死神とパンドラの箱
彼らが歩いてきた方向に駆け足で向かう。
真っ先に頭に浮かんだのは久寿の顔だが、『白いの』と称された外見的特徴に齟齬を感じる。髪色なら黒だし、肌色なら黄色あたりだろう。
――まぁ、人に何かを言えた立場ではないか。
元は平凡な茶色だった地毛を鮮やかなコバルトブルーに染めた自身の頭髪を見て、考えを改める。
奇抜な髪色にしてるのかもしれないし、めでたいと白を基調にした服でやってきたのかもしれない。訪問したのは随分と前だ。もしかしたら久寿ではなく藤幸が来ていて、過ぎた年月ゆえの自然な髪色の可能性もある。
そう考えながら特徴的な白を探していると、白髪の小さな頭を見つけた。
……本当に小さい。
遠目から見ても藤幸と久寿ではない小ささだ。二人の可能性が除外され次に思い浮かんだのは、触れ合う事すら出来なかった人懐っこい笑顔が可愛かった幼子。
あの子が成長して、久寿の代わりに〈
……それにしても、些か小さ過ぎる気がする。
もしかしたらあの時の子供本人ではなく、弟か妹だろうか。近付いたところで振り返った子供と目が合った瞬間、衝撃が走った。
「かっっっっ!!」
「……はい?」
「あ、ごめんなさい。つい可愛くて……えっ、本当に可愛いわね。すごいわ、ずっと新鮮にびっくりしちゃう」
「…………」
白髪に白い虹彩。雪の中で見失いそうな儚さを感じる中性的な子供は、困惑と僅かに羞恥を滲ませながら警戒心を露わにしている。野生の猫のようでそれもまた愛らしい。
突然見知らぬ大男が近付いてきて矢継ぎ早に可愛いを連呼される。通報事案だ。
深呼吸を挟んで、笑顔を向ける。敵意も悪意も犯意もない。無害な存在だと信じてもらえるよう祈りつつ、念の為一歩後退りした。
「急にごめんなさいね、継片さんの子で合ってる? アタシは八重樫百合。以前、貴方のおうちにお邪魔させてもらった事があるの。その時は、」
「……もしかして、ブルーメンタールの?」
その言葉にユリウス――改め、八重樫は目を見開く。
継片家に訪問したのは十年どころか、もう十五年は前の事。どう見ても当時生まれてすらいなかったであろう幼子の口から、かつての家名が出てくるのは予想外だった。
「驚いた。もしかして、何か聞いてた?」
「とうさま……久寿から少しだけ。僕を見に来る魔術師の中に、『鎌』を持つブルーメンタールの大男がきっと来る。でも熊よりは恐ろしくない、と」
「あら、どう反応したらいいか困っちゃう」
「……じいさまは顔を真っ赤にして怒ってましたが、あなたは嬉しそうなので、喜べばいいのでは?」
「もうやだわぁ、色んな心が大渋滞よ」
長い時間の中で、祖母の余生を傍で見届け、縁があり、名前を変え、国籍を変え、必要とあらば求めに応じ『鎌』を振るった――それが、人間には過ぎた力が今も手元にある意味だと信じて。
その結果、継片家に訪れた当時より『死神』として実績を重ね、さらに畏れられている。
しかし、たった一度会ったきりの親子の間では変わらず、得体の知れない死神の印象に飲まれず『ユリウスくん』のままらしい。
それが気恥ずかしいやら、有難いやら。一言では表せない感情が渦巻くが、口元が緩んでしまうのだから嬉しさが強いのは確かだった。
その親子の、子であり孫が、目の前の子供なのだろう。愛らしい見た目との相乗効果で、ますます愛しい存在に思えて仕方ない。
然りとて、可愛がるために話しかけたわけではない。八重樫は気持ちを落ち着けて本題に移る。
「ところで、そのお父さんは今どちらに? それともお祖父さんと来たの?」
「いえ、とう……久寿か藤幸に用があったなら、すみません。一人で来たので、二人共いません」
「えっ!? そんな……あっ、違うのよ!? 謝ってもらうほどの用事じゃないの!」
小さな子供が一人で『島』まできたのか。信じられない気持ちで八重樫は「ちなみに今、おいくつかしら?」と恐る恐る尋ねると「今年、十二になります」と返答。
予想が八歳だった八重樫は詐欺まがいな見た目も含め仰天し、思わず仰け反った。
八歳より十一歳のほうがましとは言え、充分子供。保護者不在でこんな遠出をさせるなど言語道断。しかし何か事情があるのかも、とぐるぐると頭の中が混沌とし始める。
が、すぐに思考を切り替えた。
よその家庭に口を挟める間柄ではないのだと、噴き出しかけた感情を抑え込む。
「貴方のお父さんが〈
随分と脇道に逸れてしまったが、ようやく本題に戻せた。近付いた目的は子供を愛でるためでも、懐かしい話をするためでもなく、祝いの言葉を贈るためだ。
