別名後付け厄介エンジン
対決は今夜。……冷静になって噛み締めると、少し申し訳なくなる響きだ。
一月、綿毛茸と遭遇して標的として捕捉されたのは菫にとって不可抗力だった。そして今、昴生の置かれた現状もまた、ほぼ不可抗力によるものだ。しかし美術館周辺の違和感に気付いた時点で、遅かれ早かれ経緯に違いがあっても、現状には至っただろう。
前回は告げる側だった菫は、迷惑をかけ、面倒事に巻き込む申し訳なさと、個人的な諸事情でいっぱいいっぱいだった。なので今回、言われた側の立場になり気付く。――これは予想を遥かに上回って申告者の身が心配になる。
「……そんなに、急がないと駄目なの?」
「……、……正直、未知数過ぎる」
せめて今夜も休んで、明日。挑むなら全快に近いな状態で向かうべきだ。そんな当然な事、彼だってわかっているだろう。それでも強行するなら理由があるはずだ。
昴生はこの話題を避けようと言葉を選ぼうとしたが、菫が真剣に案じる視線に耐えきれず、素直に口を割った。
「確定情報が少ない上、最悪を想定すれば時間の猶予も期待出来ない。絵画として留まっている今、片をつけるのが最適に近い」
「最悪の想定って何?」
「絵画の与えられた役目が『方舟を取り込む事』だ」
返答は思いの外抽象的だった。それでも、険しい面持ちで告げる昴生の放つ空気は張り詰めていて、誤魔化しや冗談とは違うものだと察する。
取り込む。すぐに思いついたのは外干しした洗濯物を室内に移動させる一連の行動だが……絵画の中に閉じ込められるとか、怖い話みたいなものだろうか。
「……あんまりピンとこないんだけど、アルカにとって良くない事なのはわかった。それをアルカに話さなくて良かったの?」
「片岡は事細かく教えても、おおよその輪郭しか把握しない節がある。それでも、そのおおよその範囲で本質を見抜く。絵画の目的が自分だと認識した場合、どう反応するか……」
溜息混じりの言葉は、問いかけのようでもあり、言わずともわかるだろうと試されているようでもあり、菫は少し身構えてしまう。
「少なくとも、絵画の処理を僕に一任させるのに一度は揉めただろう。自分の尻拭いをさせるみたいで嫌だと」
「……、ああ、うん……それは、たしかに……」
確実なのは、アルカと絵画が同一に近い存在だという双方向からの認識と、互いに抱く感情は歓喜と嫌悪という真逆である事。そして、アルカはおばけ絵画との接触を避けたがっていた。
何の接点もなく、よく知らない相手から似ているというだけで一方的に迫られて気味が悪い、現在のアルカはそんな認識だろう。
けれどそこに、『方舟を狙ってやってきた』と情報が加われば、『力を与えた昴生が責任持って後始末するから、棚ぼたで嫌な奴がいなくなる』と考えていたものが、『わりと無関係な昴生に手助けされる』に変化し……アルカの反発する光景が容易に目に浮かぶ。
納得はした。不確定な上、明かせば不利益だと判断した理由も素直に頷ける内容ではあった。しかし、菫の口から出たのは煮え切らない声音の返事である。
「何か反論があるのか?」
「反論とかそういうのじゃなくて……ただ、アルカをよくわかってるんだなって、ちょっと悔しくなった」
「……はぁ?」
菫には昴生のようにアルカの反応が予測出来なかった。考える時間が少な過ぎたと言い訳も出来たが、彼もアルカが方舟であった事実を知ったのは菫と同じタイミングだ。
方舟だったと明かされて、そうなのかと受け入れて、それでもアルカという少女が友人である事実が変わらない事と、彼女の真価に不安感を抱くのに精一杯だった。
その一方で様々な可能性と、現状の最適解。アルカの性格も織り込み済みで思考を巡らせていたのだろう。菫が何をどう尋ねればいいのかわからない間も、昴生は質問を投げかけていた。
「……その言葉のニュアンスだと、まるで僕が片岡を理解しているように聞こえるが?」
「そうだけど……?」
「断じて違う」
怪訝な表情と強い否定と共に、昴生は先程より長い溜息を吐き出す。昨日、白髪になった時よりは短いが、何だかずっと溜息を吐かせ続けている気がする。
「君の言う理解とは、信頼や親睦、歩み寄りによる結果だろう。僕の場合は顔色を伺っているだけで、爆弾処理のようなものだ」
「爆弾処理」
「確かに、君が爆弾処理の機会に恵まれる事はないだろうが、悔しがるものでもないだろう」
