p.23 高揚感に包まれています(2022/12/19)

 艶麗な夜を踏み締めていく。

 カツ、カツと靴底が硬質な音が鳴らすたび、細やかに星の散る気配がする。

 魔術師はそうやって夜を歩き、夜空に秩序を与えていく。

 星と星を繋ぎ、仮初めの物語を紡いでいく。

(……しかたのない奴だな)

 自分以外には誰もいないはずの空間の中で、魔術師はふと、寥々としたチェロの旋律を捉えた。

「マエストロ、今日は煙霧たちを呼んでいないんだね」

「……むしろお前がここに来られている理由を知りたいところだな」

「あれれ。もしかして閉じてた? なーんか夜がどろりとしてるなって思ってたけど」

「正面突破かよ」

 チェロ弾きの男は確かに人間であるが、その身は異端的に魔法の要素を持つ。それも夜に属するもので、魔術師がいくら緻密に魔術を組み上げていても、単純な力比べでは分が悪いのであった。

「ね、この曲が終わるまではここにいてもいいよね」

「ったく…………耳が溶けるほどの星空でも紡いどけ」

「やったあ! マエストロのそういうところ、僕好き」

「やるなら祝祭日に合わせろよ」

 寂しげな音色に、甘やかさが濃さを増す。


 文字通り殺人的な音楽の響く中、魔術師はいつもの机と椅子を出し、火の灯った香草のメッセージカードを開いた。

『どんどん祝祭日が近づいてきて、不思議な高揚感に包まれています。わたくしは魔女ですから、今までたくさん祝祭日を迎えてきましたけれど、そのどれとも違う気持ちなのです。それはたとえば、すべて読んでしまったとばかり思っていた本棚の中で、一冊だけ、知らない物語を見つけたときのようなものなのかもしれません』

(物語、か)

 今の自分はきっと、彼女の物語に登場できているのだろうと、魔術師は口の端だけで笑う。そのままいつも通りに返事をし、ついでにこれまで送られてきたメッセージを見返した。

 まだ、足りないのだ。

 そう思い、魔術師は心に苦い雫が垂れるのを感じた。それを打ち消すように魔女との時間をひとつひとつ思い出し、魔術の糸で編んだ金属板に刻んでいく。

 かつて魔女に認識すらされなかった少年は、今、彼女と勝敗を分ける縁を結んでいる。

 その先に、なにを望むのだろうかと、彼は自問する。

(……あの時)

 あの時、純粋な疑問は形をなさなかった。

 ――お前は、伴侶を得ているのか。

 そう問おうとして、始まった星降りへと意識が向いた魔女に遮られたのだ。続きを口にすることがなくてよかったと思うと同時に、その答えを知るべきだという思いが揺れる。

 するりとほどけるように、チェロの音がやんだ。

「その日さ、星から僕の音色が滲むようにしてあげようか」

 チェロ弾きの男がもたらすのは、ひどく甘い提案だった。

「……そんなことできるのか」

「僕の要素が強くなってもいいのなら」

 彼の目は相変わらずの昏さで、宙ぶらりんとした悦楽に毒されている。

 それを知りながら、魔術師は頷き、自身の糧とする。

「……土台は俺が組む」

「いいねえ、共同作業だ!」

 酩酊するほどに甘い音色を、星が纏っていく。

 きらり、きらりと星は優雅を演じて瞬く。

 しかし同じ空間で、同じ星に触れていても、ひとりとひとりは決して交わらない。二人の男はどこまでも、ひとりずつであった。

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