06.シュークリーム・パーティー(2)

 胡桃の存在に動揺していた男だったが、佐久間に「とりあえず座ったらどうだ」と言われて、ようやく腰を落ち着けた。一人で突っ立っているのも変な気がして、胡桃は佐久間の隣に座る。


「あの、佐久間先生。この方、どなたですか?」


 男は好奇心を隠そうともせず、まじまじと胡桃を見つめてくる。休日である今日はメイクも適当で、下地を塗って眉毛を描いただけだ。髪もひとつに適当に結んだだけだし、あまりじろじろ見られるのは恥ずかしい。

 佐久間はふたつめのシュークリームを皿に乗せると、胡桃を軽く顎でしゃくって言った。


「俺の隣人だ。お菓子作りが上手い。あと、男の趣味が悪い」

 

(……もう少し他に、説明の仕方があるんじゃないかしら)


 そう思いつつ、胡桃はぺこりと頭を下げる。


「糀谷胡桃です」


 胡桃が名乗ると、男はハッとしたように「ご挨拶が遅くなってすみません」と言って、カードケースから名刺を取り出した。


筑波嶺つくばね大和やまとです。好きなジャンルはサイコホラーと純愛ラブコメです。僕は、佐久間先生の担当編集者で……」

「……編集者?」


 胡桃は弾かれたように佐久間の顔を見る。彼は仏頂面のまま、もぐもぐとシュークリームを咀嚼していた。


「佐久間さんって……もしかして作家さんなの?」

「え!? ご存知なかったんですか!」


 大和が勢いよく立ち上がると、脇に置いていたビジネスバッグからゴソゴソと文庫本を数冊取り出した。テーブルの上に並べられたそれを見ると、たしかに表紙に書いてある作家名は「佐久間諒」となっている。リョウの字が違うのは、ペンネームなのだろう。

 ポカンとしている胡桃をよそに、大和は熱のこもった口調で話し始める。


「佐久間諒の作品は世界観が独特で、読者さえ置き去りにする、ジェットコースターのような息つく暇のない話運びが魅力なんですよ。吐き気を催すほどの凄惨な展開のなかに、何故かすっと胸のすくような爽快感さえあって……」

「す、すみません。知りませんでした」

「知らなくて当然だ。一般ウケしない作風だし、読んでるのはコアでマニアックなオタクばかりだ。コイツみたいな」

「でも、本当におっもしろいんですよ!」


 大和はそう叫ぶと、キラキラと瞳を輝かせた。本当に佐久間の書いたものが好きなのだなと伝わってきて、なんだか微笑ましい気持ちになる。

 それにしても、佐久間が小説家だったとは。驚いたが、あらためてそう言われると、なんとなく納得感がある。彼には昔の文豪のような、浮世離れした雰囲気があるのだ。

 胡桃はテーブルの上に置かれた文庫本を手に取ると、パラパラとめくってみる。大和がすかさず「最後のページだけ先に読む、とかやめてくださいね」と釘を刺してきた。もちろん、そんな無粋なことはしない。


「その本、よかったら差し上げますよ。布教用に持ち歩いてるんです」

「……え、いいんですか。すみません、ありがとうございます」

「面白かったら、ぜひ他の作品も買ってくださいね。ちなみに、新作が半年後に発売予定です。……原稿が完成しさえすれば、ですけど」


 そこで大和は佐久間に向き直り、じとりと恨みがましい目つきで睨みつけた。


「先生。そろそろ締切が近づいてきていますが、進捗いかがですか?」

「問題ない。俺は一日で10万文字書いたこともある」

「一ヶ月で3文字も書けないときだってあるでしょうが! ギリギリのラインを攻めようとするのはやめてくださいね!」


 どうやら大和は、原稿の督促のためにここへやって来たらしい。なんだかテレビドラマの世界みたい、と胡桃はこっそりワクワクする。


「編集者さんって、わざわざ作家さんのおうちまで来られるんですか?」


 胡桃の問いに、大和は「僕みたいなケースは、あんまり一般的じゃないと思うんですけどねえ」と唇を尖らせた。


「佐久間先生、締切前になるといっつも連絡つかなくなるんですよ。メールの返信もないし電話も繋がらないから、無理やり合鍵ぶん取りました」

「別に、無視しているわけじゃない。極力存在を消しているだけだ」


 しれっと言ってのけた佐久間の態度は、社会人としてあるまじきものである。締切ギリギリに仕事相手が音信不通になるなんて、想像しただけで胃が痛くなる。業種はまったく違うものの、同じ会社員として胡桃は大和に同情した。


