ヒーローは遅れてやってくる
バイトがあるなら仕方ない。自分に言い聞かせて見送った後、静かな部屋でアルカの寂しさは増していく一方だった。
寂しい、心細い。
膝を抱え込んで少しの間縮こまってみたが、時間は一向に進まず、落ち着かない。
養母が病死した後、色んな事が立て込んで全部が嫌になって部屋に引きこもった。そんなアルカに対し、養父は『何かはしろ』と言い付けてたまに報告までさせてきた。
ちょっと面倒だったものが、体に馴染んで残っていた。それがアルカはちょっとだけ嬉しかった。
報告を聞いてもらえないけれど、言い付けは守れる。
アルカは自身の性能をもう少し理解しようと人の形を解いた。
――エネルギーの塊になると、思考の流れ方の異常を覚える。
人の形であれば迷路の行き止まりに対して引き返す、壁をよじ登る、壊すあたりが可能であるのに対し、出来るのは引き返すのみ。選択肢を提示してもエラーで停止する。――頭、岩で出来てるんか?
思考する、選択肢を増やす行動はエネルギーを使う。だから命令に従って、不能であればエラーで弾く。この身は方舟を動かす動力、それ以外の不要なエネルギーは使わない、非常に合理的だ。
人の身は後付けされた余計な物。エネルギー体からすれば不要そのもので
――いや、そりゃ生きるだけで色々消耗するけどそういうものだし。
…………同じ体のはずなのに、面倒くさい。
永い間ずっと方舟として在った平常が、たった十年ちょっとですっかり異常になってしまった。不思議だ。
二つの自分に入れ替わりながら自身の理解を進める。
相反する思考と優先順位に頭を痛めたが、時間はしっかりと進んでいった。
結論として。
光ってる状態は怪我する箇所もないから実質無敵。
触ったり浮かんだりしているはずだが、感覚すら曖昧だ。視覚も痛覚もない。意識はあるけど体がない、と言うのがしっくりくる。
そのせいか、魔術が全く使えない。矛が全く出せなくなった。人の体に戻れば出せたので、細かい事は気にしない事にした。
それと、エネルギーとして何らかの形で使われる事を目的としていた事まではわかったが、使い潰される事を良しとする感覚がアルカには理解出来なかった。
人としてその感覚が正常なはずだ。それでも、生まれた意義に反する意志である事に小さな不安は覚えた。
……早く菫に胸の内を明かして、安心したい。
そうして時間は過ぎていき――『残業するから家に行くのちょっと遅くなる』とメッセージを受け取り、アルカは絶望し、噴火した。
「許さーん!!」
憤ったところで菫の訪問は早まらない。独り言も虚しく響いて、部屋の隅っこで膝を抱え込んで床に転がった。
仕方ない仕方ない、と言い聞かせつつ寂しさは誤魔化されてくれない。だからただ待つのではなく、迎えに行って待とうと思い付いた。
早速菫が働く洋菓子屋の入ったショッピングモールまで足を運べば、建物内に菫の気配はなかった。
営業時間が過ぎて僅かな灯りだけの出入り口前で、中に残っている数人の気配はアルカの知らないものしかない。
ほんの数時間前まで建物の外から中の人間をサーチする能力など持たなかった事。
人間や魔術師としても説明出来ない性能を当然のように使っている謎。――そのあたり、アルカにとっては重要ではなかった。
「いない!? 自転車もない!」
何よりも重要なのは、織部菫の所在が不明である事。
向かっている最中で別の道を選んで擦れ違ったのだろうか。建物内を探ったように、自宅までの道に魔力を走らせる。
いない。一本の糸のような魔力を風船のように薄く膨らませていく。
いない、いない……いない!