爆弾処理と考えると、それにしては結構な頻度で小規模爆破させているような……わざとなのだろうか。
災いの元を口の奥にしまい込んでいると、昴生は言葉を続ける。
「味の好みが異なるように、個人によって見え方も音の拾い方も違う。僕から見た片岡と、君から見た片岡は、同一だが別側面だ。比較するものでもない」
「……、それもそうだね!」
何も間違いではないが、菫の心は晴れなかった。そこで悔しさの正体に気付く。これは嫉妬だ。
好きな人に理解を示されている友人に嫉妬したのか。自分とは違う目線で友人の理解度を深めている好きな人に嫉妬したのか。どちらかなのか、もしくはどちらもなのか。少しだけ考えて、考えるのもやめた。顔に色として出そうだったから。
話を打ち切るためのトーンで明るく返事をすると、怪訝な視線を向けられた。菫はそれに気付かないふりをして話を変える。
「じゃあ、昴生くんの髪と目の事、教えて。どうしても駄目でなければ、聞かせてほしいな」
「話したところで意味もなければ、時間を無駄にするだけだが?」
「それだと、遠回しな『駄目』にも聞こえるけど、駄目?」
「……益体もない話で構わないなら話す」
「とんでもない。喜んで静聴致します」
畏まった言葉で包んだが、だいぶ思い切り剥き出しにした本心だった。勢い任せで大胆な事言ってしまった事実に心臓がドッと重く跳ねるが、おくびにも出さず笑顔で待っていれば昴生はまた一つ溜息を零して話し始める。
「……最初の記憶に個人差はあるが、僕の場合は五歳の時だ。気付いたら暗闇の中にいた。両親達の歓声と、その声色から喜び咽び泣いている表情が想像出来て、自分も喜ばなければいけない、と……それだけの記憶だ」
「え、と……」
どうして髪が白く、目も見えなくなったのか。尋ねた質問に対し、語られた内容は答えとは思えない――同時に、形容しがたい不穏な気配を感じ取った肌がむず痒くなる。
「最初から目が見えていないなら、親の顔を認識出来ない。年齢を明確に認識しているのに、その理由が抜け落ちている。さらに、その五歳の僅かな記憶の後、次の記憶は十一歳の時と六年の空白がある」
「は、え……えっ!?」
「証明しようがない話になるが……少なくとも五歳時、僕は髪も目も黒だった認識していて、視覚も正常だった。断片的かつ正確さの欠ける情報だが、現時点で髪と目の変化の原因に家族が関与している事。同時に推察するための記憶や記録が抜け落ちていて、不明点が多い事。医学検査をして髪は元の色素に戻る可能性はあるが、視力は視神経が再生しない限り回復の見込みがない事、以上。他に疑問点は?」
「疑問点だらけですけど!?」
淡々と、つらつらと、整頓されて簡潔に説明を受けていたはずだが、菫は辞書を連続でぶつけられたような衝撃と情報過多でパニックになった。
彼は魔術で視力を一時的に取り戻しているとはいえ、失ったままである事に変わりはない。それなのに――。
「き、おくがない、って」
「ない、とはいえ言語や文字の読み書き、一般的な知識に不足はなく、目に比べれば些末な事だ。そもそも人間の脳は日々、情報を取捨選択している。印象に残らなければ、大抵の出来事は記憶にも残らない」
「……そうだね。わたしだって小さい頃の事、覚えてないのがほとんどだよ。先月どんな授業したかって聞かれても、教科書かノートを見ないとちょっと自信無いくらい」
また、誤魔化された。
むっとした内心のまま、少しだけ棘を含んだ肯定を笑顔で返す。顔を覗き込んで様子を伺うも視線は合わない。
「昴生くんが今言ったのはそういう話で、子供の時の記憶がごっそりないのはまた別の話だよね? 普通は逆だよ。こういう記憶があるって前提で、その時の年齢はいくつくらいって順番なの」
「そうだな」
「近所の家の名前だけじゃなくて、建物の色とか形まで細かく頭に入ってて、成績もしっかりいい。多分わたしとか……普通の人と覚え方が全然違うんだと思う。きっと……ネットの繋がったパソコンが頭に入ってるんだ」
「そんな仰々しいものは入ってない」
はっきりと否定され、脳とコンピュータを比較するのが畑違いだと話しているが難しい話なので聞き流し、そんなに間違いではないだろうと菫は確信している。
