知りたい/わからない

 去年の夏祭り。

 八重樫が逃がしてしまった使い魔に襲撃され、アルカが〈方舟遺物アークレガシー〉を手に入れたあの夜の、翌日。初めて昴生を家に招き入れて、魔術について様々な事情を聞いた、あの日?


 あの夜公園で別れて、翌日公園で再度集まるまでに彼は記憶をごっそり抜かれていたという。時間をかけて事実を受け入れた菫は血の気が引く。


「聞い、てない……」


「言う必要がない」


「そうだけど、そうだけど……! 都合が悪くなったとか言ってくれたら、別の日にしたのに……!」


「どう考えても、僕の記憶の有無より、君達自身が置かれた状況の把握と必要な知識の収集、織部の目について不可解な事態の解明のほうが先決だろう」


「わたし達のせいで後回しにされてる!!」


 至極当然のように優先順位を主張する昴生に、菫は悲鳴を上げたくなった。

 確かにあの夜も、翌日もよくわからない事だらけで混乱していた。彼がきちんと約束の時間に訪れて、道を示してくれた事を感謝している。

 だからこそ、あれは彼自身を蔑ろにされた上での安堵だったと知り、しかしどうすることも出来なかったと無力さを際立たせるだけで、そして、今も、現在進行形で続いていると気付かされ罪悪感に苛まれる。


「……何か勘違いしていないか? 忘れたのは視力や髪の色の変化の原因だけだ。視力に関しては五歳の時点で既に失っている。十一歳から夏祭りの日までは、今と同じ状態を維持していた。原因がわかったところで治るものでもない」


 過剰な反応と引き攣った菫の表情に昴生は釈然としない様子で改めて、なんでもないことのように隠し事を語る。

 瞬間――ああ、と菫はその本質を察する。

 菫がしていた隠し事と、彼の隠し事は全くの別物だ。明かされたくないものではない。真夏に厚手のセーターを着ないように、不要だったから押し込んでいたものを急に必要になって引っ張り出すような、作業に近い。


「そんなことより、君達と会った翌日、もしくは当日に記憶が欠落している事。それが第三者による意図的な行為だった場合の想定を考えるべきだろう。君は当然不可能で、片岡にも出来るわけがない。君の予測だと当主――僕の兄にあたる人物が容疑者だが、仮に君達の存在が動機として含まれていた場合、消すべき箇所がおかしい。君達が目的だったなら、夏祭りの夜の出来事を消すべきだった。一年近く経っても監視、接触されていない。だから夏祭り後というタイミングと、記憶が欠落した要因は偶発的に重なっただけだと、」


 少なくとも菫にとっては、そんなこと、ではないのだけれど。


「……うん。思ったより最近だったことにびっくりしたけど、わたし達とは関係ない事だって思ったから、今まで教えなかったって事、よくわかった」


「それにしては歯に物が挟まったような反応だな。何か懸念点が?」


「懸念点って言うか……」


 渦巻く感情をどう表現すればいいのか。どう伝えれば彼は理解してくれるのか。そもそも、彼は彼なりに菫達に配慮した善意の結果だとわかった上で、こんな身勝手な気持ちを理解してもらう必要があるのか。

