遮断されたその先を

「それで、その心当たりとは?」


 今までになく意固地になっている菫の態度に、解せない昴生は『何故?』と疑問をひとまず引っ込めて話を促す。

 すると直前まであせあせと動揺を隠そうとへんてこな笑顔は潜め、真剣な表情で人差し指を立てた。


「ひとつめ、その人は君に忘れてもらいたい事があった。ふたつめ、その上で君が生きてないと駄目だった。みっつめ、その人は一般人ではない。よっつめ、その人は君よりも強い」


 順番に小指まで立てながら「あってる?」と問われ、改めて羅列された条件の厳しさを実感しつつ昴生は首肯する。


 大前提として魔術師である事、昴生の盾の防衛を抜ける強者である事。

 この二点に当てはまる人物は、『矛』を持つアルカか、『艦』を持つルル、この二人くらいしか心当たりがなかった。アルカはともかく、ルルは面倒くさがって殺す方を選ぶ。

 ただでさえ絞られた条件の中で、その人物は昴生へ害意を向けない事情を持つという。生かす理由が利用目的であればまだ理解出来るが、そのための接触すら避けているなら意味がない。


 だからこそ、そんな人間は存在しない。そう結論づけた昴生とは逆に、菫は理解を深めたように頷く。


「その人がどんな人かは全然知らないけど、うん。多分当てはまってると思う。一人……多分一人かな? いるよ」


「……誰だ?」


「君のお家の、ご当主さん」


 緩やかに告げられた回答は死角から殴り込まれたような衝撃があり、昴生は目を見開いて立ち止まった。

 菫は一歩前に進んだところで足を止め振り返る。


「昴生くんちの人だから、一般人じゃない。ご家族の人が敬ってる人だったら、きっとそっち方面で強い、んじゃないかな?」


「……その可能性はある」


 四本指の小指と薬指をもう片方の手で指し示しながら、条件のみっつめとよっつめの役割をしていた二本が下ろされる。


「忘れてもらいたい理由はわからないけど、生きてないと駄目だった理由はわかる。その人は家族である昴生くんに生きていて欲しかった。どうかな?」


「……それは、」


「あと一番大きいのは、昴生くんが何でか当主がどんな人かわからない事だね」


「…………」


 菫は継片家の奇妙な家庭事情を聞いた時、魔術師の家系ゆえの不可解さなのだと、理解出来ない事として受け止めた。

 だが当主が誰なのか『わからない』ではなく、『忘れさせられた』なら印象が変わる。

 立てたままの二本の指も元に戻し、緩く握った拳を口元に当てる。


「えと……ご当主さんの話になったのって、地獄荒らしの事をご家族に聞いたからだったでしょ? それって、昴生くんが忘れてる間にあった事だったんじゃないかな、とか思ったり……」


「……」


「いや、君がなんか悪い事したとか疑ってるわけじゃないんだよ? 五歳から十一歳なんて子供だったんだし。ただ、その、あの鬼さんひとも嘘ついてる感じしなかったから、もし昴生くんの記憶の無くなってる部分が関係してるなら、どっちも嘘ついてなかったって話になるでしょ?」


「…………」


「あとは……当主さんが昴生くんにとって誰なのか、とか……ご家族以外の親族になりそうな人、多分わたし達より年上の人、やっぱり大人かな。……おばあさんか、ご両親に兄弟がいれば、おじさんとおばさんとか、いとこ……あ、昴生くんに上の兄弟がいたって可能性もあるかも」


「織部」


 呼びかけに反応して菫の口は止まった。すると、大した自信もないくせにぺらぺらと饒舌だった数秒前の自分を自覚して、少し顔が熱くなる。……どこから軌道が逸れたのか気付かないまま暴走してしまった。やらかした。恥ずかしい。


「ご、ごめん、途中から勝手な想像というか、もう全然証拠とか証明も出来ない妄想になってて、」


「そうではなく……」


 自己嫌悪で背中を丸める菫を見て、昴生は溜息を吐く。


「……すまない、白状する」


「……何を?」


「途中から君が何を話しているのか、全く読み取れなかった」


 言われている意味がわからず、菫は顔を上げても首を傾げるしか出来ない。

 周囲は人もおらず、たまに自転車と車が通り過ぎるくらいで、声を遮るような騒音もない。距離も問題なく会話の出来る範囲はずで……と考えたところで、昴生の言葉を反芻する。


