在りもしないもの達

「もうさ鬼倒したんだから悪魔も倒した事にしちゃってよくない?」


「それは、よくないんじゃないかなぁ」


 まだ進級する前、鬼を倒し、菫の足がギプスで固められていた冬の頃。

 菫の自室でのんびりと二人で過ごしていた時、些細な雑談から派生した、何とも意識の低い提案に菫は少し困ったように笑った。


「『鬼と悪魔を倒した』と『鬼を倒したんだから悪魔も倒したようなもんだ』って話なら、絶対前者の方が強そうだし、後者はなんというか……卑怯者みたいに思われそうじゃない?」


「でもさぁ、鬼と悪魔の違いって何? ちょっと見た目が違うだけで、どっちもどっちじゃん?」


「うーん……まぁ、名前でいうとどっちもデーモンで一括りにされちゃってたりするから、言いたい事はわかる」


「あと、人でなしもか」


「それを付けたらただの悪口だね。……人でなしはなんて翻訳されるんだろ、ノンヒューマン、だと安直過ぎるし……あ、モンスターとかあるみたい」


「じゃあ、鬼、悪魔、人でなし! は、デーモンデーモンモンスターって事?」


「子供が考えた『さいきょーの敵』みたいな名前になってる」


 翻訳画面を開いたままのスマートフォンを片手に菫はくすくすと小刻みに震えながら笑い、ゆっくりと呼吸を整えてから脱線した話を戻した。


「見た目……というか見たことないからイメージの話だけど、鬼はわりと人に近いけど、悪魔は人だけじゃなくて、どちらかというと動物とか虫みたいなのもいるから、鬼に比べると外見に多様性がある、とか?」


「あー、人間も猫も哺乳類じゃん、みたいな?」


「あぁ〜そうかも。なんなら脊椎動物かどうかより、もっとざっくりかも。陸上で二足歩行するのは全部人間ってくらい、悪いことするからこの生物は悪魔、こっちも悪魔って大雑把な感じする」


「熊とか猿とかダチョウとかペンギンとかニワトリとかハトとかスズメとか……ん? 鳥多くない?」


「鳥はそもそも二本足だからね。熊はともかく猿は一緒にされても仕方ないかなぁ……」


 ふと菫が「あ」と気付いたように呟いて、人差し指を立てる。


「そういえば一つあったよ。はっきりと違うとこ」


「え、どこ?」


「鬼と悪魔はね、いわば進化後の姿なんだよ」


 進化。

 唐突にゲームのような話を現実に持ち込まれてアルカは面食らうが、菫は「見た目の違いに関係はないかもしれないけど」と付け加える。


「鬼と呼ばれているものの正体は人間だったって説があるの」


「そうなの!?」


「まぁ、魔術師じゃなくて一般的……多分歴史を研究してる人の話だけどね。鬼を討った英雄譚は、実は山賊退治だったんじゃないかとか。でも怨みを抱えた人が死後、鬼になったとか。調べたら色々あったよ。わたし達が実際に会った鬼さんもそうなのかはちょっとわからないけど」