少なくとも、頭の回転や知識量、菫の脳より昴生の脳の方が性能が高く、コンピュータ寄りなのがどちらかなのは明白だ。
しかし、どれほど優秀で明晰でも、彼は人なのだ。
「……家族に、何も聞いてないの? 記憶がないって」
「知らせてはいないが……悟られている様子はある」
「それもご家族の人の誰かに、何かされたって、思ってる?」
魔術師としての適性の無い菫には大体の魔術は羨ましい物だ。その中で特筆していたのは、記憶の改竄。もしかけてもらえたら、父の自損事故――そのあたりの記憶ごと嫌な事実を知らないままでいられるだろうか……なんて、浅ましく考えたのだ。だから、それだけはよく覚えてる。
目的はわからないままだが、昴生が使えるなら、彼の家族もまた使えるはずだ。
「君の言い分はわかる。だが、その可能性は薄い」
「そうなの?」
「原理は不明だが、一定以下は盾に弾かれるんだ。僕の家族では突き抜けない」
外にいるため随分と曖昧な表現だが、彼だけが持つ盾は防具として魔術を弾くという意味だろう。
一定、と線引きの範囲がどれほどのものか菫にはわからないけれど、無敵ではないものの強力なバリアの役割を持っていて、家族からの攻撃は効かない、と。
「昴生くん、いつから盾を持ってるの?」
「どのタイミングで手に入れたのかはわからないが、五歳の記憶の時点では持っていた」
「なら、他にそういう、意地悪してくる人がいたり?」
「いじ……そもそも、君の疑問自体が間違っている。正確な時間、記憶の詳細、情報の他にも手間がかかる。そうまでして、個人の記憶に穴を開けて得るメリットはなんだ? 単に事実の隠蔽を図るだけなら、頭に穴を開ければ済む」
「物騒だぁ……」
「記憶がないせいではっきりしない事ばかりだが、髪と目の問題と、記憶の問題はまた別だろう」
確かに、殺人事件の目撃者が記憶喪失になり犯人の顔を覚えてませんとなっても、『じゃあそのまま忘れててね』と殺人犯が見逃すわけがない。
……これも誤魔化されているのだろうか。菫は懐疑的になったが首を横に振る。いや、多分気付いてないだけ。
「でも、昴生くんはわたしに提案してくれたでしょ? すごく手間かかるし、メリットなんてない。だけど、わたしに必要かもしれないから教えてくれて、どうするかって選ばせてくれた」
「――――」
「君が誰かにしてもらった事、だったんじゃないかな?」
「……織部の想像が正確だったとして、そんな人物に心当たりはない」
「でも記憶がごっそり無いんでしょ? その間に出会って別れたなら、その人の存在そのものを思い出せなくなってるかもしれないよ?」
「仮定を煮詰めたところで確証に繋がらなければ妄想に過ぎないが?」
まだ続けるのか、と飽き飽きだと言いたげな声色に、菫は神経を逆撫でされた心地がして必死に笑顔を留める。
正しい。真面目に考えたとしても証明出来るものがなければ、ただの空論。
「……そうだね。そうかも、しれない」
菫が怒りを覚えているのは彼の言葉遣いではない。そんな言葉が出てくるほどに、彼が彼自身に無関心である証明に過ぎない事に、全く気付いていない。もしくは、気付いた上で放置されているのが、腹立たしい。
それを、今の菫は容認出来ない。
「でもね、わたしには心当たりがあるよ」
「そんなはずが、」
尤もな疑念を向けられるが、自信がある素振りで空威張りして見せる。
それもそうだ。彼について知る事はあまりに少ない。物に対して好みがあるのかすらわからない。彼の交流関係を把握出来るわけもなければ、家族の顔すら存じ上げない。知り合って一年弱と短く、薄い関係。
冷静な理解の裏側で、何もわからないだろうと諦念する彼の鼻を明かしてやりたいと恋心が叫ぶ。
「あ、あるの!」
あると言えば確かにあるが、そこに根拠も証拠もない。勢いだけで断言してしまった後で菫は内心汗を掻きながら、ここにいない親友に心の中で助けを求める。
どうしよう、アルカ。
恋ってこんなにもままならなくなるものなの!? もっと彼の言葉に盲目的になるとか、そういうものだと思ってたのに、なんだかよくわからない方向に暴走してる気がする。自覚はあるのに、止まり方はわからない。
どうしよう、どうしよう。アルカぁあ!
救助要請は届かない。
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