p.15 むずむずさせるのがとてもお上手ですね(2022/12/11)
「ほう、その程度の質で満足しろと?」
それは面白い、と笑った魔術師は、向かいに座る男の余裕ぶった笑みの中にある恐怖心を見つけて、表情とは裏腹に退屈に思う。
(ハッタリもろくにできないんじゃあ、この商会も終わりだな)
ならば買い叩くつもりのない自分が良質な商品をすべて買い占めてしまったほうがこの商会にも優しいだろうと、頭の中で素早く利益を計算する。
「そうだな、今ある雪月花の結晶をすべて出せ。俺の基準を満たしたものはこの値段で買ってやる」
魔術師が提示した金額に、商会の男はハッとして扉のところに控えていた側付きに合図を送った。部屋を出て、すぐに箱を抱えて戻ってきた側付きは、商会の男にそれを託し自分はまた扉の位置に待機する。
渡された箱を開けた商会の男はひくりと頬をひきつらせ、中身に触れようとしたが、早く出せと指を動かす魔術師の視線に押し負けておずおずと箱を差し出した。
(なるほどな)
雪が反射する月光の、銀細工のような煌めきを内側に持つ氷の石。固く閉じた蕾の形だが、雪月花はこれが咲いている状態だ。特別な手順を経て摘めば、こうして美しさを残したまま結晶化する。身に持つ魔法の要素が強くなければ生息地に辿り着くことすらできないそれが箱いっぱいに陳列しているのは、この商会になんらかの伝手がある証拠だった。
上品な内布の張られた箱の、左端が石ひとつ分空いている。
「ここから右側全部だな。残りは裏にでも流しとけ。あとは――」
見事に品質順に並べられた結晶にきっちり線を引かれ、がくりと肩を落としていた商会の男であったが、続いて要求された品々に目を瞬いた。
雪月花の結晶のように、人間にはとうてい手を出せない物はたくさんある。それを無茶してでも得るために人間が訪れるのが、先ほどのような裏にも繋がりを持つ店だ。魔術師はそういった店をいくつも知っていて、また、ただの人間だと足もとを見られることのないよう用心深く情報や罠の網を張り巡らせていた。
次の店に足を運びながら魔術師はジャケットの内ポケットを探る。
メッセージカードを取り出せば場違いに温かな香草の香りがした。その表紙に描かれた燭台に火が灯っていないことを確認し、するりと指の腹で撫でながらもとの場所へ戻す。
カードを確認するのが癖になっていることに気づいたからか、それともまだ魔女からのメッセージが届いていないことに対してか、小さく舌を鳴らして。
(……いや)
そこで考え直した魔術師は手近な、しかし密談に適した飲食店に入り、珈琲を注文する。
もう一度、今度は意識的にメッセージカードとペンを取り出し、言葉を紡ぐ。
『今日は俺もお前のことを考えていた。相手に満足させるということは、気に入ってもらうということだからな。魔女の……というより森の魔女の好みを探っているところだ』
当然この言葉は偽りであるが、受け取った相手がその嘘を信じた場合、生じる感情が増幅する。経験上、魔女がこのような言葉に悪感情を持つ可能性は限りなく低いので、上手くいけば早い段階で勝負がつくぞと魔術師はほくそ笑む。
さて、魔術師が珈琲を飲み終わるまでにメッセージカードの火が灯った。
『魔術師さんは、わたくしをむずむずさせるのがとてもお上手ですね……! なんというか、今まで以上に祝祭が楽しみになってきました。魔法みたい、というのはおかしな表現ですけれど……いえ、それとも魔術の効果なのでしょうか。そうであっても、魔術師さんがそうご自身のことを教えてくれて嬉しいです!』
魔術と気づいていながら罠にかかったらしい魔女の返事に、魔術師はなんとも言えない顔になる。
(教育の余地があるな。……いい意味でも、悪い意味でも)
とはいえ買い物を再開させた彼は傍目にわかるほどにご機嫌で、その姿を見た裏の住人たちが「今日の夜の魔術師はいっそう悪いことをしでかすに違いない!」とざわついたのは言うまでもないだろう。
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