分岐 終わりの冬、その後の話

 四章でアルカの正体について明かしたので、特に不明のまま引っ張る必要ないかな、という先取りのような、ノーマルエンドのような、本編とは別の選択をして五章以降何も起こらなかった五〇〇日後の話。






 自分を呼ぶ声が聞こえた気がして、片岡アルカは意識を戻した。

 そして瓦礫の下敷きになって身動きが取れない状態である事にも気付く。


 ……何だこれ。一体何が起きたんだ。

 いや、とりあえずどうでもいい。どうにか呼びかけに応えなければ――と口を開いたら声の代わりに血がごぱーっと溢れた。


 多分瓦礫の一部が喉を突き破ってる。

 抜こうにも手足も重い物に挟まれて、右腕なんて背中の方に曲がってやがった。

 じゃあ左腕は、……じゃあ足は、…………どこからどうすれば抜け出せるのかわからない。


 ああもう、煩わしい!

 面倒くさくなって人の形を解き、とりあえず圧迫からは抜け出した。適当なスペースで人の形に戻してえっさほいさと梁やら瓦やらを退かしつつ、瓦礫の山から顔を出した。


「ぶはーっ! うッわ、ペッペッ! なんか口入ったまっずい!」


 脱出した際に舞い上がった砂と埃を吸い込んでしまい、血の味が残っているような唾液と共に吐き出す。赤くない。口元を拭う右腕も正常に曲がって動く。問題なし。


「あ……っ」


 小さく頼りなく、先程までアルカの名前を呼んでいた菫の、歓喜の息が上がる。

 アルカが声の方向を向く。菫の周辺にも瓦礫の一部が散らばっていたが、大きな怪我をしている様子はない。だが――。


「アルカ、アルカ良かったッ……お願い、昴生くんを病院に……! わ、わたしを庇ったから、頭から血が出て……っ」


「うわ。最悪」


 狼狽する菫の傍らで俯せに倒れている昴生は、真っ白な髪色のせいで頭部から出血しているのがすぐにわかった。

 正直、助けるのに抵抗感はある。

 しかし菫がほぼ無傷でいるのが昴生の功績なら、さすがに放置出来ない。アルカは顔を苦悶に歪ませて深々と溜息を吐いた。


「あぁぁ〜〜、もう……本っ当、こいつ何がしたいんだか全然わかんない。はぁぁ……」


 仕方ない。本当に仕方ないけど、状況が状況だ。

 一旦湧き上がる怒りを収めてアルカは這い出した瓦礫の上から下りる。そして二人の元へ駆け寄る途中で、違和感に気付いた。


 中身がない。空。からっぽだ。


「……は?」


「ちょっ、あああ、アルカ! 怪我人だからもう少し優しく持ち上げてあげて……!」


 昴生の服、首裏を掴んで猫の子のように持ち上げられた光景に菫は慌てた声を上げるが、アルカはそれどころではなかった。

 軽すぎる。

 片岡アルカは人体の重さも、骨壷に収まった軽さも知っている。


『臓物から代用魔力を抽出する方法を覚える余地があるなら、他の有用な魔術を選ぶ』


 だらりと脱力したまま動かない昴生を見ながら、彼のとんでもない発言を思い出して、目の前の大馬鹿が何をしでかしたのか――そして、アルカが何も出来ない事を理解してしまう。

 ふざけるな、と言いたかった。言ったところで虚しくなるだけだとわかって、アルカは怒りを飲み込み、苦々しく事実を告げる。


「……継片、もう死んでる」


「え、」


「病院に行っても、もう、どうにもならない」


 死んでいる、というより生きていられる状態ではなかった。

 骨壷ほどではないが、菫よりも軽くなってしまった昴生の体を丁寧に地面に下ろす。仰向けにしようとした一瞬躊躇ったが、動揺を隠して寝かし直し、体の上に着ていた上着をかけてやった。これで内臓を無くして窪む胴体を誤魔化せる。


 菫の愕然とした表情で昴生から目を離せない様子を、アルカは直視出来ずに目を逸らしてしまう。


「えと、すみ、れ」


「……そっか。うん」


 なんて声をかけるべきか迷って、まごついていると菫のほうが先に口を開いた。口角を上げて、いつもより少しだけぎこちなく笑う。


「……じゃあ、早く避難しないと、だね。アルカは、歩けそう?」


「菫、は……」


「わたしは歩けるよ。大丈夫。このままここにいるのは危ないから、壊れてない建物探しにいこ。そこに人がいると思うし、家が無事なら避難袋取りに行きたいけど……」


 服についた砂埃を払いながら立ち上がった菫は目印になりそうな物を探して、気づけば遠くまで見渡していて、――――。


「どっちに、行けば良いんだろう、ね」


「…………」


 まるで道に迷ったように溢れた言葉。途方に暮れて、不安に満ちているのに、どうにか明るく努めようとする痛ましい声音が乗って、アルカは下唇を噛む。


 大丈夫なわけがない。

 体に大きな怪我はなくても、助けたかった命を取り零した事も、目の前に広がる直前まで街だった瓦礫の荒野にも、泣き叫んで取り乱す権利が菫にはあるはずなのに。

 ……でも、泣かないのだろう。織部菫は、そういう子だ。


「泣いても、いいんだよ」


「――――」


「菫が泣いて、動けなくなっても、私が運ぶから」


 力無く垂れた手のひらを握られて遠くを見ていた菫は振り返り、アルカの顔を見た瞬間、本当に泣いてしまいそうになって瞼を下ろす。

 悲しい、恐ろしい。

 込み上げてくる不安はあるけれど、菫は先程とは違い、今度は自然に口に笑みを浮かべていた。


「……うん、ありがとう。でもね、本当に大丈夫」


「……うそつき」


「本当だよ。一人だったら駄目だったと思う。でも、アルカがいてくれるから、今はそれだけでいいんだよ」


 急にあちこちがめちゃくちゃになってしまって、そこで一人きり取り残されてしまったら、もっと取り乱していただろう。心は騒めいたままだが、それでも前は向ける。

 心配するように名前を呼んで、こうして手を握ってくれる友達がいる。それだけの事が、菫を立たせている。


「……それが嘘じゃなくても、全部が本当じゃないでしょ」


「それはまぁ……そうだね。でも、そんなもんだよ」


 泣き出したい。泣いていられない。

 相反する感情はどちらも本当で、どちらも嘘ではない。


 ただ――選べるのは片方だけだった。


「――行こう、アルカ」


「……継片は、置いて行っていいの?」


「全然、良くないけど……でも、今はどうしたらいいのか、わからない」


 このまま放置するのは悪い事だと思うし、昴生に対して申し訳なさもある。

 けれど、アルカに死体を運ばせる事が良い事とも思えず、ここで火葬の決断をする勇気もなく、弔う気持ちは手を合わせる事が精一杯だ。


「あとで戻って来よう。……付き合ってくれる?」


「うん」


 舞い上がった灰と砂が雪のように降る。

 息が白くなる冬の中、少女達は互いの命を確かめるように手を繋ぎながら歩き出す。

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