死神と魔術師の親子

「ようこそ、ユリウスくん。遠くからよく来てくれたね」


 継片藤幸は穏和な笑みを浮かべてユリウスを迎え入れた。

 スケジュールを合わせるために通話で何度か話をしたが、直接顔を合わせるのは初めて。飛行機に乗って外国を訪れるのも初めて。とにかく慣れない事尽くしだったユリウスは藤幸の穏やかな空気に少しだけ緊張が解ける。


「お時間をいただき感謝します。本来であればもっと早くお伺いするところ、こんなにも遅くなってしまい、申し訳――」


「うおおぉぉん、ワシが可愛くない爺だったばかりに若い子に頭下げさせちまったよぉぉぉ、うおぉぉおおんおんおんおん」


 ユリウスが頭を下げるより早く、藤幸が玄関先で蹲って下手くそな遠吠えをし始めた。

 いや、雰囲気も顔立ちも祖母の方が圧倒的に怖い、と気安く返せるはずもなく……。


 どうしたらいいのか。ユリウスが狼狽えていると歳が近そうな女性が廊下の奥から顔だけを出し「お義父さん、お客さんが困ってますよ」と手助けの一声が入り、藤幸は騒ぐのをやめてゆったりと顔を上げた。


「ようこそ、ユリウスくん。遠くからよく来てくれたね。ささ、上がっておくれ」


「……お邪魔します」


 何もなかったかのようにやり直された。

 招かれているのに玄関先で話し込むのも失礼だろうと家に上がらせてもらい、通された客間で改めて詫びを入れようとするも再び茶番の圧に押し切られてしまう。

 先程の女性が「お義父さん。粗茶、入りましたよ」と湯呑みを置いていくと、畳の上を転がっていた藤幸は座布団の上に戻った。


「ゆかりさんの淹れてくれたお茶はとても美味しいから、ユリウスくんもきっと気に入ってくれると思う」


「彼女は貴方の娘ですか?」


「そう見えたかい? 彼女は息子のお嫁さんでね、僕みたいな爺さんにも優しいよく出来た人だよ。今日、ユリウスくんが謝るたびに暴れる僕を都度止める役を引き受けてくれたんだ。ありがたいねぇ」


 とりあえず、継片家の仲の良さと謝らせてもらえない事をユリウスは理解した。つい呆れた表情を浮かべてしまったが、藤幸はそれを咎めず、むしろ目尻の皺を深める。


「君が我が家を調べたように、こちらも『島』からブルーメンタールの事情は大まかに把握していたよ。親を亡くしたばかりの幼かった君がこんなしっかりとした大人になって、親の義理を果たすために遠くの国まで来てくれた。こんなにも喜ばしい事はない」


「そう、言っていただけると嬉しいです。それで、父にしていただいた支援ですが」


「本当にユリウスくんは義理堅いねぇ。ちゃんとこうして返してくれたんだからねぇ。ワシ泣いちゃいそうだねぇ。あ、清算したって証明書も作っておこうねぇ」


 随分とわざとらしい老人の素振りでユリウスの手土産を恭しく掲げては頬擦りをし始めた。

 藤幸が父にしていた支援がどれほどのものかユリウスには想像するしか出来ないが、出国前に空港で買った市販の手土産程度で相殺されるはずがないのはわかる。

 しかし、何を言ったところで相殺された事になってしまうのだろう。それを察したユリウスは静かに深々と頭を下げた。


「父に代わり、深くお礼を申し上げます。ありがとうございました。頂戴したご恩は忘れません」


 一呼吸置いて顔を上げると、藤幸は白毛混じりの眉を下げて困ったように笑っていた。


「……本当に、僕が君達家族にした支援は大した事じゃ無いんだよ。ただの時間稼ぎに過ぎなかった。それは君がよくわかっているはずだ」


「……その話、なのですが」


 今回来訪した理由は支援への感謝が前提だが、もう一つあった。『世界の呪縛』――結局、ユリウスはその詳細を理解しないまま退けてしまった。父に支援していた人なら、それを教えてもらえるかもしれない。

 出された緑茶を一口飲み、緊張で乾く喉を潤す。


「祖母は何も知らず、父は語らないまま口を閉ざしてしまった。私は何もわからないまま今日に至りました……どうか教えていただけませんか? 母の身に降りかかっていた『世界の呪縛』とは、一体何なのか」


