閑話 腐った種では芽も出ない
「へっ!? 菫って彼氏がいたの!?」
学校帰りにアルカと帰宅した菫は二人で録画しておいた映画を観ていた。ふとコマーシャルで次々回放送される映画に思い出が刺激されて、菫は「あ」と声を漏らした。
そういえばもうテレビ放送されるほど前か、なんて少し懐かしんでいるとアルカが「どうかしたの?」と聞いてきたので、「去年、観に行こうって誘われて結局観に行けなかった映画だった」と答え、「誰と?」の問いに対する答えにより、アルカの驚愕の悲鳴に繋がる。
「いた、って言っていいのかわからないけど、いたよ」
「えっ、え、誰!? どこの誰!?」
「隣のクラスの子だよ」
名前だけではわからなそうだったので、外見的特徴も伝えてみたがアルカは渋い顔のまま「知らない」と呟いた。
同級生の中で一際目立っていた上に同じクラスの昴生ですら『誰?』といった反応をしていたので、接点もないただの同級生男子の名前も顔も覚えていないのは、当然と言えば当然だ。
まぁ、アルカの前の席で菫が彼と話していた事が一度か二度ほどあるのは、一応黙っておこう。
「……私、そんな話、聞いた事なかったんだけどぉ……?」
「別に隠してたわけじゃなくって、話せる事がないから話さなかったの。何せ二週間で別れたから」
「二週間!?」
「そう、去年の四月に付き合って、ゴールデンウイーク明けにバイバイ」
「はぁっ!? 早すぎない!? 菫はそれで納得したの!?」
「うーん、えーと、納得と、いいますか……」
これを口にしたら、アルカに軽蔑されるだろうか――手元で指を弄りながらほんの少し顔を覗かせた弱気に言葉が詰まる。
でも、アルカなら受け止めてくれるんじゃないか――浮かんだ期待に考えが覆り、勇気を込めて微かに震えた呼吸を吐き出すと、思ったよりすんなりと本音が零れた。
「どうでも、良かったかな」
「どうでもいい!?」
「うん。入学したばっかりで、どういう人かも全然知らなかったし……友達じゃなくて、どうしても付き合いたいって言われて、特に断る理由も無かったから、まぁ、何事も挑戦かなって……」
「そんなクソ理由で付き合ったの!?」
その通りなので菫も頷いた。
告白を受けたのが四月の中旬。クラスメイトの顔と名前が一致し始め、隣のクラスの同級生とも顔見知りの輪を広げていたところだった。一目惚れをしたと言われ、流されるまま交際に了承した。
人並みに付き合えば、恋というものを知れるかもしれない。恋人が出来れば兄が安心するんじゃないか。
そこには恋も好意も敬いもなく、あるのは打算と好奇心。あまりにも無礼な始まりの交際がスタートする、はずだった。
「え……二週間で振ったってことは、すごくやな奴だったの?」
「違うよ、振られたのはわたしの方」
「はああぁ!?」
アルカの声に怒りの色が増す。
どうしても付き合いたいと乞われたと思ったら、ほんの半月で『もう無理』とあっさり心変わりされた。付き合って一ヶ月記念を祝うカップルの気持ちが少しばかり理解出来た貴重な経験だった。
結果だけを話したら聞いている方も意味がわからないし、馬鹿にしているのかと勘繰るのも仕方ない。アルカを宥めつつ、短過ぎる交際期間の原因を明かす。
「いや、振られて当然だよ。デートのお誘い、五回も断っちゃったから」
「ごっ……!」
入学直後の四月。織部菫は忙しかった。
アルバイト四日目で店長の夜逃げが発覚。新しい勤め先を探しながら高校生として勉強し、兄との生活を整え、焦って単発バイトをしたり……ぽっと出来た恋人の優先順位は、申し訳ないほど低かった。
映画や買い物の、金がかかりそうな誘いは給料が確約出来るまでは無理だと断った回数、二回。
菫が空いてる日を提案するも相手の部活や先約と被り、単純に都合が付かずに流れた回数、二回。
