第2部【甘党男子の落とし方】

01.恋するストロベリーマカロン

 思えば糀谷こうじや胡桃くるみのこれまでの恋は、甘くないものばかりだった。


 生まれて初めて男性と付き合ったのは、高校二年生の夏だった。同級生であるサッカー部の男の子に恋をした胡桃は、遠回しなアピールが実を結んで向こうから告白され、晴れて交際することとなった。が、胡桃の身体ばかりを求めてくる恋人に次第に嫌気がさして、数ヶ月で喧嘩別れした。

 その次に彼氏ができたのは、大学に入ってすぐの頃だった。ひとつ上のサークルの先輩に告白された胡桃は、彼の容姿が好みだったこともあり、そのまま流されるように付き合った。しかし彼はどうしようもない女好きで、胡桃に隠れてさんざん浮気を繰り返していた。交際半年、彼のアパートで浮気現場に遭遇した胡桃は、揉めに揉めた挙句別れることとなった。

 そして、社会人になり。胡桃は入社直後の懇親会で、ふたつ上の先輩である香西かさい彰人あきとと出逢った。彼は胡桃の好みど真ん中の容姿をしており、あっさりと一目惚れした。

 そこからひそやかに片想いを続けていたのだが、あるとき飲み会の帰り、彰人と偶然二人きりになった。ふいに肩を抱かれた胡桃は、お酒の勢いもあり、思い切って「好きです」と告白した。彼が「俺も」と言ってくれた瞬間、これが人生最後の恋だ、と思った。

 そのまま彼は胡桃の部屋にやって来て、なし崩し的に交際が始まったのだが――その恋の結末は、散々なものだった。


 そんな男を見る目のない、男運ゼロの胡桃が、次に恋をしたのは――口と態度の悪い、ちっとも甘くないお隣さんだった。


  ――きみが作ったアプリコットタルトは、死ぬほど美味かった。これを食べ損ねたきみの元恋人は馬鹿だな。


 彼の名前は佐久間さくまりょう。読者を地獄の底に叩き落とすような、陰鬱で醜悪で、でもとびきり面白い作品を書く小説家。

 いつもボサボサの黒髪にゆるいスウェット姿で、気怠げな顔ばかりしているけれど、きちんとした格好をすると結構かっこいい。たまに煙草を吸っているけれど、そんなに吸い慣れているわけではなさそうだ。

 彼は筋金入りの甘党で、お菓子へのこだわりは凄まじいものがある。特に胡桃の作ったお菓子が大好きで、本職のパティシエではない胡桃が作るものを、心底美味しそうに食べてくれる。

 胡桃の才能を認めて必要としてくれて、ときおり不器用な優しさを見せる彼に――胡桃は、恋をしてしまった。

 今度こそとびきり甘くて幸せな恋をするのだと、胡桃は心に決めている。しかし彼ときたら、胡桃の作るお菓子ばかりに夢中で、胡桃自身にはちっとも興味がない。これまでろくでもない男とフワフワした恋愛しかしてこなかった胡桃は、好きなひとのハートを射止める方法なんて、全然わからないのだ。


(やっぱりわたしには、お菓子作りしかない……!)


 どちらにせよ、胡桃が彼に会いに行く理由なんて、お菓子を持って行くことしかないのだ。


 メラメラと闘志を燃やした胡桃は、気合を入れてベージュのエプロンを身につける。今日のお菓子は、見た目もとびきり可愛いストロベリーマカロンだ。

 まずはメレンゲ作りからだ。マカロンにはフレンチメレンゲ方式とイタリアンメレンゲ方式があるのだけれど、胡桃は比較的容易なフレンチメレンゲ方式を採用している。

 最初に卵白だけで混ぜて、それからグラニュー糖と乾燥卵白を合わせたものを数回に分けて入れながら混ぜる。それから着色料を少しずつ加えながら混ぜると、ピンク色のメレンゲが完成だ。ピンと角の立ったメレンゲはやたらと美味しそうで、「このまま食べたい」と言った甘党男の気持ちが少しわかる。

 そこにふるっておいたアーモンドプードルと粉糖、イチゴパウダーを加えて切るように混ぜる。混ざったところで、重要な工程であるマカロナージュだ。

 ゴムベラを使って、良い具合に卵白の気泡を潰していく。マカロナージュが足りなければ膨らみすぎてひび割れるし、やりすぎたらデロデロになって広がってしまう。生地のツヤと柔らかさで、良い具合を見極めるのが難しい。

 口金をつけた絞り袋に入れて、ベーキングシートの上にハート型に絞り出していく。そのまま30分ほど放置して乾燥させるのだ。


(か、可愛いけど……! や、やっぱりピンクのハートはやりすぎたかも……)