 混ざり過ぎて真っ白になる。ごちゃごちゃと考えすぎてしまう頭の中が、シンプルにまとまる。


「もっと、――君を、知りたいと思った」


「――、」


 どうしたら彼を、大切に出来るのか。菫にはわからなかった。


 それを見つけたかった。

 彼自身がその方法を見つけようとしないなら、代わりに見つけたいと、強く思った。

 そんな衝動を持つなんて、烏滸がましいなと、笑えた。


「……どう飛躍したらそんな発想になる」


「どうして、だろうね?」


 理解不能とばかりに困惑を浮かべる昴生の反応に、菫は笑顔ですっとぼけた。

 思いをそのまま言葉に出来る自信もなかったし、――伝える権利もないと、わかっているから。


 話している間に、時間制限である家はすぐそこまで迫っていた。話を締められる前にもう一つ、言っておかなければいけない事があった。


「そうだ。わたし、バイトが十九しち時までだから、美術館に行くの二十はち時くらいでもいいかな」


「…………、は?」


「今晩ってことはお客さんがいなくなった閉館後が狙いだよね? んー……ほら、あの美術館の開館時間十八時までだから、二時間後なら後片付けとかで従業員の人もほとんど残ってないと思う。あとは、何か持って行った方がいい物とかあれば準備するけど、何かある?」


「待て。まさか、ついてくるつもりか? 片岡の家に泊まると約束していただろう」


 スマートフォンで美術館の開館時間を確認した後、持ち物をリストアップしようとメモ帳のアプリを立ち上げている菫の態度は、既に同行する事を確定事項にしている。

 狼狽を滲ませる昴生に、菫は迷いなく笑顔で応える。


「アルカにはちょっと残業で遅くなるって連絡入れておく。君が無茶してぶっ倒れたりハプニングが起きなければ、わたしは何事もなくアルカのとこに帰れる。でしょ?」


「そもそも、君が行く意味がないだろう」


「なら、昨日みたいに倒れて動けなくなったら、どう帰るつもりだったか教えて? ちゃんと納得したら、行く意味無くなるから」


 答えは、沈黙。


 なんとなくそうじゃないかと予測したとはいえ、早くも怒りを通り越して呆れが溜息として出てしまった。

 どうしてああしないこうしないと怒るより、こういう人だと諦めて出来る手段を選ぶ方が良さそうだ。……とはいえ、怒らないわけではないのだが。


「……うん。昴生くんがご家族に何でも頼れる、って気持ちになれないのは何となくわかったし、八重樫さんは海外にいる。アルカは関わらせないってなったら、もう一人で行くしかないもんね?」


 身内はどこまで信用出来るか測れない。彼が唯一と告げた信頼出来る人は海の向こう。弟子はこの度戦力外。

 単騎出撃、敵は魔術師を無力化させる厄介な特性持ち。しかも昴生は全快しておらず、無力化されたら行動不能になるオマケも付いてる。ゲームだったら負けイベントだと思うくらい理不尽な状況だ。


 それなのに、彼は一人で行こうとしている。その理由も、菫にはちょっとだけわかる。

 頑張れば、ちょっと無理するのが自分だけなら、それで望んだ結果が得られるなら。そうして勝てる見込みがあるのなら、菫だったら痩せ我慢する。そうするのが最適だ。


「君の事情をわかってて、もしもの保険として救護経験あり。戦力になれないけど、そのおかげで君やアルカと違って、おばけ絵画の眼中にない。わたしはお供として都合の良いと思うな?」


「来館者達の生命力に関する話は忘れたのか?」


「わたしより元気そうなシャキシャキのおばさまがウキウキ四回目に行ったんだよ? わたしは二回目だし、ちょっと減るくらい大丈夫」


「例え少量だとしても、君が無意味に命を削りに行く理由なんてないだろう」


 今現在、色んなものをごっそり削られているというのに、そんな事を言うのか。それとも、自分がそうだから、自分のようにならないで欲しいから、言うのか。

 なんだかなぁ……もう。

 菫はやっぱりよくわからない彼に溜息を重ねる。


「……あのね、残量一割未満で動けなくなる人、普通に放っておけないよ。昴生くんの場合、ちょっと普通じゃないから気付ける人が限られてるだけで。試しにアルカに教えてみる? すっごく嫌そうな顔するだろうけど、助けに来てくれるよ」