「……大変ですね」

「ほんとに大変ですよ。でも、無茶な締切でもなんだかんだ仕上げてくれるから、筆は早いんですよね。内容は文句なしに面白いし」


 大和はそう言って、なんだか悔しそうに表情を歪めた。敬愛する作家であり、面倒な仕事相手である佐久間に対して、いろいろ複雑な感情を抱いているのかもしれない。


「あ、そういえば。僕、佐久間先生にシュークリーム買って来たんですけど……必要なさそうですね」


 手にしていた紙袋を持ち上げた大和は、テーブルの上にあるシュークリームを見て苦笑した。どうやらあいにく、手土産がかぶってしまったらしい。

 ふたつめのシュークリームをぺろりと食べ終えた佐久間は、「見せてくれ」と紙袋に手を伸ばす。


「おっ、ブルームーンのシュークリームか。なかなか良いセンスをしているな」

「そりゃあ、佐久間先生と仕事してたら、嫌でもお土産のセンス磨かれますよ」

「せっかくだし、ひとついただこうか」

「え? 佐久間さん、まだ食べるんですか?」


 胡桃はぎょっとして佐久間の方を見た。タルトをほぼ一人で平らげたときにも思ったが、彼はかなりの健啖家である。こんなに痩せているのに、摂取したカロリーはどこに消えているのだろうか。

 紙袋から白い箱を取り出して開けると、中からシュークリームが現れた。胡桃が作ったものよりも、ほんの少しツンと澄ましたような雰囲気がある。高級洋菓子店のスイーツ、といった風体だ。

 佐久間はいつものように両手を合わせてから、シュークリームを器用に口に運ぶ。男の仏頂面が幸せそうに綻ぶのを見た瞬間、胡桃はなんだかムカッとした。たとえるならば、恋人が他の女にデレデレしているのを目撃したときのような気持ちだ。完全に、お門違いな嫉妬ではあるけれど。


「上品な味だが、ラム酒の風味が少々強めだな。シュー皮が硬めのクッキー生地なのもいい」

「ふうん。へえ。そうですか」


 つらつらと褒め言葉を並べる佐久間に、胡桃は唇を尖らせる。「何を拗ねてるんだ」と言われたので「なんでもないです」とそっぽを向いた。


「そうだ、筑波嶺くんも食べたらどうだ。彼女の作ったシュークリームはとびきり美味いぞ」

「え!? このシュークリーム、手作りなんですか!?」


 大和は胡桃の作ったシュークリームをしげしげと眺め、「すげえ、売りもんみたいだ」と感嘆の息を漏らす。胡桃は緊張しつつも、「よかったらどうぞ」と皿に乗せたシュークリームを差し出した。


「シュークリームパーティーですね。先生みたいに、たくさんは食べられませんけど」

「たしかに、ひとつ食べたら充分ですよね」

「でも僕、どっちも食べたいです」


 大和はそう言って、まずは胡桃の作ったシュークリームを頬張った。佐久間のように綺麗には食べられないらしく、容赦なく飛び出してくるカスタードクリームに苦戦している。それから市販のシュークリームも食べ終えたあと、「ごちそうさまでした」とお辞儀をしてくれた。


