進学動機とタブーツール

 本当に大した話ではない。そう前置きして昴生は話し始めた。


「抜け落ちた記憶は五歳から十一歳。その後半に近い九か十歳あたりの頃、気付くと外にいた。視界はゼロ、周囲の音と匂い、コンクリートの感触から自宅ではない事は把握し、何故か一人だった」


「えっ、外で昨日みたいな状態になっちゃったの?」


「いや、今の状態を安定させる術を得たのが十一歳の時だ。外出中に使えなくなったのではない。客観視するなら、全盲の子供が靴も履かずに一人で地面に這いつくばっていた、という状況だ」


「ものすごく事件性を感じる……」


 靴を履かずに歩き回るだけなら、好奇心に負けたり友達との悪ふざけ、紛失したり壊したりといくつか思いつく。

 だが、当時の昴生は目も見えずに一人きり。自宅から担ぎ出されて外に捨てられたのだろうか。今目の前に成長した彼自身がいるとわかっていても身震いする。

 当人は「前後の記憶もないから、その可能性も否定出来ないな」と、乾いた反応だ。もっと過去の自分を慰ってほしい。


「一人でどこにいるのかもわからなかったんでしょ? わたしだったら心細すぎて泣いちゃうよ」


「君はその程度では泣かないだろう」


「昴生くんの中のわたしはどれだけ強い子なの……昴生くんは違うかもしれないけど、さすがに迷子になったら不安で泣くよ」


「……いや、予想に反して多分に漏れず、迷子で泣く子供だった」


「えッ」


 意外! 可愛い!

 咄嗟に口を手で塞いで両方の失言を抑え込む。しかし驚いた声色がやや弾んでしまったせいで、昴生からはジトリと視線を向けられた。

 いつもなら『話の腰を折るな』と叱るためのものだが、今は『妙な深掘りするな』と気まずそうな様子が伺えて、菫は再び飛び出しそうな失言を喉奥に押し込んだ。


「子供が一人で泣いていたから発見されたのは早かった。歳が近そうな女の子が一人で僕を抱き上げて、交番まで運び込んだ」


「おお、その子すごいね?」


 菫の脳裏には一瞬だけアルカが過るが、彼女がこちらに越してきたのは中学の頃だと聞いた。時期が合わない。


「泣きじゃくっているうちに父が迎えに来て、それ以降の記憶はない」


「そっかぁ……」


 十歳。小学五年生はぐんと成長し、個人差が露わになり始める頃だ。今は平均より少し高いくらいで落ち着いてしまったが、当時の菫は学年の中では成長が早く、高身長だった。

 同学年の小柄な子なら運べただろうか。少し考えてみたが、あまり現実的な想像が出来ず、難しそうだなぁと結論付ける。

 そうなると、相手は当時中学生とか少し年上のお姉さんだったのだろうか。


 少ない情報から想像を膨らませていた菫は、彼の恥ずかしい話が思いの外微笑ましい結末だったと、一人でほくほくとして、油断していた。


「……もう一度、」


「ん?」


「その人と会う機会を得るために……高校に、通い始めた」


「…………、……んッ!?」


 とんでもない後付けに目をひん剥いた。

 昴生が「以上」と話を締めようとしたので思わず「いやいやいや」と引き留める。


「えっ……と、急に話が飛んでびっくりしちゃったんだけど、その人の進学先がうちの高校だったの?」


「妙な深掘りをするな」


「しちゃうよ! 子供の頃の話ならそっかーで終わるけど、今の話だったら聞きたくなっちゃうよ!」


 子供の時に迷子になって泣いてしまった。そんな話だと思ったら、それは前置き。彼の高校進学理由が、恥ずかしい話本題だった。

 強めに追求すると、昴生は溜息を吐いた。


「……進学先どころか、名前も知らない。わかったのは歳の近い子供だった事だけ。子供の行動範囲は限られている。僕を見つけた場所は彼女にとって生活圏内だったと、推測は出来た」


「……つまり、昴生くんがうちの高校志望した理由は、『通学路』だった、って事?」


「そうなる」


 とんでもない理由で高校決めたんだなと思うと同時に、菫の志望動機も家から近いという理由だったので、何も言えなくなった。

 女の子の生活圏内を通学路にすれば、確かに再会出来る可能性はある、かもしれない。しかし当時の昴生は目が見えてない。名前もわからない。情報は声くらいだろう。


「……ものすごく難しくない?」


「ほぼ不可能だろう」


「あっ、相手から見つけてもらおうみたいな?」


「漁や釣りであれば有効だろうな。仮に覚えていたとして、あの時親切をした者ですと、わざわざ声をかけてくると思うか?」


「それは……、かなり難しいかも……」


 一ヶ月程度であれば『ちゃんと家に帰れた?』と軽く声をかけられた可能性はあったが、七年近く前。小学生には到底見えなくなった昴生にそんな声かけをするとは思えない。出来事そのものを忘れられても仕方ない。