 菫に怪我を負わせた鬼。その事実を聞いた時、既に地獄に帰還を許してしまった。五、六発殴り損ねたアルカはもどかしい怒りに眉間に皺を寄せる。

 当の被害者は気にした様子もなく「直接聞いておけば良かったなぁ」と、命知らずな事を呟いていた。


「それで悪魔は、元は天使だったんだよ」


「天使?」


「そう、神様の使い。神様の言う通りにしてないと悪魔にされちゃうんだって。神様に逆らったり、お酒飲んだとか、……えーと、恋をしたりすると、堕天使クビになるみたい」


「はぁ!? 恋をしただけでぇ!? パワハラだよ!!」


 菫が調べて実際に知ったのは『酒に溺れて淫蕩に耽る』だったが、うまく噛み砕いて説明出来なかった。

 納得いかないとばかりに「人権はないの!? 人権!!」アルカが吠えて、菫は「多分無いねぇ」と肯定した後、理由を繋いだ。



「天使は神様が作ったものだから、そりゃ思い通りに動いてくれなきゃ困っちゃうよ」






 一方的に言うだけ言って、いけすかない奴が友を担いで割れた窓ガラスから脱出した。

 普通の人間であれば五階からの落下は自殺行為そのものだが、はらわたが煮え繰り返るのを堪えて任せたのだ。どうにかしてなければ許せない。


「横にいた子は、燃えてしまったのかしら」


 アルカは窓から、盾で囲われていたアミーへ視線を流す。

 熔け落ちて盾の形が失われると、光の粒子に変わり消えていく。その一粒に炎の触手を伸ばすが当然何も掴めず、残念そうに下ろした。


「この板をもっと出して欲しかったわ。お母さまのナイフと似ていて、とても落ち着くから」


「あー、残るの私じゃなくてあいつでも良かったか……いや、あいつ死んだら次は私だろうし、あんま変わんないか」


 倒せない、張り切るな、さもなければ死。

 昴生の助言は端的過ぎてわかりにくい。張り切って応戦すればそりゃ最悪死ぬだろうが、『君まで殺される』の意味がわからない。

 例え倒せなくても、戦わなければ倒れるのはこちら側じゃないか。


「お前さ、今から名前名乗りあったら満足して帰って来んない?」


「どうして? これからアミーとしてずっと一緒にいるのに。あっ、名前を呼んで欲しいの?」


「あー無理、マジで無理だこれ」


 話が通じない上に気色悪い勘違いまでされて、アルカの心は暴力一択だ。対話解決不可能。叩きのめして黙らせよう。

 ところで、炎って殴れるんだろうか――まぁ、殴ってみればわかるか。


「あ、」


「切れないし、当然――」


 髪の毛一本を矛に変えて、下から斜めに刃を走らせる。

 人体であれば脇腹から胴体を真っ二つにする勢いで斬り込んだが、感触がない。目の前の火も矛の通り道だけ一瞬空洞になるが、炎の裂け目はすぐに元に戻る。

 アルカは動じず、矛を持ち替えて下腹部に当たる部位に矛を押し込む。やはり感触はなく、逆に矛先が燃え落ちて軽くなっていくのを察してすぐに手放し、後ろに飛び退った。


「突けないか……これ、殴っても手が燃えるだけっぽいなぁ」


「すごい! すごい、すごい! あなたもお母さまのナイフを持っているの!? さっきの板より似ているわ!」


「あ? ……ん? そういうこと?」


 アミーの言葉を八割以上聞き流していたアルカは『お母さまのナイフ』が〈方舟遺物アークレガシー〉ではないかと気付く。

 気付いたところで攻撃に有効なわけではないため、どうでもいいかと切り捨てて新たに矛を出す。


「素敵……あなたもアミーになれば、いつでもそれを出せるようになれる?」


「いや――――」


 そういえば、〈方舟遺物アークレガシー〉って何だ?

 燃えるアミーの腕を矛で振り払いながら、アルカはふと浮かんだ疑問に対し、強烈な違和感を覚えて思考を巡らす。


 かつて方舟そのものの一部であったアルカだからこそ、今握っている矛が方舟に関わるものではないとわかる。

 こんなもの解析したところで空飛ぶ舟は作れない。重要なのは可能とするエネルギーで、技術はあくまでそれをコントロールするための装置でしかない。矛なんてどこに使うんだ。船の飾りにしかならない。