「絶対にやめてくれ」


 試すまでもなく想像が出来たらしい。骨折した腕を吊った時を思い出せるような、同じ顔をしていた。小さく笑みを溢す。


「お供させてくれるなら黙ってるよ」


「…………絵画に近寄らず、見張りだけであれば、了承する」


「見張りって……せめて見守りとかがいいな」


 警戒しているわけでも、信用出来ないわけでもなく、ただ心配なだけ。

 些細な違いだが、ずれた勘違いされるのは嫌で訂正を求めると、昴生の表情の戸惑いが深まる。


「織部は僕に何をされたのか忘れたのか?」


「いや、さすがに忘れてはないけど……」


 軽蔑されても仕方ない事だと常識はあり、それでも必要だったから実行した。誰の為に必要だったのか、双方理解しているにも関わらず免罪符にしないのはあまりにも潔い。

 彼自身は軽蔑されて然るべき、と考えて……むしろ、当たり前の前提から外れた反応されて困惑している。

 もし菫ではなくアルカだったら、彼女は容赦なく侮蔑し嫌悪感を露わにしただろう。その方が彼にとっても当たり前で、予定調和という面で安心感を持てたと想像出来た。


 知らない間に本人すら預かり知らぬ個人情報を詳らかにされて『忘れちゃった!』と言えるほど菫は呑気になれない。表面上取り繕うのは得意だが、本心とはまた別だ。

 そう、本来なれないのだ。

 でも彼に対しては、まぁいいか、というのが本音でもある。


「色々と……思う事はあるけど、結果から考えたら順番が入れ替わっただけだから、された事自体は別にいいかなって」


「順番?」


「信頼してる友達に、自分を知ってもらうのはそんなに変な事じゃないでしょ?」


 ただ、菫は自分から明かすつもりは一ミリもなかったので、どれほど誰かと親密になろうとも、永遠に順番が訪れる事はないはずだった。

 とはいえ、情緒のない昴生の力技が正規の順番だと考えるのも嫌なので、ショートカットの裏技扱いとしておくことにした。


「まぁ、今すぐ忘れてほしい恥ずかしい事も知られてそうだから、とっても複雑ではあるんだけど……」


「今すぐは無理だ。そちらにリソースを割く余裕がない。明後日まで猶予をもらえれば、」


「ああぁぁ……! いい、しなくていいの、忘れないで! いや、ポロッと忘れてくれたほうがいいんだけど……だいぶニュアンスが違うの!」


 求めているのは一刻も早い自然消滅――皮膚の新陳代謝や怪我が完治してかさぶたが取れるようなものであって、容赦ない切除からの焼却処理ではない。

 それに、ろくでもない情報だったとしても……彼が今以上に削ぎ落とされるのは、嫌だ。


「どちらにせよ、今は余力がない。準備に明後日まではかかる。結論もまたその時に出し直せばいい」


「別に迷ってるわけじゃなくて……」


 結論は記憶を消さない事一択だが、昴生は当然のように消す選択肢を残している。

 知られたくない事を知られたから忘れてもらう、それが出来る魔術師だからこその考え方だろう。一般人の菫にはちょっと受け入れがたい感性だ。

 なら、一般人としてどうするのが最善だろう。


「そう、だなぁ……じゃあ、昴生くんが恥ずかしいと思った事、教えて?」


「は?」


「うん、それで帳消しにする。むしろそれ以外、忘れたりとかするのは駄目。そうしよう、うん」


 記憶が損なわれる事なく、彼の行いに対する相応の応酬として悪くない落とし所を見つけられたのではないか。菫は納得しているが、昴生はまるで理解出来ない様子で口を開いたままだ。

 何せ昴生は知った事を忘れても、暴かれた菫の恥ずかしさは消えない。頼めば消してくれるだろうが、恋心に結びついた感情を消されたら引きずられて丸ごと無くなりそうで、矛盾だと理解しつつ消したくない。


 無かったことに出来ないなら、対等になればいい。

 彼も恥ずかしい思いをすればいい!