 問いかけに対し、藤幸の柔らかな雰囲気は変わらない。しかし、その目には拒絶の色が滲む。

 壁を作られた空気に肌がひりつくのを感じつつユリウスは答えを待つ姿勢を維持する。根負けした溜息が一つ、藤幸が漏らしたものだ。


「君は始祖に会い、〈方舟遺物アークレガシー〉を授かった。その時に何か語っていなかったかい?」


「え……」


 逆に質問を返されてユリウスは目を瞬かせながらも、記憶を探る。


「事細かには覚えてませんが……何も、教われなかったです。私の価値観に合う答えは出せない、と」


「そうなるだろうね」


 思い返してもよくわからない答えを、藤幸はわかっているように頷いた。


「……僕はね、知る必要の無いものは知らなくていいと考えている。世の中にはそんなものが転がっていて、君にとって『世界の呪縛』と呼ばれるものはそういうものだ」


「……何も教えていただけない、と」


「そうだね。僕は嫌な爺だから、君に選択肢すら与えない」


 ……どうやら、嫌がらせをされているらしい。全然そう感じられないけれど。

 ユリウスはあれから大人になったと自負しているが、始祖が語った内容も、理解を示す目の前の老父も、理解するにはまだ青いらしい。

 これ以上、父の恩人に迷惑をかけるつもりもなく話を打ち切ろうとした時、庭側の障子が勢いよく開かれた。


「だ――――っ!」


 そこにいたのは元気な子供だった。三頭身で覚束ない足取り、一、二歳くらいの子供は見つけたと言わんばかりの笑顔で藤幸を指差している。

 可愛い。藤幸の孫だろうか。

 ユリウスに気付いた子供はよちよちと歩み寄ろうとして、危なげな足取りに思わず手を伸ばし――今度は接近してくる大きな足音に阻まれる。


「こらー! ハジメ、駄目だろう! 一人でこんなところまで離れたら」


 子供を追ってきた青年にユリウスは目を瞬かせる。歳の離れた兄、というより子の父だろうか。同年代か、顔立ちから歳下にも見える青年が親。

 すごいなぁ。純粋に尊敬の眼差しを向けてしまったユリウスに気付いた青年が、さっと顔色を変えて素早く子供を抱き上げた。その表情は、少し見慣れたものだった。


「――この子に触るな、ブルーメンタールの死神! どうしてうちに!」


「久寿! 客人に失礼な事を言うんじゃない!」


「子供がいるのに、何故不吉なものを我が家に招いたんです!」


 藤幸は怒ってくれているが、ユリウスとしては嫌悪感を露わにする青年――久寿の方に共感する。

 触れたら何でも殺せる鎌を取り出せるなんて、普通に怖い。特にユリウスは体格も大きいので、これが正常な反応だろう。


「……申し訳ありません。直接、お礼とお詫びのために訪問させて欲しいと私が無理を言ったのです。これ以上ご迷惑をおかけする前にお暇させてもらいます」


 玄関先でもいいと頼みこんだのはユリウスだ。藤幸の厚意に甘えてしまったが、恩人の家に不和を運び入れるのは本意ではない。


 早く立ち去ろうとして、床にすっ転んだ。

 おかしい、足の感覚がない。目の前にはきちんと両足が揃っているのに、足首から下が無くなったような感覚がして立てない。

 ――ユリウスに正座の文化はない。礼を尽くすための姿勢だと学んでいただけで、実際に経験するのは初めてだった。


「ユリウスくん大丈夫かい!? 足痺れちゃったんじゃないか!?」


「こ、これがあの、痺れですか!? そんな! それは長時間座るとなるもので、私はほんの数分でッあ、あぁぁ〜、おぉぉ……こんな、足の先が無くなったみたいになるはずが!」


「……いや、あなたの体重考えたら当然の結果では」


「あ、なるほど」


 乗せられた重みが多ければ、足の負担も増す。

 素っ気ないが冷静な物言いにユリウスはすんなりと納得し、藤幸は再び怒って声を荒げた。久寿は何故か気まずそうに子供を連れて立ち去り、藤幸とピリピリと足の感覚が戻ってきたユリウスだけが残される。


「……息子が大変な無礼をした。申し訳ない、ユリウスくん」


「いえ、気にしてませんよ。むしろ、藤幸さんが珍しいタイプで、彼の方が普通ですから」


 刃が露わにならないよう鞘代わりに魔力で覆い隠したところで、鎌を直視した魔術師は畏怖し、鎌を見えない人々も異様な気配を察知して避けていく。

 命あるものは鎌を恐れた。ただ、何も出していない状態で初対面にも関わらず、ユリウスを『ブルーメンタールの死神』と呼んだのは、久寿が初めてだった。


「彼とは初めてお会いしたと思うのですが……私が忘れているだけで、何か失礼をしたのでしょうか」


「いや……〈方舟遺物アークレガシー〉を手に入れた同年代の男として、どうしても目についてしまうんだろう。あれは久寿のやっかみで、ユリウスくんは何も悪くないんだよ」


「そう、ですか」


 そんな羨まれる物ではないと思うのは『持つ側』の嫌味になってしまうだろう、ユリウスは本音を飲んだ。とはいえ、ただ授けられただけで偉ぶるわけにもいかず、どう反応するのが正しいのかわからないのだが。