 菫の予想する当時中学生であれば、今は大学生か社会人になっている年齢だ。七年もあれば、引っ越している可能性すらある。


 それでも、難しいとわかっても、不可能だとしても。もう一度、会う機会を得られるなら。


「でも……会えるといいね」


「……よくそんな言葉を出せるな」


「何で!?」


「相手からすれば、一度親切にしただけの名前も知らない男から七年も身辺を探られているんだ。否定されて然るべきだろう」


「それは……そ、そん、……」


 彼の人柄を知っている菫は否定したかったが、人柄を知っているせいで反論の余地もない正論だった。

 継片昴生はたびたび非常識な態度や行動をするが、常識的な感性が欠けているわけではない。自身の行いを客観的に俯瞰出来る。わかった上で弁解もしないところが、ちょっと理解し難いのだが。


 菫は覚悟を決めた顔で拳を握り、強く答える。


「……そんなの、バレなきゃいいの!」


「ば、」


「言い方次第でいくらでも誤魔化しが効くよ、大丈夫! 君は顔がいいから、『あの時の迷子です。貴女のことをずっと忘れられませんでした』って真面目に迫れば、」


「君は何の話をしているんだ……」


「え? 会えた時に怖がられないためのシチュエーション、かな? 次に繋げるためには第一印象が大事だし」


「次……? 仮に会えたとしても、交流を深めるつもりはないが」


「えっ!?」


 特別で、忘れられない女の子。てっきり彼の淡い恋心の話だと思って――羨ましい気持ちを押し殺して先走ってしまったが、再会をきっかけに関係を繋ぐ目的ではない様子に菫は目を白黒させる。


「じゃあ、何で会おうと思ったの?」


「覚えている限りずっと泣き続けていて、気付いた時には彼女の姿は無く、まともに礼も出来なかった。一言、謝意を伝えたい」


「律儀すぎる……」


「君は一刻も早く一般的な感性を取り戻したほうがいい」


 非常識な自覚のある人から常識のなさを案じられる。ややこしく解せない状況で、でも、と漏れかけた言葉に続く答えが見つからず飲み込む。

 昴生の気持ちは多少過剰なだけで、常識から逸脱していると糾弾されるものだろうか。自身の感性がずれているのか、惚れた弱みによる目の曇りなのか判断つかず、菫の混乱を深めた。


「それとは別にいくつか把握しておきたかった。最低でも人相と名前、可能であれば住居と経歴、親交のあるコミュニティあたりを」


「怖い怖い怖い。それは駄目、アウト、アウトです」


「正常な感性を取り戻せたようで何よりだ」


 あの時のお礼をしたい、それはそれとして名前と顔を覚えたい。酷い落差に菫は寒気を覚えて頭を振る。

 友達から始めましょう、と関係を築けばまだリカバリー出来るのに、冬の風でも纏ったように冷たく乾いた反応の昴生は、そんな気がないのだ。


「仲良くしたいわけじゃないのに、何でそこまで知ろうとしてるの……」


「何らかの利用価値がある情報として認識していたのだろうが、その目的までは引きずり出せなかった。ただ、ろくでもない事なのは推測出来る。欠けたままでいる方がいい」


「そうかもしれないね……」


 失ったものがあるなら、取り戻した方がいい。当たり前に考えていたが何事も例外はあるらしい。変な学びを得たところで、不意に気付く。


 記憶の欠落に気付いたのは夏祭りの翌朝。

 つまり菫が知る継片昴生という少年は、彼の欠けた一面でしかないのだ。


「こっちだ」


 ぼんやりと彼を眺めていると、美術館が間近に迫ったところで真逆の細道に曲がり込んだ。驚きつつ後を追う。


「ぁ、あれっ、えっと、美術館あっちじゃなかったっけ?」


「そうだが、近付く前に準備をする。身を隠しつつ、防犯カメラの死角になる箇所の中で一番美術館に近いのがこっちにある」


「……そ……そっかぁ」


 言われて上を見渡すと、確かに周辺には防犯カメラ起動中と小さなプレートや、道路や店周辺にレンズを向けているカメラを見つけられた。

 彼にはまだ見ぬ今以上の側面があるかもしれない。そう考えると……菫は謎の胸焼けがした。


 一分も歩かないうちに、古びたマンションのエントランスに入り込んだ。ポストの前の電灯が切れていて少し薄暗い。

 マンションの入り口にも防犯カメラが設置されていて指摘すると、一瞥して「ダミーだ」と平然と答えたので、「そっかぁ……」と先程より呼気混じりで菫は考えるのをやめた。菫には何が違うのか全くわからない。怖い。