「読み取れなかった? 聞こえなかった、じゃなくて?」


「正確には両方だ。聞こえなかったから読話で読み取ろうとしたが、口元が隠れているせいでわからなかった」


「どくわ?」


「読唇術のほうが馴染み深いか?」


「あ、それなら……」


 口パクでこっそり意思疎通する。どこかで見た物語のワンシーンが頭に浮かんで納得し、瞬時に驚愕する。

 その手のシーンは、第三者に会話が漏れないためにしている。当然声は出さない、声を必要としないもので……今、普通に話している場面で使うのは不自然だ。


「まさか、目だけじゃなく、耳も……!?」


「いや、聴力に問題はない。ただ、聞き取れない範囲がある。恐らく、欠落した記憶に関わる情報を遮断されている。思い出せないのもそこが原因だろう」


「もっとめちゃくちゃな理由だった!」


 ごっそり記憶がないどころか、記憶に繋がる情報まで遮断。どう考えても彼が思い出さないために人為的な謀りが伺える。

 それなのに隠していた。

 彼の主張する『記憶がない理由に意味はない』を通せなくなるから! また! またである! 菫は憤慨した。……しかし、ここは一度抑えた。


「……君のお家の当主は、おばあさんか、おじさんかおばさん。聞こえた?」


「聞こえる。祖母は既に故人で、父に兄弟はいない。……僕が把握している限りだが」


「なら、いとこもいない、かな。あとは、お兄さんかお姉さんがいたのかも、って」


 昴生は僅かに目を細める。見逃しがないように注視する、そんな視線を受けて『読もうとしている』と実感する。

 つまり、聞こえなかった。記憶に繋がる情報だったから、遮断された。


「……わたしに『お兄ちゃん』がいるように、君にも『■■■■■』がいる」


「――――……」


 菫が試すために告げた言葉は、やはり雑音として処理される。

 だが、音として認識できなくても、唇を読まなくても、伝えようとした意味は届いて、昴生は小さく息を飲む。


「聞こえた? 同じ言葉を使っているのに片方だけ聞こえなかったなら、疑ってもいいと思う。昴生くんにもお兄さんがいるんだよ。思い出せなくなってるだけで」


 動揺と困惑で微かに揺れる魔術に染められた漆黒の瞳に、凡庸な焦茶色の少女の眼差しが真っ直ぐ向けられているのが映る。

 眉を顰めて昴生は沈黙する。

 菫の主張を、これまで考えた事がなかったわけではない。自力で情報を集め、記憶を失った時期などの状況を含め統合的に見た結果、あまりにも痕跡がなかったのだ。そうして妹以外の兄弟の存在がない事を結論付けていた。

 ……それが、今のように明確に認識阻害を受けていた可能性を示されると、正確な判断だったのか疑わしい。


「いや、……――あぁ、だが、戸籍がないだけでは存在自体を否定、しきれないか。僕自身が無戸籍だった事例がある」


「えっ、そうだったの?」


「以前話したが、一般的に僕は婚外子に当たる。当時の事情まで把握していないが、出生届を出されなかったのは事実だ。今は戸籍を得ているが……本来は母の戸籍に置くはずが、継片の戸籍に入っている点や、数年かけて面倒な手続きを経たのは知っている」


「ど、ドロドロだ……」


 菫自身はごく一般的な家庭だったかと問われると首を傾げたくなるが、昴生は別のベクトルで家庭が複雑すぎる。


「それで、どう、かな? 君にはお兄さんがいて、お兄さんは当主で、昴生くんがわからない色々な事を知っている、と」


「……そうだな。一考の余地はある」


 答えを聞いた菫はぱっと表情を明るくする。『兄はいない』という彼の自己認識を『いるかもしれない』に変えられたのを感じて、達成感を噛み締めた。

 まだ証明する方法は何もないけれど、何もなければ彼が今の状態になるはずがないのだ。これがスタート地点に立てたのかすらわからない、暗中模索な結論に変わりはない。それでも彼が、失われた彼自身を取り戻す手助けを出来たような気がした。