本人不在で、いるのは子供だけなのは予想外だったけれど、これはこれで良かったかもしれない。
これで、思い出すたびに胸が詰まる息苦しさと申し訳なさから抜け出せるーーそんな水を指すような感情が、人伝なら届かないだろう。そう考えて、勝手に安心して、軽率だと気付くのが遅かった。
「……、わかりました。久寿に代わり、御礼申し上げます。ありがとうございます」
言伝を預かった子供の表情の暗さに、八重樫は判断を間違えたと不安が顔を覗かせる。
〈
八重樫がそうだった。だから目の前の子供も、同じように見えた。
少なくとも『おめでとう』に対し喜びの感情を一切見せず、『ありがとうございます』とありふれた返礼が心にも無い義務感を滲ませる違和感は確かだった。
「ねぇ、貴方はいつまで『島』にいる予定なの?」
「明後日まで、ですが」
「あら偶然。アタシも明後日帰る予定なの。良かったら一緒に帰国しましょ?」
本当は明日『島』を出るつもりだったが、予定変更である。同行を拒否されても、鬱陶しがられても、無事に帰国するまでは見届けるつもりだ。自宅まで見送る時間がないのは歯痒いが。
八重樫の言葉に子供はオフホワイトの瞳を瞬かせる。この悪目立ちする目と髪色についても、対策しているのか確認しなければ。
これはただのお節介だ。正義感も責任感もない。見て見ぬふりをしたら気になって夜眠れなくなるから、安眠のための自己満足。
そんなきっかけだった。
「ところで,貴方の名前は? なんて呼んだらいいかしら」
「――……こ、うせい」
年に不相応な落ち着きを持つ子供は、どこかぎこちなく言い含めるように名乗る。
「星の、
「あら! 素敵な名前ね」
「……いえ。まだ少しも、相応しくないので」
「ふふ、なんかちょっとわかるわ」
共感を示す八重樫の反応に昴生は不思議そうに首を捻る。
「星に相応しくあろうとするなんて、向上心が高いのね。素敵よ」
「…………。ありがとう、ございます」
今度の『ありがとうございます』は視線を外しながら俯きがちで声色も控えめ、少しだけ照れが混じって嬉しそうに聞こえた。
八重樫の口角が緩んでいるのに気付いたのか不満げに睨み付けてくる姿がまた人見知りな子供らしく、ますます締まりの無い顔になってしまう。
――同時に、あの日で出会った子供ではない事を確信した。
「昴生ちゃんが今年十二歳って事は、お兄さんは十五、六歳くらいかしら。元気?」
「え、――――」
「以前、おうちにお邪魔した時に赤ちゃんが顔を見せに来てくれたの。人懐っこくて可愛くてね。ハジメ、って名前的にお兄さんだと思ったんだけど、」
違った? と尋ね終える前に八重樫は目の前が真っ暗になり、平衡感覚を失う。
しかしほんの一瞬足元がふらついただけ。その場に踏み止まり、何度か瞬けばすぐに視界は戻った。まるで、軽い立ちくらみが起きたように。
「……大丈夫ですか?」
「え、ええ。ちょっとクラッとしただけ」
八重樫の答えを聞き、昴生は持ち上げていた片手を下ろす。
「覚えがありませんが、八重樫さんが会ったのは僕だったと思います」
「え!? うそ、そんなはず」
「そうでなければ、別の家庭の記憶と混ざったのでは? 我が家には僕と今が赤ん坊の妹だけです」
「それは無いわ! 無い、はずだけど……んー、んん〜? なら、歳を勘違いしてたのかしら。やだわ、確かピッタリ二十歳の時だった気がしたんだけど……」
二十歳の時だったはずだが、二十四、五歳の時だと言われると、そうだったような気もしてくる。
子供の頃は長い時間だが、大人になると誤差の領域だ。八重樫が自分の年齢に頓着しなくなった事もあって、はっきりと確信出来ない。
「何故、我が家に間違いないと言えるんですか? 赤子が自分で名乗ったわけではないでしょう?」
「まぁ確かに、その子の名前も全然思い出せないけど……でも絶対に貴方のおうちよ」
それだけは確信している。
探るような視線を向ける昴生に、八重樫は胸を張り、自信を持って答えた。
「だってアタシの中の貴方のお父さん――久寿さんのイメージが、子煩悩なパパなのよ」
「子煩悩なパパ」
「そう。随分前の記憶だし、あまり当てにはならないかもしれないけど、子供と一緒にいないとそんな印象は残らないはずよ。だから絶対、貴方のおうちの事」