 心の準備に時間と精神力を使うが、魔力は使わない。とてもエコロジーかつ平和的解決。そして、彼が損なわれず、彼を知る事が出来る。ちょっと自分に得が傾き過ぎている気がしたが、目を瞑った。


 ……しかし、果たして存在しているのだろうか。

 継片昴生がちょっと人に話せないような恥ずかしいと思う話。


 駄目だ、字面だけで無い予感がしてきた。ついさっきまで己の発案を自画自賛していたのに早々に躓いてしまった。軌道修正出来ないかと菫がうんうん唸っている中、同じように思考して黙っていた昴生が口を開く。


「朧げな内容で、よければ」


「あるの!?」


 驚愕した菫に昴生は「あると思ったから要求したんだろう……」と呆れ、「どちらかと言うと、あったらいいなくらいで……」と口籠る。


「えぇ……? 本当に、聞いていいの?」


「それ以外を禁じたのも君だろう。……いや、こちらとしてもこんな話で、本当に償いとして成立するのか、よくわかってないが……」


 何だかとっても歯切れが悪い!

 本当にいいのかなぁ、なんか悪いなぁ、でも恥ずかしいのは本当だしなぁ、と気持ちは揺らいでいた。しかし視線を逸らし声色のトーンが下がり、居心地悪そうな彼の態度を目の当たりにした瞬間、好奇心という重りによって良心が負けた。


「あ」


「……あ」


 期待の込もった眼差しを受けて渋々口を開いた昴生の発した音は気付きだった。少しだけ周りが見えなくなっていた菫も気付く。

 家の前に着いていた。


「う、ここまでか……」


「……君の価値観はよくわからないが、この話に価値を見出しているのは理解した。先送りにするが、別の機会に話す。ああ……時間があれば今晩にでも、」


「本当? じゃあ、」


 菫もこれから家事とアルバイトがあり、昴生も今晩の準備があるだろう。先送りにされてしまったが、ほんの数時間だ。やることはたくさんある、少しだけ待てば、……、…………。


 ……そうか。

 昴生が心配だから見守るとかお供するとか、ロマンチックの欠片もない話になっていたから気付かなかった。


 ああ、そうか、と菫は今更気付いた。

 夜に会う時間を約束して――このあと、彼と二人きりで会うのか。


「――じゃあまた、夜に! あっ、なんか必要なものあったら連絡してね!」


 その事実を前に、菫は一刻も早い撤退を余儀なくされた。この場にいたら顔から火を噴いて全身汗で水浸しになりそうな胸騒ぎがしたのだ。ザワザワどころかドンドコ大騒ぎでこのままでは息すら出来なくなる。

 周囲を気にする余裕など当然無い。だから見逃した。


「…………」


 大急ぎで帰宅する少女の姿が見えなくなると、昴生は長く息を吐く。

 織部菫の事は、理解している。彼女が大切にしているもの、それ故の無鉄砲さ、人格形成に影響を与えた家庭環境、衝突と摩耗を望まない穏やかさと、ごく僅かな譲れないものへの頑固さと強かさ。

 一人の少女の歩んだ道。そのおおよそのルートを把握しているのは、夕昂を除けば自分だけではないかと、暴き出した罪の自覚はある。


 だから、わかっているつもりだった。

 何を考え、どう思考するのか、どこからが余計な情報となるのか。


 自らの過去を明らかにされた織部菫が、次に取る行動予測もしていた。

 しょうがないかと取り返しのつかない些事として受け流されるか、鎮まらない怒りと嫌悪を笑顔の奥に隠して表面上の友好関係を続けるか。

 結果は、どちらでもなく。


 長く息を吐いた分、ゆっくりと吸い込む。

 深く深く、落ち着かせるための呼吸を繰り返し、昴生は自らの胸を手で抑える。


「…………本当に、何を考えているんだ……」


 あんな風に、親しみを蕩かせた眼差しを向けられる心当たりなんて、無い。

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