 直前まで彼に対して抱いた怒りがやや落ち着くと、聞こえない不自由さを抱えた昴生が平然と菫と変わらない日常を過ごしていた事実に驚嘆する。

 明かされた後でようやく彼が沈黙する瞬間に違和感を持てる程度で、問題なく会話が続いていた。例え魔術が使えたとしても、彼のように生活出来る気がしない。


「それにしても……今までもそうやって、耳で聞いた事と目で読み取った事、頭の中で整理してたんだよね? すごいな……わたしには無理そう」


「いや、全て読み取れるわけではない。母音の並びと状況に当てはまる単語に心当たりが無ければわからないままだ」


 昴生の指が自身の口元を示す。


「それでもおおよその話の流れがわかれば、…………イイオイが出来なくても、前後の内容から予測し、最悪…………イイアアイすれば会話は成立する」


 自然と口の動きを注視していた菫は、彼の無音の四音と五音を読み取る。わざとゆっくり大きく動かしたのは、わかりやすく配慮されたのだろう。

 目で読み取った音と、耳に入ってきた声。それらを合わせようと頭を回転させる。本気で真剣に挑む菫の表情は厳めしく、数秒の沈黙の後、問うように答える。


「……聞き取り・・・・出来なくても、聞きっぱなし・・・・・すれば良い?」


「聞き流し」


「うっ、惜しかった……!」


「だが、君の読み取りでも内容に破綻はないだろう? 多少の誤差も聞き間違いだと流される。方法と要点の理解、あとは回数を重ねた上での慣れだ」


 やってみたら大した事ではなかっただろう、と言いたげな昴生の態度は、『無理そう』と感想を溢した菫に対しての答えなのだろう。

 本気で立ち向かった結果に修練の差を見せつけられた気がして悔しさを噛み締める。……よく彼に対して歯軋りしているアルカの気持ちが、今の菫にはよくわかる。


「君と片岡か家族しか対話相手がいない僕では、校外にもコミュニティを広げている君の難儀さの比較対象にならないだろうが」


「んぐ、」


 友達ではないけど――よく話す相手、と意識はしてくれているのか。

 悔しさがまだ尾を引いているのに、胸がくすぐったくなる。嬉しいのか、腹立たしいのか、善悪問わず雑多な感情がぐるぐるとかき混ぜられてよくわからないもので喉が詰まる。無理やり唾で飲み下した。


「言われるほど知り合いは多くはないけど、昴生くんの自己申告に比べれば、まぁ……。でも、昴生くんが言うほどそんな簡単なものじゃないよ。何年もかけて……五年か、六年くらいかな? それくらい時間かけて身に着けた技術なんだから、」


 菫が両親と死別し、兄の元で暮らし始めたのが十歳。良き妹であろうと努力し続けた時間は同じくらいで、彼とは系統が全く違うけれど、十一歳から始まった彼の一朝一夕にはいかない苦悩と研鑽の日々は想像出来る。

 昴生の努力に寄り添い、尊ぶつもりで選んだ言葉。それを聞いた彼は何故か閉じていた口が薄く開いて、閉じて、視線が逃げた。


「……昴生くん? 何かな? その『やば』みたいな反応」


「何も言ってないだろう」


「そう言いながら歩き出すのがもう答えだと思うなぁ! また!? またどこかに隠し事があったの!?」


「君の思い過ごしじゃないか?」


「たった今さっき教えてもらった方法で読み取りました!」


「そこまで教えていない」


 読話はあくまで手法を変えた言語であり、菫が読み取ったのは行動心理学に重きを置いたものだ。全然違う、と考えた後で、そもそも彼女は言語・非言語どちらのコミュニケーションも秀でていた。

 早足だった昴生は徒歩までスピードを落とし、「余計な事を教えた……」と自らの失態に早くも嘆息して諦めたように肩を落とす。


「わかった、話す。だが、『君達を疑っていない』を念頭に置いたうえで聞いてくれ」


「ん? うん」


「僕が記憶の欠落に気付いたのは、去年の夏祭りの翌朝だ」


「…………去年の夏祭りの、翌朝?」


 思いもよらない告白に、オウム返ししてしまった。

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