「レインコートは持ってきたか?」


「うん。今出すね……、とと、あっ」


 リュックからビニール袋を取り出し、中のレインコートを引っ張り出した時、ひらりと小さな二色が地面に落ちた。

 菫が拾うより早く昴生が僅かに驚いた顔でしゃがみ込み、薄紫と黄色の組紐を拾い上げる。


「そうだ、忘れてた。もしかしたら使えないかな、って持ってきたの。こう……モバイルバッテリーみたいな感じに」


「ああ……」


 去年、文化祭前に渡されたものだ。目晦ましのためのお守りとして用意されたが、菫の目に変化をもたらし、昴生が骨折するきっかけを作った小さな輪のキーホルダー。

 処分しようとする昴生と手元に残したかった菫、両社に挟まれたアルカが菫の肩を持ち、同時に彼の大怪我によって、有耶無耶になった。あの後、菫は持ち歩くのをやめて自室で組紐を保管し続けていた。昴生も織部家を訪れるたび処分されず動かされていない事を把握し、慣れてしまう程度には放置していた。

 半年の時間を経て、昴生の手元に戻ってきた。


「前回は返さないと強情だったが、今回は随分とあっさり手放すんだな」


「待って、違うよ!? 燃やさないでね!? 返すのは中身だけで、組紐は貸すだけだよ! というか、一回込めちゃった力を元に戻したりするの、無理だった?」


「いや、助かる」


 組紐に残されていた魔力は今の昴生にとって少なくない量だ。いくらでも使いようがある。


「ほんと?」


 答えを聞いた菫の顔がぱっと明るくなり、「良かった」と笑う。心底嬉しそうに笑う。


 ……前回、自分の身に悪影響を与えると伝えても全力で抵抗したというのに。今回、役立つならと躊躇なく差し出す。

 貸すだけだと言っている本人はその差に気付いてなさそうで、昴生は組紐を握り込み、細く息を吐く。


「レインコートを貸してくれ」


「あ、はい、どうぞ。何に使うの? 今日は雨、降らなそうだけど」


「着ればわかる」


 手渡したレインコートは軽く撫でられた後すぐ菫に戻された。言われている事はさっぱりわからないが、とりあえずリュックを地面に下ろしてレインコートに袖を通した。前ボタンも留めてフードまで被りきっちりと着込んだが、やはり何もわからない。

 説明を求めようと顔をあげると、昴生はスマートフォンを菫に向けて掲げていた。


 液晶に映っているのはカメラ画面で、人ひとりいないマンションのエントランスにぽつりと一つリュックが置かれている様子が映っている。


「…………ん?」


「今、インカメラの状態になっている。君自身は映っているか?」


「え? ……えっ、え、ええっ!?」


 言われている意味がわからず、菫はスマートフォンの画面を覗き込む。カメラの画面だ。恐る恐るカメラの切り替えのアイコンを押せば背面カメラに切り替わり、画面には昴生の顔が映る。人差し指を口元に当てて声量を抑えるよう促され、菫は困惑を押し込み唇を結んで頷いた。

 もう一度アイコンを押す。本来であれば画面の正面にいる菫の顔が映るはずが、切り替わったカメラが映しているのは人の気配のないエントランスだけ。


「わ、わたし、映ってないよ……!?」


「以前教えただろう、一般人に見えない。写真や動画にも映らない。では、本来見えている者が見えないもので覆われた場合どうなるか、考えた事は?」


「か、考えた事ないです……はだかの王様みたいに、見えない服を着ている、みたいになるんじゃ……?」


「目の前の画面が答えだ。カメラで確認した限り、全身を八割以上覆っている状態であれば、このように認識される」


 とんでもない話を聞かされている。菫の口は忙しなく開閉し、耳を塞いで聞かなかった事にしたい衝動に駆られた。


「と、透明人間に、なれるの?」


「見えなくなるだけで、実際に透けるわけではない。効果も一時間程度だ」


「……これは、めちゃくちゃ上級者向け技術?」


「もし君の手元にペンキとハケがあれば、壁の色を変えられるくらいの技術だ」


 魔力と、魔力の使い方を知っていれば、その辺で買えるレインコートが不可視の魔術道具になってしまうらしい。恐らく、もたらす効果が大きい反面、とてつもなく手軽に。

 そういえば綿毛茸の時もどうやって知ったのかわからない情報を持ってきていたなぁと、寒気を覚えつつ思い出してしまった。


「……魔術師、怖い」


「遅過ぎるくらいだが、理解を深めたのは良い事だ。意識が変われば行動も変わる。君の危うさの改善に繋げてくれ」


 ……魔術師は怖い。

 だけど、目の前にいる魔術師の少年は、一緒にいる事で恐怖が霞むくらい、心強い存在に変わりはなかった。……きっとまた呆れられるだろうから、菫は黙っておく事にした。

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