唯一ゴールデンウィークに約束してた日はバイト先から人手が足りないと要請を受け、前日に出かける予定をキャンセル。
そうして五月になり、落ち着いてスケジュールを組めそうだと思っていた矢先での別れ話だった。期間の短さや恋人らしい機会も訪れる事なく、名ばかりの彼氏はいなくなった。
正直、『無理』と言われるのも当然の事だ。気持ちも冷めるし、心も折れる。
そう理解出来たので、引き留めるつもりは毛頭なかった。それを薄情だと詰められたのも菫は甘んじて受け入れた。一切の情も湧かなかったのは事実なのだ。
だが、アルカは納得いかなかったらしく吠えた。
「五回? たった五回!? しんっじられんッ、菫と一緒にいたかったなら、部活なんて休めば良いじゃん!」
「いや、休めないものだと思うよ、多分。そう言うなら、普通にバイト優先してドタキャンしたわたしが悪いし」
「それ合わせても五回じゃん! 私、今まで何十回も断られてるし!! 夏休み中百回は断られたし!!」
「百回は盛り過ぎだよ」
小学生のような大袈裟な数字を持ち出して対抗心を剥き出しにするアルカに菫は苦笑する。
百には届かないが、十は余裕で越えていたとは思う。シフトが入ってる、家事を優先させたい、休んでおきたい、似たり寄ったりな理由で何度か断った。
それでも、アルカとの関係は続き、深まっている。
「アルカの場合は、本当に数十分だけとか、家事しながらでもいいって言ってくれたのと、あとお泊まり出来たのが大きいよね。夜の方が時間あったから」
「あ、まぁ……そっか。そいつは家、来なかったんだ?」
「うん。来たがってたけど、さすがにね。もう少し仲良くなってからって、断ってた」
泊まりは難しくても、電話くらいは出来たはずで、それすらもなかったのは――そういう事だろう。
彼が恋人として望んでいる事を何となく察してしまって、家に招く気持ちになれず、部屋が散らかってるから、と杜撰な嘘で誤魔化して断っていた。
アルカは眉間を寄せながら唇を波打たせる。
「その……じゃ、継片は、やっぱ、と、特別だった、とか?」
「え?」
急に話が飛んで意味がわからなかったが、直前に夏休みの話をしていたので夏祭りの翌日の話だと気付く。
確かに、特に接点のなかった同級生男子という点は同じだ。しかし、考えてみると昴生を家に上げるのは抵抗感はなかった。
「ああ、昴生くんの場合はそうかも。特別というか、特殊というか……アルカも一緒だったし」
魔術師の存在や使い魔の襲撃という特殊過ぎる状況だった事と、
あと――浴衣が着崩れているのに気付いてすぐ目を逸らしてくれたのも、安心材料として働いたと、今なら思える。
アルカは「ふ、ふぅん……そっか」と納得したような仕草をしながら、ぎこちない声を吐き出し、顔は苦悶を浮かべていた。
織部菫にとって、継片昴生が特別な存在である。
先日覚えた違和感を拭うためにその肯定を聞いて安心したような、やはり聞きたくなかったような。どちらにせよ気に食わない苛立ちが込み上げてくるのを抑えるので精一杯で、細かなニュアンスの差には気付けない。
「……?」
そのよくわからない反応に、アルカの内心を知らない菫は首を捻る。
しかし彼の話題になると大体いつも似たような表情を浮かべていたので、いつもの事だろうと深く考えなかった。
もっと直接的に、応援したいと思っていた『昴生への恋心』は残っていないのか、と踏み込む余地はあった。
問われれば菫は『何の話?』と異様な反応を露わにし、アルカも異常事態に気付けた。それが出来る経験値が、片岡アルカには足りなかった。
そして、魔術師としての経験も浅かった。
師として教えを乞う少年の一面を推して測るには、人としての見識も狭かった。
あれ? 今日は織部さんとこ行かねぇの?
