p.13 きっと順調なのでしょう(2022/12/09)
カツ、と革靴の底が床を打ち鳴らす。硬質な音は物寂しく響き、足もとからじわりと夜が染みていく。
ここは魔術師の魔術で展開された夜だ。彼が歩いていくたび、踏み締めていくたびに、空間は世界のどこかに固定される。
「……お前らも暇だな」
ふと己の領域に交ざった異物の気配に声をかけると、暗闇から滲むようにして人影が四つ、現れた。
「違うわあ。マエストロが夜を開く気配があったから、急いで仕事を終わらせてきたのよ」
「煙霧と意見を同じくするのは癪だが、そういうことだ」
「やあだわ。あたくしだって賽の目と一緒にされたくないわよ。ねえ、毒杯?」
「はは、どうだろう。俺たちがマエストロのために動いているという事実は、変わらないからなあ」
「僕はチェロを弾くためだけどね」
藍色のイブニングドレスに豊かな銀灰色の髪が映える美しい女と、ぼさぼさの髪と髭に豪奢な装飾のついたローブというちぐはぐさが奇妙な男、軟派な雰囲気のする笑顔を騎士のような服装で中和している男、それから、チェロが本体だと言わんばかりにぱっとしない出で立ちの少年とも青年ともつかない男。
騎士服の男が言う通り、彼らは享楽的な夜の遊びを盛り上げる者たちだ。四人が四人とも、それぞれに昏い夜の気配を纏っていた。
しかしこうして並ぶと、彼らのおぞましさを合わせてもなお届かない、マエストロと呼ばれた夜の魔術師の昏さが際立つ。
「勝手にやってろ」
魔術師がそう吐き捨てれば、彼の展開する夜がいちばんよく響くのだと、チェロ弾きの男はさっそく弓を弦にあてがった。
そこから鳴り響くのは、くらりとするほどに甘やかな音色。
魔法の要素をもつその音は、豊かな倍音を含み、魔術師の魔術を増強する。それでなくとも確かな技術を持つチェロ弾きの演奏を魔術師は気に入っており、彼はこの妙な縁を愉快に思っていた。
「見た目はともかく、演奏は今日も宮廷級ね」
品のよい細い腰の曲線に少しばかりのいかがわしさをちらつかせ、しとりと身体を寄せてきたドレスの女。魔術師はそんなふうにダンスの催促をしてきた彼女をすげなく追い払う。
「あら。今日は気分じゃないのかしら」
「だな」
残念、と少しも残念ではなさそうに呟いたドレスの女は、うしろで待っていた騎士服の男に手を取られてくるりと回る。
流れるように始まったダンスを、しかし、見ている者はいない。
ステップのたびにどこかで散りゆく命があることを知りながら、五人はどこまでも穏やかに、思い思いの方法で夜を過ごす。
(それでも、こいつらが来たのは僥倖だったな)
虚空から生み出されたひとり用の机と椅子に腰かけると、魔術師はジャケットの内ポケットから香草のメッセージカードを取り出した。
『昨晩集めた満月の品々を、整理していました。こうしているといよいよ祝祭が近づいてきたなと感じますね。わくわく、ドキドキです。魔術師さんは少しのヒントもくれませんから準備がどのくらい進んでいるかわかりませんけれど、きっと順調なのでしょうね』
いつものように魔女の言葉から糸を紡ぎつつ、適当な返事を書いていく。糸は夜に浸し、深みのある森の色がなだらかな翳りを滲ませた。
「新しい玩具か?」
「まあそんなところだ」
横から覗く気配に、魔術師は薄く笑った。カードを開いたままであるが、もとより認識阻害の魔術を敷いていたため、見られること自体に問題はない。
「……直筆とはずいぶんお気に入りのようだ」
「どうだろうな。案外こちらが遊ばれているのかもしれないぞ?」
「馬鹿言え。あんたみたいな奴がどうやって遊ばれるんだ」
魔術師の作業に興味を示すローブの男はひどく嫌そうな顔をした。五人の中で最も常識人であるように見えて、この男は自分を賭けの対象としながらも大博打を打つような、酔狂な遊びを好む。
「過信は禁物と言うだろ」
その裏側で魔術師にひと泡吹かせることも狙っているのだから、慎重に言葉を選ばねばならない相手だ。
「せっかく来てやったんだ。片手間でいいから俺でも遊んでくれ」
「呼んだ覚えはないな」
そう言いながらも魔術師はもうひと組の机と椅子を出してやる。ニヤリと口の端を歪めたローブの男に、魔術師はこれは長くなりそうだと肩をすくめた。
甘い甘い夜を描くチェロの音が、響いている。
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