 伸ばしていた足の痺れが薄れ、次は問題なく立ち上がれた。


「お見苦しいところを見せました。もう問題ありません。今度こそ本当にお暇させてもらいます」


「大したおもてなしも出来ず、身内の恥を晒して、本当に申し訳ない」


「とんでもない。お時間いただき、ありがとうございました」


 そんな挨拶を交わし、廊下を出たところですれ違った女性に藤幸が「静穂さん、久寿を呼んできてくれ」と声をかけた。

 広そうな家だから家政婦を雇っているのだろう。呼び止められた静穂と呼ばれた女性が「先程出かけられたみたいですよ」と答えると「ほあぁ!?」と藤幸の血圧が上がりそうな怒りの声が上がる。

 二人がかりで宥められた藤幸に見送られながら、ユリウスは継片家の門を通り抜けた。


 そして、外で待ち構えていたらしい久寿と再会した。


「…………」


「……お、お邪魔しました」


「待っ、すっ、すぐに済むから、ちょっと待ってくれ!」


 気まずい。ユリウスも気まずいが、相手もまた同様だろう。早々に立ち去ろうとしたのに、逆に呼び止められて驚いた。

 何か用があるらしい。

 恐々と振り返ると久寿は警戒心も嫌悪感もないが、ものすごく複雑そうな顔をしている。


「……僕の態度は、さすがに悪かったと思い……謝罪を。申し訳なかった」


 用件が謝罪だった事に、さらに驚く。

 態度の急変に何か意図があるのかとユリウスは懐疑的になり黙り込んでいると、頭を下げたまま久寿はさらに続ける。


「一昨日まであの子は高熱に魘されていて、死ぬかもしれなくて……言い訳になるが、かなり気が立っていた。それは、あなたにとって何も関係のない話だったのに……」


「あぁ……なるほど」


 死線を彷徨い、無事回復したばかりの子供に『死神』を近付けたくない親心は想像は出来た。

 もう二度と会わなくなる可能性のほうが高い相手に、こうして待ち伏せてまで謝罪しに来るとは、随分と律儀な――……いや、わざわざ外まで回り込まなくても、玄関で事足りたのでは。そう考えるユリウスの怪訝な表情を、顔を上げた久寿はまっすぐに受け止めている。


「あなたが『鎌』を授かったのは十二歳の時、母親のためだったと聞いています」


「その通り、ですが……?」


 継片家を探し当てるために、ユリウスは『島』を訪れた。その時に〈方舟遺物アークレガシー〉を得た経緯を報告したため、その情報が彼の元にも届いたのだろう。

 何のための事実確認だろうか。次の言葉を待ってみたが、久寿は唇を噛んで押し黙っている。握り拳が震えている理由をユリウスには理解出来ないが――彼の内にある感情が、羨望に近いものだと察して何も言えず、沈黙が流れる。


「あなたと僕たちの、何が違ったって言うんだ」


 やがて吐き出された彼の言葉は失意に満ちていた。

 まるで泣き出しそうな焦点の定まらない目をしている久寿に、ユリウスはかける言葉が見つからない。そして何も求めてないとばかりに久寿は踵を返し、離れていった。


 その場に一人残されたユリウスは胸の重苦しさに眉を顰めながら、久寿の背中を見送り、姿が見えなくなると同時に息をついた。

 ……彼は、彼以外の誰かと共に〈方舟遺物アークレガシー〉を求めているのだろう。しかし、今に至るまで手にする事が出来ていないらしい。

 久寿と藤幸の言葉から推察し、彼から向けられていた感情ものの概要を理解したユリウスは再び大きく溜息を吐いて、彼の失意に胸を痛める。

 何故か目を逸らせないはずだ。彼の昏い目は、ユリウスの父によく似ていた。

 継片久寿が何を願い、〈方舟遺物アークレガシー〉を望んでいるのかはわからない。恐らくユリウスの『鎌』では力になれない望みなのだろう。


「……彼のもとに、祝福が訪れる事を」


 たった一度邂逅した美しい始祖の姿を瞼の裏に思い返し、何かが違っていたら自分だったかもしれない彼の耳に届かないように、小さく祈った。

 母を解放したいと願ったユリウスの願いが届いたように、彼の願いもどうか。





「何だ? さっきの白いの、どこの家の奴だよ」


「あそこだよ、気狂いの継片。とうとう〈方舟遺物アークレガシー〉を手に入れたらしい」


 その願いが届いたのか、はたまた他者から願われるまでもなかったのか、もしくは時間が解決したのか。

 偶然にも島を訪れていた時に聞こえてきた会話から、『継片が〈方舟遺物アークレガシー〉を授けられた』という朗報を耳にする。

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