「ッ……ごほっ」


 魔術を扱える者であれば両手で粘土を捏ねて成型するような、特別なものではない。だが、魔術師は武具を作り出せない。作れないように制御・・されている。

 その制御が、個人単位で解除されているだけ。特別な技術でも何でもない、近い感覚で言えば許可ライセンス制で――……。


「ゲホゲホッ! げほっ!」


 違う。こんな話、昴生あいつから聞かされていない。

 魔術師として昴生から聞いた話と、一般的な常識と、方舟としての認識がごちゃ混ぜになっている。

 アルカの中で違和感の答えに帰着し言語化に成功する。しかし、意識が分裂する、思考が統一感を失う、自我まで熔けているようで、あまりにも気持ちが悪い――


「っが、ぁ!」


「――すごい! 燃やしても元に戻っちゃう! すごーい!」


 何がすごいだ、見せもんじゃねーぞボケ。

 頭に浮かぶ罵詈雑言は咽せ続けているせいで、言葉として出す余裕がない。


 肉体が壊れ切る前に光の状態に戻り、損壊前の状態で再び人の姿を再構築する。菫との『変身の特訓』が妙な形で生かされた。

 ただこんな、命を使い捨てるような残機的な使い方を菫は望んでいなかっただろう、絶対言わないでおこう。アルカは激痛を堪えながら心に決めた。


 骨が剥き出しになった腕も、高温で蕩けた皮膚も、焼き開かれた肺だって焼かれる前に戻ってるのに、何だって痛みは残ってるんだ。鼻の奥に油の焼けた匂いが残るのも嫌だ。

 窓ガラスに突撃した時は傷一つ付かなかったくせに、どうしてこの火にはあっさりと燃やされるのか。物理は効かないが魔法が弱点の敵か? 未だに自身の特性が把握しきれず、溜息が出た。


「くっそ…………」


 昴生が投げて寄越した防炎加工されていたレインコートは二回ほど火を退けてくれたが、三回目で袖と裾が何とかくっついてる状態にされた。

 矛は何回作り直したか忘れた。茅で拘束しようにもあっという間に燃えた。体も作り直して五回目くらいから数えるの止めた。


 きつい、しんどい。

 だけど、残ったのが自分一人で良かったとアルカは心底思った。

 継片昴生はいけすかない奴だが、こんな殺され方をされたら胸糞悪いくらいには、悪い奴じゃない。織部菫の目に触れてほしくもない。彼女のヒーローとして、劣勢である事もちょっと恥ずかしい。


「……っとに、倒せないやつじゃん」


 一方的にやられているわけじゃない。全身を串刺しにしたり、貫いた矛を膨張させて風穴を開けた時は炎の勢いが弱まり、命が途切れた感触があった。

 しかし、数秒の硬直の後、元に戻ってしまった。

 これでは無駄に壁や床や天井に穴を開け、防火シャッターを倒して階段を塞いだだけだ。


「とってもすごいけれど、このままだとあなたをアミーに出来ないわ。ねぇ、あと何回でアミーになってくれるの?」


「ずっとお断りだっつ、ッの!」


 伸びてくる炎の触手を矛で振り払う。火の粉が頬に当たっても、目じゃないから気にならなくなった。


 このぐにゃぐにゃと芯がないような動く触手が本当に厄介だ。

 触るだけで普通に痛いし、喉に巻き付かれた瞬間は本当に本気で嫌過ぎた。

 しかし痛覚を鈍らせるため『緩和』を使えば、また膝下が無くなってる事に気付くのが遅れるかもしれない。


「このッ腕、気持ち悪いんだよっ!」


「そう? 幻想わたしは好きよ。アンは腕を無くしてしまったから、アミーには無くならない腕を用意してくれたの。あなたもアミーになれば、お母さまの愛がわかるわ」


「だああぁもう! こっちにも水かけてくれないかなぁ!?」


 放水の音も、消防士達らしき騒めきも聞こえるが、火災発生した場所からアルカのいる現在地は離れている。火の元が動くなんて考えるわけもない。

 階段も潰してしまった。窓際とはいえ、下の道路に消防車はなかった。外から見えるくらい火が大きくなれば、割れた窓から放水される可能性はある。


 あと、何分耐えればいい?

 あと何回、体を壊されたら終われる?


「あ、」


 視界の端に触手が見えた。駄目だ、これは避けられない、また焼かれる。


「ッぐ、ぅうう……――――!!」


 灼熱のマフラーが締め上げてくる。頭がちぎれそうな激痛、暴れて悲鳴を上げたいのに、喉は息を通す管の役割を果たさない。

 バチン、と視界が真っ白になった。

 一瞬だけ痛みが遠退いたアルカは、安堵と恐怖が同時に襲ってくる。


 まずい。体が壊れるのはまだいい。何度も戻せる。でもアミーの前で意識が落ちるのはまずい。


 アルカは人の形を解いて炎の隙間をすり抜けた。同時にきつさもしんどさも、人の身から解放されて何も感じなくなる。

 そうしてその度に、片岡アルカではない方舟わたしが問いかけてくる。



 これ以上、無駄に抗う意味はあるのか、と。

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