おつかれさま

「じゃあ一晩、安静にしていましょうか」


「えッッ」


 鎌が振り下ろされた、その後の事。

 菫は八重樫によってタクシーに運び込まれ、アルカは同乗し、昴生とはその場で別れ、初めての時間外外来で夜の病院に訪れた。


 そして一通りの診療と検査を受けた結果、薬を吸引した菫の腕には点滴の管が刺され、個室へと通された。

 出血は大した事はなくても痛みがないのが不思議なほど喉が炎症していて、気道が狭まって呼吸困難の恐れがある、らしい。……昴生がかけた〈緩和アジェーヌ〉の効力が切れた後を考えると、少し恐ろしい。


「わたしがこの有り様なのに、昴生くんは病院行かなくて大丈夫だったのかな……?」


「わかんないけど……大丈夫じゃない? やばかったらちゃんと行くでしょ」


 八重樫が呼び止めたタクシーを前に「大丈夫です」と断って一人で駅の方に歩いて行った姿と、去年骨にヒビが入った状態で帰宅し翌日きちんと処置された姿を思い出す。

 心配だけど、それはそうかもしれない。アルカの言葉に説得力を感じて頷いた。

 貸したレインコートを着たまま帰っていったので、後で返却を口実にして症状を聞いておこう。


 静かな個室には菫とアルカの二人きりだ。


 タクシーで移動中に聞いた話によると、八重樫は昨日の通話の後、用事を済ませてすぐ飛行機に飛び乗り帰国にかかった時間は半日以上。その後継片家に向かう途中で昴生から連絡が入り、Uターンして美術館へ向かっていたところで菫を発見した、という聞くだけでハードな行程だった。

 付き添い人が病室に泊まり込むのを病院側も断ったのもあり、明日また来ると約束して八重樫は帰宅していった。

 もう充分助けてもらったから大丈夫だと迎えを断りたかったが、診療代の立て替えると頼もしい提案に甘えさせてもらう結果となった。もう足を向けるなんてとんでもなく、頭すら上げられない。


「アルカも、疲れたんじゃない? まだ電車も走ってるし、うちに帰った方が休めるよ?」


「全然平気。それに、夜は一緒にいるって約束したもん。だからここにいる」


「ん……そっか」


 そう言われると返す言葉もない。

 ナースコールを押さなければ看護師も来ないだろう。巡回で様子を見に来たとしても、アルカは球体になってベッドの下に隠れてやり過ごすらしい。


 こそこそと交わす会話も短く、静かな時間が流れる。

 夜の美術館に侵入して、病院で検査して、一泊入院が決まって、目紛しく色んな事が連続したが、スマートフォンに表示される時刻はまだ日付が変わる前だ。

 眠気が来る時間だというのに、まだ気が昂っているのか菫の目は冴えていた。

 天井を見続けるのも味気なく、ベッド脇に座るアルカに視線を移す。菫とは対照的に彼女は少し落ち着きなく、壁や床や天井に視線を彷徨わせていた。


「どうしたの?」


「夜の病院ってなんか、静かで怖くて……ちょっと嫌な事、思い出す」


「……そっか」


 アルカの養母は病気で、養父は事故で亡くしたと聞いた。

 菫は布団の中から手を出して、アルカの手をちょんとつつく。そのまま手を握ると緩く握り返される。


「アルカとは全然違うけど、その気持ちはちょっとだけわかる」


「そうなの?」


「わたしも親の車で事故した時、お兄ちゃんが迎えに来てくれるまで待合室に一人でいたよ。看護師の人が声かけてくれてた気がするけど、あれ、心細いよね」


「…………ん? ンッえっ!? へっ!?」


 点滴の繋がった手で人差し指を立てて、「しー」と声を抑えるよう促すと、アルカは腑に落ちない顔で口を閉じる。


「……その、事故ってそういう事? ……一緒に、乗ってたの?」


「うん」


「……聞いてない」


「今、初めて言ったからね。誰かに教えるのも、アルカが初めてだよ」


 どこかの誰かが自力で情報収集して名探偵さながら真実を暴いていったのは、菫が自主的に教えたうちに含まれないのでノーカウントである。


 アルカにも両親は事故で亡くしたとだけ伝えていた。

 そこに菫自身が同乗していたと付け加えたのは、本当に初めてだ。思ったよりすんなりと口から出て、ちょっとした驚きだ。

 繋いでいる手が気持ち強く握られる。


「うちの親はちょっとアレな人達だったから、アルカのおじいさん達と一緒にしたら悪い話だけどね」


「……よく、わかんないけど。菫がつらいと思った事を、そういう言い方しないでほしい。私に痛かったでしょって怒ったの、菫じゃん」


「そうくるかぁ。ん……それはそれ、じゃ駄目?」


「駄目」


「そうだよね……うん、気をつけます」


「うん」


 今の菫と先程のアルカでは、自身への蔑ろの度合いに大きな差異があるように思えたが、先程の菫がそれを許せなかったように、今のアルカも許せなかったのだろうと飲み込んだ。