ついには生活圏内全域を薄い魔力の膜で包み込んだ。
寂しがりの怪物を止められる者はいない。
彼女の魔力は広がっていき、二十キロ近く離れたその場所でようやく見つける。探していた菫と、よく知ったいけすかない気配と共にいた。
「なんかいる!?」
うっかり叫ぶと同時に猛烈な眩暈に襲われてアルカはたたらを踏む。魔力と頭を乱暴に使ったせいで首から上が煮えたぎったような熱を発している。
知恵熱、オーバーヒート……どちらが正しいかわからない脳の過熱は、綿毛茸を拘束する時を思い出した。
今、気を抜いたらあの夜同様、気絶する。
困る、それは大いに困る。
……試しに植込みに身を潜めて『リセット』してみた。
「お、目がぐるぐるするの無くなった」
気持ち悪さがさっぱりと消えて、頭の熱もいつものぬるさに戻っている。『リセット』の便利さにアルカは満足しながら縮こめていた体を伸ばす。
さて。
家から離れた場所に菫がいる意味も、嘘をつかれた訳も、何故昴生まで一緒にいる理由もアルカにはわからなかったが、居場所はわかった。
よくわからないけど、迎えに行こう。
アルカは二人のいる目的地まで一直線で駆け出した。
それは比喩でもなく、目の前に立ち塞がる建物を軽々と飛び越えて、障害物を無視し、地図上に定規で線を引くような、まごう事なき最短距離の一直線だ。
屋根を足場にし、屋上に飛び込み、ベランダの柵を大道芸のように渡り、飛距離が足りなければ魔力で呼び込んだ風で背中を押して。
人ならざるものが夜空を跳ねる。
音だけを残して去る少女の姿を見る事が出来たのは、魔力の薄膜が風のように撫でていく感覚を感知した、たった一人だけ。
「わぁお……ゆかりさん、ゆかりさん。僕は今起きてるかな? どうしよう、見たらいけないものを見てしまったよ」
「いつもの事じゃありません?」
「おーぅ、しんらつー。しかし本当に困ったな。寝てたも出掛けてたも通用しないし……幻覚だと思い込んだにしてはこの魔力量はちょっとなぁ。かといって、話を振らないのもあからさま過ぎるかな……」
「ああ冗談ではなく、また、でしたか。もうこちらが見て見ぬふりしている事を気付かれていると思いますよ。ちょっと度が過ぎて聡い子ですから」
「そうだねぇ……しかし『当主』の命令を勝手に明かすわけにもいかないし……あぁーっ仕事中だったらいくらでも誤魔化しようがあったのに、なんだって今日休んじゃったかな!」
「昨日、昴生くんが帰宅するなり倒れたからなので、どうしようもありませんね」
「本当に今日一日不思議で仕方ないんだけど、何で元気な僕が家で休んでて、倒れた昴生が一日中ドタバタ出掛けているんだろうね。本当、本当にさぁ、代わってあげたい」
「昴生くんが私達に頼らないのは、私達がうまくやっている証です。あとは『当主』の帰りを待ちましょう」
「ああ……帰ってこなければいいのに」
「心中お察しします。さ、一緒にどうするか考えてあげますから、しっかりなさって」
男性の丸まった背中をほっそりとした女性の手が撫でる。
静かないつもの夜、無力感を引きずった声色が二人だけの間で風に溶けて消えた。
そんな夫婦の会話が聞こえるわけもなく、
目撃されていた事すら気付かないまま片岡アルカは美術館前に辿り着く。そして見下ろした惨状を知る。
迎えに行く目的が救助に変わり、結果として窓ガラスを蹴り破るに至った。
「うわ、わわ、わーっ!?」
「馬鹿だ……どうしようもない馬鹿だ……」
バン、と強い衝撃音の後、ガシャン、パリンとガラスが粉砕される重い音、軽い音が複数回重なり、破片が盾にぶつかる音も混ざり、僅か三秒ほどで大惨事の音が静まった。