他にも、妙な礼儀正しさやら、哀れみも含めて、僅か数分だけ言葉を交わした相手とは思えない非常に複雑で濃厚な印象が残っているが――息子の立場でそんな話は聞きたくないだろうと割愛する。
予想外の答えだったらしい昴生は目をまんまるにして、ほんの少し力が抜けたように頷く。
「そう、ですね。とうさまは、優しいひとなので、…………」
そのまま伏目がちで俯き、言葉を続けようとしばらく口は開かれていたが何も言わず閉じてしまう。「何?」と続きを促してみるが昴生は口を閉じたまま動かなくなったので、八重樫が先に気まずさから耐えられなくなった。
正直気になる反応ばかりされているが、初対面の相手に深入りされたくないのかもしれない。少しだけ声が上擦りつつ、話題を切り替える。
「と、ころでぇ、昴生ちゃんは明日まで何をする予定だったの? そこの本を読んでたみたいだけど、勉強? アタシが手伝えそうな事はある?」
「……いいんですか? 実は帰ってから調べ直そうとしていた事があって」
ようやく昴生が顔をあげてくれたので八重樫は安堵しつつ「なんでも聞いて!」と安請け合いしてしまった。
そして彼の手元に積み上げられていた古書のうち一冊を開く。八重樫の見たことのない言語がびっしりと綴られていた。
「ここの文章、前後の内容からエーテル精製に関する記述だと思うのですが……『リズは星霜への道標となりて、銀嶺の血を賜る』と言うのは何かの比喩か、アナグラムでしょうか? 筆者の癖が強く無駄な文章が多いせいで、どこまでが冗談なのか判別が難しく……。それとも、筆者のダニエーレの身近にリズという存在が確認出来ないので、彼の魔術書のリズは『存在しないもの』として読み飛ばしを示唆する暗喩の可能性はありますか? それと、このページの挿絵の紋様についても不可解な点がいくつかあって――」
「…………ん? んん〜〜〜〜?」
ぜーんぜん、わっかんなーい。
八重樫は白目を剥きつつ、自分の言葉に責任を持って共に難題に取り組んだ。
結局、内容は酒の製法だったので酷い徒労感に襲われる結果となる。
だが、同じ目的を一丸となって挑んだ後の昴生は随分と軟化していたので、情けない大人の自分を晒し恥入っていた八重樫は――まぁいいか、と思い直した。
余談だが、この時昴生の手により要約された『手順書』は、彼らの帰国後まもなく見つかり、『島』内に酒類が増産され、へべれけが溢れ、ろくでもない一年になったという。
「――――やっぱり、精神干渉受けてるわね」
帰宅した八重樫は保管していた古いパスポートを開きながら、自身に魔術がかけられていると溜息混じりに実感を零した。
既に期限切れになったユリウス・ブルーメンタールの身分証。入出国の際押印されるスタンプには当然、日付が刻まれている――はずが、八重樫が何度見直しても、それらしい数字が見つからない。読み上げてもらってもノイズ混じりの声で聞き取りは不可能。
最終手段で化石になっている当時の携帯端末を復旧させるつもりだったが、無駄骨になると察して諦めた。
さて、どうしたものか。
気分が悪くならないと言えば嘘になるが、些末な事として水に流せる範囲だ。
帰国してから数日経つが、これといった異常はない。魔術をかけられた自覚はあったものの、こうして実際に確認しなければ気のせいだと思いかねないほど微弱で――恐らくかなり限定的な精神干渉だ。
それと、どうにも昴生が自分に敵意を向けたとは思えず、警戒しきれなかった。これも精神干渉の一因かもしれないが、子供相手に甘くなるのは正常だろうと八重樫は目を瞑った。
問題は、この件を追及するか、否か。
子供の悪戯にしても少々度が過ぎている。そう叱る権利が八重樫にはあるが、そもそもあれだけ利口な子供が好奇心や気分で短絡的な行動をしたと考え難い。
仮に何かを隠蔽する目的を持った行動だとすれば、追及は悪手だ。
「んんん……」
口封じのため命が脅かされるなら対策は出来るが、あの家族はそういう事をしてこないだろう。
例えば彼らの顔がわからなくなる精神干渉を施す。それだけで八重樫は二度と継片の人間と関わりが無くなり、自然消滅。正義感で無策に踏み込んだところで、そういう結果になる予感がする。
「…………」
これは切るべきカードではない。聞き出す事が出来ないなら、いずれ打ち明けてもらえるような関係を築こう。
保留の結論に達した八重樫はパスポートを閉じて、元の保管場所にしまい込んだ。
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