「私も心細かったけど、岡田のおばさん……爺さんの妹さんがいたから、大丈夫だった。菫にも夕昂さんがいて、良かった」


「うん。それは、本当にそう」


「……ん? というか夕昂さんは一緒に乗ってなかったの? 菫と菫のお父さん達だけでおでかけしてたとか?」


「あー……その頃、お兄ちゃんは一人暮らししてたし、家族でお出かけみたいなのもなくて、その時はたまたま……――」


 一瞬、頭の中に人影が過ぎる。


「――迷子を、見つけて」


 白い布の中に隠れるように、小さく縮こまった子供の姿。


「迷子?」


「……そう。わたし、あんまり家にいたくなくて、一人暮らししてるお兄ちゃんの家によく泊まりに行ってたんだ。事故の日もそうで、その途中で迷子の子供を見つけて交番まで連れていったの」


 どんな子供だったか、男の子か女の子かも朧げな記憶だ。小さかったから多分年下で、びっくりするくらい綺麗だと思ったのは覚えてる。

 まるで、天使みたいに綺麗な子だった。


「もう暗くなってたから、わたしが近所の子じゃないから大人の人に迎えに来てもらおうってなって、お兄ちゃんに連絡取れなかったから、お父さん達に迎えに来てもらって……その帰り道で」


「そう、なんだ。……なんかやだな。菫はいい事したのに、そうなっちゃったの」


「あー……事故はお父さんが自分で車突っ込ませたせいだから、運が悪かったとかそういうのじゃないからね」


「は? いや意味わからん頭おかしいの? 何考えてたの菫のお父さん。馬鹿?」


「うん、まぁ……多分おかしかったんだよ。詳しくは知らないけど、お母さんと大きめの喧嘩してたみたいで、こう……八つ当たりで事故になっちゃった、みたいな」


「はぁぁ!? ますますわけわからんだけど!!」


 ヒートアップし始めたアルカを鎮めるため再び人差し指を立てた。

 特に隠す理由が無くなったとはいえ、軽い気持ちで剥き出しに話すのは良くないなと菫は内心反省した。


「……死んじゃった人にこういうのよくないけど、一発殴ってやりたかった」


「……うん。気持ちはしっかり受け取ってるから」


 一発殴るどころか、後で気絶するレベルで思い切り怒り散らかして原型なく潰してるんだよ――と、明かそうか隠し通すべきか悩み、沈黙を選んだ。


 けほっ、と菫の口から咳が漏れる。

 アルカはしまったと言わんばかりに目を見開き、慌てて繋いだままの菫の手を布団の中に戻す。


「ごっごめん、あんまり喋んない方が良かったのに……」


「大丈夫だよ。全然痛くないし、薬が効いて咳も出なくなってたから、わたしもちょっと忘れてた」


「でももう遅いし、菫もなんかつかれてる? みたいだから、ちゃんと寝なさい」


「そう見える? まだ眠くないけど……そうだね。バイト行く前にシャワーは浴びたいし、ちゃんと寝まーす」


「待って、嘘でしょ、今この状態なのにバイト行くつもりなの? 休みなよ!」


「ぐぅー」


「こら!」


 アルカの文句言いたげな唸り声を聞き流し、布団の中でしっかりと手を繋いだまま菫は寝たふりをし続けているうちに本当に眠っていた。

 土曜日の夜が静かに終わっていく。




『ごめんなさい、ゆるして、ごめんなさい……!』


 子供が泣いている。

 静かに、堪えるように、子供らしくない泣き声でずっと謝っていた。


『ゆるして、――をゆるして、』


 大丈夫だよと声をかけても泣き続けている。何にもしてあげられない。しがみついてくれる細い手が、何だかいじらしくて、しっかりと抱き締めた。

 胸が締め付けられるような夢を、見たような気がした。





 翌朝。

 約束通り戻ってきた八重樫に診療、入院代を立て替えてもらい、菫達は早朝の電車で各々の自宅へ帰っていった。

 アルカは最後まで心配していたけれど、きちんと気をつけて安心させていくしかない。さすがに二週間の投薬治療期間、休み続けるわけにもいかないのだ。


「ただいまー……」


 声を抑えながら自宅の玄関扉を開く。日曜日のこの時間帯、兄はまだ寝ている事が多いので帰ってきた部屋が静まっているのは予想通りだった。

 手早く風呂を済ませて朝ごはんの支度をしよう。

 いつもなら炊飯器をセットしてから入るが、レインコートを上から羽織っていたとはいえ火災現場から出た時そのままの服だ。短縮出来たはずの時間を勿体無い気持ちで見送り、浴室に直行した。幸い着替えはリュックの中に入れっぱなしだ。


 何もかも片付いて、後は治療を続けながら日常に戻っていくと当たり前のように考えている菫にはそれに気付く余裕もない。


 服を脱いで露わになった菫の腰に刻まれた眼の刻印が、仄かに発光した。

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