同時に煙で充満しかけていた五階フロアに春の夜風が吹き込み、呼吸がしやすくなった。既に通報されたようで消防車のサイレンも聞こえる。
二人の前の盾が消された。
大きな窓には大きすぎるひび割れた穴が空き、粉々になったガラス片の中で綺麗に着地したアルカは得意げな顔で上体を起こす。
「うっし、ナイス防御! うえっほ! ゲホッ! 思った以上にケムッ!」
「あああアルカ、大丈夫!? えほっ、けが、怪我は!?」
「ちゃんと〈
「ごめん、頭が現実に追いついてないし盾で全然見えなかった」
「あ、――っとに継片は気が利かないな!」
「…………」
ナイスと肯定した直後のこの否定、理不尽である。あまりにも、いつも通りに。
教室の片隅を思い出すような、普通に会話をしている二人の少女に昴生は言葉もない。不覚にも肩の力が抜けてしまった。
「それはさすがに、ゴホッごほごほっ、えほッ」
昴生に対するアルカの理不尽を、またいつものように嗜めようとする菫の言葉は喉の痛みによって遮られる。アルカは眉を顰め、咳き込む菫の傍に駆け寄り手を掴んだ。
「何でここにいるのかとか、何か髪の毛が可愛い色になってるとか、いっぱい聞きたいことあるけど、先に外に出よ」
菫としても、どうやってアルカが突き止めたのか、向かいのビルの屋上から飛び込めたのかわからない事だらけだが、呑気に話せる状況ではない事は同意だ。
わからない事ばかりでも、安心した。目尻に涙を滲ませながら頷く。
「継片、そこから一人で降りれる?」
「可能だ」
「菫は私と一緒に降りよ。掴まって」
「う、」
「――――いた」
窓から脱出しようと三人が動くより早く、怪物が捕捉する。
ゾワ、と鳥肌の立った背中を震わせながら声の方向を向けば、メラメラと炎がゆっくりと近付いている。
菫とアルカを庇うように昴生が前に出るが、怪物はたった一人しか見えていないようで、三人の緊張感など無視し同類に声をかける。
「初めまして、よく似たあなた」
「…………」
「ああ、ようやく会えた……ねぇ、お名前を教えて? あなたの名前を呼びたいわ」
「お前、空気読めないの?」
「わ、素っ気ない。それにお前なんて呼び方、なんだか綺麗じゃないわ」
こんな場所でお前なんかと歓談するつもりなんてない、腹立たしそうに吐き出したアルカの短い拒絶。
それに対する返答は拗ねた幼子のような不満で、アルカはますます嫌悪感を滲ませる。
集団の空気も他者の顔色も読もうとしない怪物は、「そうだ」と場違いな明るい声で話し始めた。
「あなたはお母さまになんて呼ばれていたの?
「どうでもいい、教えるわけない」
「そう?」
アミーと名乗った少女は最初は残念そうに、しかし次の瞬間には嬉しそうに笑みを溢し炎を揺らめかせる。
「ふふふ……そうね。やっぱり
「…………ちょっとこいつの言ってる事、通訳出来る?」
「ゴホッ……燃やして原型を無くせば区別つかなくなる、とかじゃないか」
「あー、はいはいなるほどとってもわかりやすーい……クソが」
昴生の背中を突きつつ問い、惨虐な要約が返ってくるとアルカはげんなりしつつも納得した。
ただ、彼の解釈では絵画の少女――アミーからの殺意を肯定するニュアンスがあり、そこだけは違うと
この怪物に殺意なんてない、あるのは一つになろうとする性質だけ。生物に寄った感覚で言えば、本能に近い。
生まれた時から人間だった確立された個にとって消滅を意味する『合わさって一体化する感覚』を理解するのは、到底無理な話。アルカとて方舟の中身だったからこそ、双方の感性の違いを察せるだけだ。
同時に、己の存在が菫や昴生ではなく、アミーの方に近い事実を痛感して、アルカは嫌悪感を吐き出した。
