空は少しずつ白み始めていた。凍てつくような風にぶるりと身体を震わせて、大和はあっと思い出す。そういえば今日は1月1日、元旦ではないか。あの男に付き合っていると、盆も正月も関係ないからすっかり忘れていた。これが仕事始めかよ、と大和はこっそり苦笑する。


 せっかくなので、と大和は最寄りにある小さな社へと足を向けた。鳥居をくぐり、賽銭を投げ入れ、二回お辞儀をしてからパンパンと手を叩く。二礼二拍手一礼、だったっけ。


(……佐久間先生の原稿が、無事に完成しますように……!)


 そう必死で神様に祈りを捧げてから、(あと、今年も愉快なラブコメが観測できますように)と付け加えておいた。

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