「……でも、すみません。正直味の違い、よくわかんなかったです」

「なんでだよ、全然違うだろ。ヤモリとトカゲぐらいジャンルが違う」

「ひとの作ったものを爬虫類にたとえないでください」

「……僕実は、コンビニで売ってる皮がフニャフニャのシュークリームが好きなんですよねえ。でも、どっちも美味しかったです。こんなの作れるなんてすごいですね」


 そう言ってもらえて、胡桃はホッと胸を撫で下ろした。自分の作ったものを誰かに食べてもらうのは、いつだって不安なものだ。

 大和の褒め言葉に、佐久間は胡桃以上に誇らしげな顔をしていた。「だから言っただろう」と腕組みをして、嬉しそうに頷いている。

 

「いや、なんで先生が得意げなんですか?」


 大和は不思議そうに、佐久間と胡桃を交互にじろじろ眺める。眼鏡の向こうの瞳に好奇心を滲ませながら、尋ねてきた。


「さっきから、突っ込みたいのを必死で我慢してたんですけど。お二人、どういう関係なんですか」

「えっ!? ど、どういうって……」


 胡桃は戸惑った。改めて訊かれると、説明が難しい。ほどほどに心を許しつつはあるが、友人というほどの関係性はまだ築いていない。ただの隣人、それ以上でも以下でもない。


「佐久間さんとは、ただのお隣さんで……お菓子を差し入れたり愚痴を聞いてもらったりする関係といいますか……」

「彼女がストレス発散のために作ったお菓子を、俺が消費している。持ちつ持たれつだ」

「ほほう。なるほど。そうですか」


 胡桃と佐久間の説明に、大和は意味深な笑みを浮かべた。ひとりで納得したようにうんうんと頷いて、まるで新しいおもちゃを見つけた子どものように、瞳を輝かせている。


「お隣さん……お菓子の差し入れ……不器用でひねくれた大人の男……うん、ラブコメの波動を感じる」

「はい?」

「なんでもないです。ところで佐久間先生、一方的に差し入れしてもらってるんですか? お代は?」

「……支払ってない」

「いやいやそれ、全然持ちつ持たれつじゃないですから。彼女の方は、光熱費も材料費もかかってるじゃないですか」

「たしかに、それはそうだな。俺はきみに金を払ってもいいとは思ってる」

「えっ、大丈夫ですよ! 高そうな紅茶とかコーヒー飲ませてもらってますし」


 佐久間の言葉に、胡桃は慌てて首を横に振った。そもそも自分の作ったものは、お金を取るレベルにはまだ達していない。それに金銭のやりとりが生じてしまうと、思う存分愚痴を言えなくなりそうで嫌だった。今のバランスが、一番絶妙で気が楽なのだ。


「それなら、先生が彼女に何かご馳走するっていうのはどうですか」

「え?」

「休みの日に二人で出掛けて、どこかで飯でも食って来たらいいですよ。うんうん、それがいい。ぜひ、そうするべきです」


 一人で勝手に話を進める大和に、胡桃は唖然とするほかない。隣にいる佐久間にチラリと視線をやると、彼は意外にも乗り気で「そうだな」と頷いた。


「来週の日曜は暇か」

「空いて……ます」


 胡桃は頷いた。予定を確認するまでもなく、週末にはお菓子作りをする以外の予定はない。

 

「じゃあ、予定を空けておいてくれ。とっておきの店をいくつか紹介してやる」

「え、あの」

「部屋まで迎えに行くから、そのつもりでいるように」


(休日に二人っきりで出掛けるなんて……それって、いわゆるデートなのでは? い、いいのかな……)


「いやあ、よかったですねえ! 佐久間先生、ちゃんと原稿も仕上げてくださいね!」


 置いてけぼりの胡桃をよそに、あっというまに予定が決められてしまった。佐久間はよっつめのシュークリームに手を伸ばしながら、小さな声で呟く。


「楽しみだな」

「え!? そ、それってどういう……」

「日曜にしか営業してない焼き菓子店がある。そこのバターサンドが美味いんだ」

「……ああ、そうですか」


 佐久間の言葉に、胡桃はがっくりと脱力した。それってどういう意味ですか、だなんて聞くまでもなかった。このひとのことだから、胡桃をダシにして美味しいお菓子が食べたいだけに決まっているのだ。

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