「お外に行くの?」
じり、と足が後ろに下がっただけで、炎は喜ぶように距離を詰めてくる。
妨害のため盾を囲うように出現させるが、高熱によって早々に形が歪み出す。あまり猶予はない。
ここにいてはまずい。だが、このまま逃げるように脱出すればこの得体の知れないモノは追いかけてくる。
決断しなければならない。
「……継片、菫を連れて外に出られる?」
「――! 可能、だが」
驚愕に目を見開く昴生は肩越しにアルカを一瞥し、その真剣な表情と問いかけの意味を即座に察し、顔を歪ませる。
アルカは溜息を吐く。疲れと、腹立たしさと、覚悟を決めて。
「はぁぁ……しゃーない。あー、ほんとすっごいムカつくけど、任した」
「ゲホッ、は……わかった。〈水の転移〉を上手く使え。君の魔力量なら多少の無茶も利く」
「おっけ、使い方思い出したら使うわ」
「嘘だろう、まさか無策でげほっ! ゴホゴホッ」
「あーあーもう、早く行って。二人とも喉しんどそうなんだから。菫、ほら」
「けほっカフッ……ふ、ぅ……?」
くらくらする。
こんな状況だというのに、ずっと咳が止まらない、咳き込む音で会話が聞き取りにくい、頭がうまく回らない。
酸欠状態である自覚も薄く、もどかしそうに菫は重い頭を動かしてアルカに向き合う。
「継片の手、掴んで」
「ゲホッ、ゲホッ、…………?」
言われるまま持ち上げられた手で、目の前の腕に掴まる。
撥水性のなさそうな普通の柔らかい布の感触と硬く厚みのある男性の腕。
何故昴生の腕を掴む必要があるのだろう。細く見えるけど男の人の腕だなぁ。あれ、袖がレインコートじゃない――菫の脳内に疑問と感想がぐるぐる巡っている中、アルカが「ぶっ!」と不意をつかれたようにくぐもった悲鳴を溢した。
「即席だが防炎を施した。羽織っておけ」
「もうちょいマシな渡し方無かった!?」
「ごほッ、はぁ、君達の文句は後でまとめて、聞く」
アルカは昴生が着ていた黒のレインコートが掛けられていて、一方で菫はまるで胸倉を掴み上げるように昴生にレインコートを引っ張られ、スナップボタンがバチバチッと乱暴に外れる音が連続で響く。
いや本当何が起きてる?
あれよあれよとレインコートを脱がされながら現状をうまく把握出来ず呆けている菫に対し、急に友達が目の前でひん剥かれて「ぎゃああ!」とアルカが代わりに絶叫する。驚く気力もないため少し有難い。
「ンぐ、」
「奥歯で噛め」
昴生のレインコートをアルカに貸したから、菫のレインコートが必要なのか。遅れて理解している間に、口を覆っていた手袋を口内に押し込まれる。
何で。何のために。もう少し意味がわかるまで待つか、説明が欲しい。
そう考えた後で、いつもは待ってくれるし説明もくれている事と、今はそれも出来ない程切迫しているのだと実感して、菫は手袋を噛んだ。文句は、後でまとめて聞いてもらおう。
ぐん、と体が浮かび、昴生の肩に担ぎ上げられる。
夏祭りの時アルカは横抱きしてくれたのに、と荷物扱いを不服に思いつつ……文字通り『お荷物』になっている現状を重く受け止め、しっかりとしがみついた。
「アレは倒せない。張り切るなよ」
「へーへー」
「君まで殺されるからな」
「へっ?」
素っ頓狂な声が先に出たのは菫だったかアルカだったか、定かでないうちに菫の視界がレインコートによって白く覆われ――直後、地面を駆ける音の後、風の中に放り出されたような浮遊感に襲われる。
「ひ、ぅッ――――……!!」
噛み締めた手袋に絶叫は吸い込まれた。
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