 シートの上にずらりと並んだハート型を見ていたら、途端に恥ずかしくなってきた。佐久間は胡桃の気持ちにちっとも気付いていないけれど、ここまで露骨に恋心を具現化したようなマカロンを持って行っては、多少は勘づかれてしまうかもしれない。まあそのときはそのときか、と胡桃は開き直る。

 しっかり乾燥させて、手が生地につかなくなったあたりでオーブンに入れる。マカロンは繊細なお菓子なので、温度と時間を見ながら少しずつ焼いていくのだ。粗熱が取れると、ひび割れもせず、ピエも綺麗に出た見事なマカロンコックが完成した。

 ピンクのハートのあいだに、イチゴピューレを加えたチョコガナッシュを挟み込んで完成。コロンとした色鮮やかなマカロンはとびきり可愛くて、このままキーホルダーにして持ち歩きたいぐらいだ。


 胡桃はハート型のマカロンを皿に乗せて、洗面所で軽く前髪を整えたあと、ウキウキと軽い足取りで隣の部屋へと向かった。インターホンを押すと、すぐに佐久間が顔を出す。まだ昼の15時だが、起きていたようだ。


「こんにちは、佐久間さん」


 胡桃が持っている皿を見て、佐久間はぱっと表情を輝かせる。

 

「おっ、マカロンか。やはりマカロンは見た目の愛らしさが抜群だな。ツヤとボリュームがありピエも美しく出ているし、見事な仕上がりだ」

「ありがとうございます! マカロン苦手なんですけど、今回は成功したみたいです」


 いつものように大仰に褒めてはくれたが、ハートの形については特に突っ込まれなかった。安心したような、少し残念なような。


「このマカロン、中身は何だ?」

「いちごピューレを混ぜたチョコガナッシュです」

「なるほど。キャンディティーのストレートにしよう。マカロンそのものの愛らしさを引き立てるため、プレートはシンプルなクリーム色のものにしてくれ」


 キッチンに立った佐久間が紅茶を淹れてくれて、そのあいだに胡桃が皿の準備をする。彼は胡桃が勝手に食器棚を開けても怒らない。胡桃もどこに何の食器が入っているのか、だいたい覚えてしまった。

 皿に乗せたマカロンを撮影してSNSに投稿したのち、いつものようにダイニングテーブルに向かい合って、「いただきます」と手を合わせる。佐久間はしげしげとハート型のマカロンを観察したあと、さくっと音を立てて一口齧った。


「うん、美味い。甘さの中にあるイチゴの爽やかさが絶妙だ。中に入っているガナッシュの舌触りも良い」

「ふふ、よかったです」


 胡桃は頬杖をついて、マカロンを食べる佐久間をニコニコと眺めている。無愛想な男には不似合いなほど可愛いマカロンを食べている隣人は可愛い。マカロンとともに写真に撮って残しておきたいぐらいだ。


 そのとき、ピンポーン、というインターホンの音が鳴って、佐久間は露骨に顔を顰める。きっと、彼の担当編集者である筑波嶺つくばね大和やまとがやって来たのだろう。

 佐久間が無視していると、「せんせー!」という声と共に、ドンドンと扉が叩かれる。どうやらしっかりとチェーンを閉めているらしい。佐久間はげんなりした顔で紅茶を飲むと、玄関の方を指差した。


「……きみが追い返してきてくれ」

「そうですね。佐久間さんは裸でベッドで寝てます、とでも言いましょうか」

「ば、馬鹿! 洒落にならないことを言うんじゃない!」

「前に佐久間さんが言ってたことなのに……」


 胡桃が渋々玄関に向かうと、扉のチェーンを外した。大和は出迎えた胡桃を見ても驚いた様子もなく、「こんにちは!」と元気に挨拶をしてくれる。


「筑波嶺さん、こんにちは。お休みの日まで大変ですね」

「また行方不明になられたら困りますからね! 定期的に生存確認しておかないと」


 大和はそう言って、「せんせー! 進捗教えてください!」と叫びながらダイニングへと向かう。それからテーブルの上に置いてあるピンクのハート型マカロンを見て、カチンと固まった。


「なんだ、筑波嶺くん。そんなところにボサッと突っ立ってないで、さっさと座ったらどうだ」

「……これ、胡桃さんが作ったんですか? ピンクのハートのやつ……」


 佐久間の言葉を無視して、大和が尋ねてくる。胡桃が無言で頷くと、なんだかやけに嬉しそうな顔をして、大声で叫んだ。


「……めっ……ちゃ露骨ですね!? うわー、わかりやす!」


 胡桃は赤くなった頬を押さえて、俯くことしかできない。一人わかっていない佐久間は、「何を言っているんだ」と訝しげな表情で首を傾げている。


 なかなか一筋縄ではいかない恋ではあるものの――今日も胡桃は、ひねくれた甘党男の胃袋を掴むべく、せっせとお菓子を作るのだ。

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