「あー、言ってなかったっけ。別れた別れた」
もう? 早くね?
「なんかノリ悪くて、思ったんと違った」
ふーん?
「性格だるくないし家事出来るとか女としてポイント高かったんだけど、全然こっち優先しねぇの。すげー惜しいって感じ」
…………。へぇ、未練はないんだ?
「あるある。あの胸は揉んだきゃ良かった。チャンスはあったんだよなぁ〜」
そうか。
「なんかすげー聞いてくるじゃん。お前あーいうの好み? ブラコン許せんならいいんじゃね? あいつすぐお兄ちゃんお兄ちゃん言ってくるから。適当に聞き流して、あとは――」
充分だ。底が知れた。
君から学べる事はもう無さそうだ。
「……は? 何だよその言い方、お前そんな――お前、あれ? お前……え、お前、誰、」
「――――誰と話してるんですか?」
ぽん、と肩を叩かれて男子学生はびくりと顔を上げた。そこにはわかりやすく不満を露わにする後輩女子――交際一ヶ月間近の歳下彼女がいた。
慌てて耳につけたままのイヤホンを外し、「別に、誰とも」と答えながら音楽を止める。
「もう、お昼一緒に食べたいから待っててくださいって言ったのに。何で先に食べちゃうんですか」
「ごめんごめん、腹減ってフライングしてた」
しれっと嘘をつきながら内心冷や汗をかいていた。
確かに音楽を聴きながら彼女を待っていたはずだった。
それなのに、何故か男友達と弁当をつつきながら喋っていたような気がする。自分の彼女が歳下で後輩だと認識しているのに、自意識では自分はまだ入学して間もない一年生だという、不気味な感覚が拭えない。
夢でも見ていたのか。そう思いたくても、実際弁当の中身は覚えがある通りに減っている。
親しく話していたはずの友人が誰だったのか、結局心当たりもない。
――『正しい認識』が一時的に書き換えられていた事すら、認識出来ない。
「あれ? 昴生くん」
屋上に繋がる階段から降りてきたところで呼び止められた昴生は体を強張らせた。
「何で校舎でレインコートなんて、」
菫は不思議そうに見たままを尋ねようとして、その姿の意味を理解すると咄嗟に口を手で覆う。そのままゆっくりと壁に背を預け、何もなかったようにスマートフォンを無意味に操作し始めた。
無視しているようで気分が悪いが、これで正しいはず。
薄目で反応を伺うと、昴生が頷いたので安堵する。今の昴生は人に見られてはいけない状態らしい。
しかし、昼間の校内でこそこそする理由がわからない。少し思案した後、菫は文字を打ち込み、スマートフォンの画面を昴生に見せるように傾けた。
『ご一緒していい?』
「良いわけないだろう」
声色はこそこそ、言葉はばっさりである。
でも、まぁ大丈夫だろう。
学内で危ない事があればアルカが反応するだろうし、あの美術館に侵入してから二週間も経って彼もきちんと回復している。
何をしていたのか気にはなるが、危なくなさそうだし、詮索して邪魔になるのは本望ではない。
菫は「ちぇー」とわかりやすく残念がりながらも、購買で困っているらしいクラスメイトへ忘れ物の配達任務に戻るため、あっさりと引き下がった。
アルカを教室に待たせているので、急いで階段を駆け降りていく。
「…………はぁ」
まるで何も変わっていないように接してくる少女を見送って、昴生は嘆息する。
彼女の好奇心の強さと警戒心の薄さ、異常に対する順応性、行動力と間の悪さ。この短時間でまとめて目の当たりにして、改めて目標のハードルの高さを痛感した。
――あれを制御して、コントロール出来る男、……存在しない気がする。
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